2016.01.13 Wednesday

成人の日に『ヤクザと憲法』を観ること

 

『ヤクザと憲法』

監督:土方宏史 プロデューサー:阿武野勝彦

東海テレビ放送 201596分 HD

http://www.893-kenpou.com

成人の日に『ヤクザと憲法』を観てきました。祝日ということもあってか、ポレポレ東中野は満席で、座布団を敷いた通路席まで用意していました。ドキュメンタリー映画で満席というのが、ドキュメンタリーを応援している者としては嬉しいですね。

 

見終わってしばらくは黙って考えていました。たぶん、いろいろな意見があって、様々な場で論議がかわされていることでしょう。論議の対象となる映画はとても面白い。

ヤクザの始まりは江戸時代の火消しらしいという説明が出てきます。火消しの組には危険を顧みずに我先にと火事現場に向かう、勇ましい男の姿があったことでしょう。誰が、どこの組が一番勇敢だったのかも競われたのでしょう。そういう男たちの親分がいて、組の者の世話をしていたのかもしれません。歴史的な事実は調べていないのですが、もしかすると「火消し」はその後、地域の揉め事も解決する火消しになっていったのかもしれません。調停や仲裁をする信望のある強い親方がいたのかもしれません。ヤクザは賭場の仕切りや祭りの仕切りなどをしていたようですが、地域にとっては「必要悪」として、ある時は頼りになっていたのかもしれません。

 

木村栄文さんの『祭ばやしが聞こえる』(1975年)には、九州のヤクザの親分の姿が描かれます。銭湯で背中を流しながら、親分(テキ屋だったか?)にインタビューする木村栄文さんの姿が印象的でした。この映画の親分は、地域の祭でテキ屋(的屋)の出店場所を割り振ったり、祭りそのものを円滑に進める役割を担っています。各地からやって来るテキ屋が争わないように、うまく文句のでないような場所割をする大切な役割です。当然、場所代も受けとっていたことでしょうし、それが仕事としてセオ律していた時代です。この番組では、この親分のような古いタイプがやがて代替わりしていくことを併せて描いています。地域の組が、やがて現代ヤクザに変わっていくことを暗示しています。

 

地域の必要悪として役割を持っていたヤクザは、その地域だけで存在感を維持していれば、現在のような状況にはならなかったのかもしれないな、と思いました。いいことではないけれども、ある種の信頼関係で繋がっていたヤクザとテキ屋、水商売や興行師などの関係は、地域にとどまっていた限りではそれほど大きな問題ではなかったのかもしれない。やはり、広域化して勢力を拡大した組が現れたことで、巨大なピラミッド構造ができてしまったのだと思います。組織が大きくなれば、上納金などが拡大し、勢力争いに拍車がかかる。その繰り返しが、現代ヤクザの抗争だったのでしょう。その辺の事情には詳しくありません。

 

この映画で指定暴力団が21団体であるという実数を知りました。それらを頂点として、その配下の組があり、その系列に幾つかの小さな組が連なるという構造のようです。映画では「二代目東組二代目清勇会」が描かれます。部屋住みの二人の組員は、ひとりは出所したばかりで組の事務所に住み込み、もう一人は21歳で自分から組で仕事をすることを志願して門を叩いたそうです。一番若く下っ端の彼は、これまでの若い志願者のイメージを覆します。非行と暴走族を経て組員になりたがるヤンチャな若者ではなく、どちらかと言えばおとなしそうな、不器用そうな若者です。おそらく彼は、学校ではいじめられる側であったか、家庭で居場所を失ったのか、そういう訳を抱えていそうな若者です。この組にかぎらず、居場所を求めてヤクザになろうとする若者がいるのでしょうか?

 

山口組の顧問弁護士・山之内幸夫も重要な役割で登場します。組との関係で幾つかの係争を担当し、恐喝容疑で起訴され、無罪となり、器物破損教唆罪で最終的には懲役10ヶ月の実刑判決がくだされる。すなわち、弁護士の資格が剥奪され、仕事を継続できなくなります。この弁護士の言葉は、マスメディアでも伝えられていました。「有罪で開き直り、顧問料は月20万」といった、判決後の見出しも検索できました。声を荒げて抗議声明を出したと書かれています。この映画で見る限りは、その語りはとても穏やかです。事務所も質素で事務のおばさんが今はひとりだけ働いているのだといいます。判決後に事務所に戻り、判決を「仕方ないかな〜」と受け入れる姿は、映画向きの演技なのでしょうか?

この山之内弁護士の姿は、この映画を見る限り、制作者は擁護しているように映ります。「ヤクザが社会からドロップアウトした人間の受け皿だ」という主張も、この流れではついうなずいてしまいます。車の修理で揉めたという組員のひとりが、保険金詐欺請求未遂というよくわからない罪名で捕まり、事務所に強制捜査が入る際も、カメラはむしろ警察と対峙しています。「乱暴なのはどちらなのか」と思ってしまう。もちろん、組員が高校野球の賭博をしきっていたり、どうやら薬物を売っているらしい現場も捉えています。これは明らかに悪事だし、犯罪です。だからその稼ぎ方を肯定することは到底できません。ヤクザはいなくなった方がいいし、抗争もなくなればいい。それにしても、このやり方しかないのか? というのがこの映画の趣旨だと思います。

この映画自体が、指定暴力団の印象を和らげていることも事実です。それが、「ヤクザへの利益供与」にならないだろうかと心配です。

2016.01.03 Sunday

「この男を殺しても、同じことが繰り返すだけだ」

『独裁者と小さな孫』

監督:モフセン・マフマルバフ

2014年 119分 ジョージア=フランス=イギリス=ドイツ ジョージア語


モフセン・マフマルバフが亡命していたことを知らなかった。自国で制作した映画の公開禁止や検閲に抗議してのことだという。HPのコメントにフランスで2回、アフガニスタン2回、イラン政府によって暗殺されそうになったと語ってる。同時に『カンダハール』が(2001年)15年前の作品だったのかと、不思議な隔たりを覚えた。


映画を観ながらどこの言葉なんだろう?と考えていたら、ジョージア語と書いてありました。このジョージアという呼称がどうしてもなじめない。パラジャーノフの映画とともにグルジアという特異な背景を思い出すからだろう。相撲取りの出身地のアナウンスでも、グルジアのほうが混乱も少ないと思う。


このところドキュメンタリー映画も含めて、後味の悪い映画ばかり見ているように思う。自分で選んで見に行っているからしかたがない。むしろそういう映画を好んでいる。この映画も「痛み」がある。架空の国の独裁者である大統領は、電話一本で街中の明かりをすべて消すことができる。孫にその様子を見せ、孫にも命令させてみる。街中の明かりが消えるさまを見て、孫は喜んでいる。そんなシーンからスタートする話は、命令しても明かりがつかない街で響く銃声によって、大きく動いていく。反政府行動が武力革命に一気に展開する。独裁者とその家族は一夜にして逃亡者となる。「大統領」と幼い孫との逃亡の旅が、その後の殆どの時間を占める。


独裁者による富の独占と、搾取される貧しい民、反政府運動と投獄・拷問といった、判で押したような悪政は、今でも繰り返されている。架空の国ではあるが、幾つかの国や紛争地域が思い浮かぶ。逃亡の経過で繰り返し現れる自らの独裁政治の「結果」を、抑圧された民の側に身を潜めて知っていく大統領は、「なぜ逃げなければならないか」という孫の素朴な質問にも答えに窮する。街中に張り巡らされた自分の肖像は、幾つもが炎に包まれ、落書きされ、破壊される。もちろんそこにはサダム・フセインが想起され、逃げ続ける「大統領」が発見されて捉えられる際にも、身を潜めた場所から引きずり出されるさまは、テレビの映像を思い出す。


「大統領」をとらえた貧しい民は、首を吊るせと言い、賞金のためにその首を差し出せという。その時の一人の民の言葉が、おそらくは監督のメッセージなのだろう。「この男を殺しても、同じことを繰り返すだけだ」と。

2015.08.26 Wednesday

悲劇や苦難ではなく、戦時下の女性の苦悩として

『この国の空』

監督・脚本:荒井晴彦 原作:高井有一 

詩:茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」

出演:二階堂ふみ 長谷川博巳 富田靖子 工藤夕貴

2015年 130分 2015824日 シネ・リーブル池袋

1945年、終戦が近い頃の東京杉並の住宅地が舞台になっている。戦争の悲劇といえば、肉親の無残な死や理不尽な徴兵、残された家族の苦難が想定されるのだが、この映画は静かだ。里子と母は父親を失い、残された家で空襲に怯える日々を過ごす。しかしその食卓は、よく目にする戦時の食事と比較すればまだ、ましなことが解る。隣人の銀行員・市毛はバイオリンを引くことを趣味としていて、新聞記者の知人から、リアルな戦況を得て、冷静に振る舞う。この市毛や奥田瑛二演じる隣人の服装を見ても、都心の豊かな勤め人が済む地域だと解る。爆心地や疎開先ではない、合わばありふれた中流家庭の戦時下の様子が、淡々と描かれていて心地よい。

二階堂ふみが演じる里子の言葉遣いを何処かで聞いたことがある気がしていた。誰だっただろう? 途中で思い当たったのが原節子だった。当時の東京の、下町ではない場所で育った言葉だろうか? 妙に落ち着いた言葉の調子が懐かしくもある。工藤夕貴はエンドクレジットが出るまで、そうだとは気が付かなかった。僕の中では『ミステリー・トレイン』で止まっていたからか。気丈だが大人の女を残した不思議な母親を、スッキリと演じていた。

ラストの詩「わたしが一番きれいだったとき」を詠むことは、二階堂の発案だったと新聞で読んだ。戦時であっても、1920になる頃の、ごくありふれたひとりの女であった女性の言葉は、黒いバックになっていっそう美しく響いた。

2015.08.12 Wednesday

3つのコードでも「ロック」はできる

 

『山陽西小学校ロック教室』

監督:本田孝義 2013年 42

https://www.facebook.com/pages/映画山陽西小学校ロック教室/300336256795544


 先日、監督の本田孝義さんから試聴用にDVDを送っていただき拝見しました。ほんとうに楽しかった。僕は2009年から新宿の子どもたちと映像ワークショップを続けています。集まってきた子どもたちと一緒にビデオカメラを使って遊びます。「ビデオしりとり」や「自己紹介ビデオ」「ボールリレー」などを作りました。東京の福生市や鳥取県でもそんなことをしました。そしてロックもやっています。僕は子どもたちとロックをやろうと思ったことはないけれども、本当に面白い取り組みなのだと思いました。僕はビデオカメラも楽器みたいなものだと書きました。言葉以外で自分を表現できる道具なんです。

 

 森内ベースさんは、小学校の体育館で自分のバンドの演奏を見せて、2ヶ月後に子どもたちが「ロック教室」に集まってくるのを待ちます。まずは子どもたちにアンプに繋いだ楽器を触らせます。ボリュームを上げると、電気楽器特有の大きな音がするし、歪んだりもします。とにかく指で弦をはじいてみると、ブ〜ンという音がする。それだけで興奮してしまう。ひとりづつギターやベースを肩にかけてとにかくカッコつけて弦を弾いてみる。大きな音を出す。これがロックの始まりです。

 

 単音でGの音を出す。ギターはGのパワーコードを覚え、ピアノとベースで同じ音を出してみる。同じテンポで音を出すとなんとなくバンドみたいになる。Gができればそのままの形で右にずれしていくとACの音が出る。弾き方は気にしない。班に分かれて曲の練習を始める。そうだ、3つくらいコードが弾ければ、後は鼻歌でも曲らしくなってくる。各自が歌詞を書いてみる。数日後にみんなの前で披露する。この詩がほんとうに面白い。この映画のチラシにも書いてある「時々遅刻 音楽苦手 宿題めんどい 掃除めんどい 勉強あとまわし でも足早い〜」など、パンクだと思いました。メロディーがつくとどんどんそれらしくなっていきます。森内さんの指導でテンポが揃ってきます。そう、こうやって「ロック」ができるんですよ。

 

3つの班がそれぞれのオリジナル曲を体育館で披露します。保護者も呼ばれているのたくさんの観客のまえで、緊張の初舞台ですね。曲の前に自作の詩を朗読してから演奏する班もありました。これもとても等身大で斬新な詩です。

そして、この初舞台はもしかすると学校ではない場所のほうが面白かったかもしれませんね。小学生なのでいろいろな制約もあったでしょうが、ライブハウス等ではなくても、公民館とか地域センターとか、学校という空間とは別の場所で演奏すると、気持ちがいっそう盛り上がるかもしれませんね。

 

楽器はどれも上手になるのは難しいけれども、ロックは上手にならなくても気持ちで表現できるんです。3つのコードで思いを伝えることができる。小学校でもっと「ロック」を取り入れてもいいですね。ちなみの僕は小・中学校はず〜と音楽が「2」でした。

2015.08.02 Sunday

日曜日の早朝に『ジョン・ラーベ』を観ること

 

『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜  JOHN RABE

監督:フロリアン・ガレンベルガー

出演:ウイリッヒ・トゥクル チャン・チンチュー 香川照之 柄本明 杉本哲太 AKIRA

2009年 ドイツ・フランス・中国 134分  http://johnrabe.jp


 82日(日曜日)の早朝に目が覚め、買っておいた『ジョン・ラーベ』を観た。こういう日曜日の始まりもなかなかすごい、と自分で思う。観てよかったし、僕は普段はあまり他の人に「観るべき」などと言わないけれども、虐殺そのものが事実に反するなどという見解を聞くと、多くの日本人が観て、この映画を材料に様々な場で論議をすればいいと思う。数万人とか30万人とかいう数字ではなく、映像からは多くの「ひと」の顔や姿を想像できるし、ひとりひとりの事情も見えてくる。数万や30万とは「ひとの累計」であって、単なるデータではない。

 僕は週刊金曜日に連載されている辺見庸の『1937』をずっと読んでいる。2週前からは辺見氏の父・和郎氏が中国から復員して10年後に石巻新聞・夕刊に連載された『さらば蘇州よ〜わが二等兵日記』がとりあげられている。復員後に石巻新聞の記者になった父の従軍日記を、これまで正視してこなかったという。父親が中国で何を見て、何をしてきたか? それをどのように記述しているのか? 辺見の父親への問いは厳しく悲しい。日本兵による記述を合わせて知ると、いっそう深い理解ができる。

 2009年に制作された『ジョン・ラーベ』は、公式HPを見ると、これまではほぼ自主上映で公開されている。今後の劇場公開は僅かな情報しかない。劇場の側からすれば、噂を聞きつけた(映画を見ないで)街宣車に抗議や妨害をされたらたまらん、ということだろう。それは理解できる。これまでも『靖国』をめぐって2008年の公開時に上映中止騒動が起こっている。あの手の団体は理屈では動いていないので、映画の中身や表現は関係ないからもっと困る。

 DVDに入っている冊子を読むと、史実とは違う箇所が指摘してある。こうした違いは映画の脚本上の問題であるが、史実を大きく変えない限りは許容範囲であろうと思うし、134分で描ける「ものがたり」にするわけだから、史実の解釈と再構成は表現の重要な要素だろう。映画では日記に基づき193711月末から1225日(クリスマス)あたりまでが描かれているが、ジョン・ラーベの日記は9月から翌年2月までが語られているそうだ。妻、ドーラとの劇的な別れの場面があるが、実際には既に南京を離れていて、ラーベは単身で生活していたという。

 おそらく問題視されるとすれば、朝香宮鳩彦(香川照之)の描き方だったのだろう。ラーベの日記でも、朝香宮との面識は書かれていなかったようだ。冊子には戦後の米軍による朝香宮への尋問も引かれており、映画のように公式な面談や朝香宮への直接抗議の場、安全区閉鎖を強行しようとする日本軍に射撃命令を下す朝香宮と対峙するラーベという事実はなかったようだ。朝香宮が捕虜の中国兵を殲滅するように命じるシーンもあるが、尋問によれば捕虜は労役につかせ、虐殺の事実を知らなかったと証言している。こうした描き方を瑣末な改編と見るか、表現上の演出のひとつと理解するか、重大な悪意と解釈するのかは観た者の判断だろう。

 劇映画である以上、事実に反することはある。古くは本多勝一が『ディア・ハンター』の監督マイケル・チミノに手紙を書き、北の兵士が捕虜を使ったロシアン・ルーレットしていたという事実はないと指摘し、蓮實重彦は戦争映画そのものの虚構を前提に反論していた。

 この映画をもしも日本政府が政治的に問題視するとすれば、政府の態度を批判した箇所と件の数字の問題であろう。映画のラストでは次のような記述がある。「南京安全区のおかげで20万人以上が虐殺を逃れた それでも膨大な数の犠牲者が出た 統計調査(字幕では単にCensuses)によると死者は30万人を超えるという 今日に至るまで日本政府は 公式に南京大虐殺(字幕ではThe Dimension of the Rape of Nanking)の被害の大きさを認めようとしない」という記述であろう。ここではRape of Nankingの表記を採用している。Rapeは強姦・強奪・破壊を合わせた意味であろうけれども、虐殺(slaugtermassacre)は選ばれていない。

 この映画が日本ではほとんど公開されなかったし、これからも公開には困難があるだろう。文科省が後援してもいいくらいだと思うけれどもありえないだろう。ことによると会場を借りることも難しいかもしれない。見せないようにするという政治的な介入はないにしても、2009年よりももっと困難な時期かもしれない。

2015.07.30 Thursday

戦後70年にこそ、総論やダイジェストが重要だと思う

『天皇と軍隊』

監督:渡辺謙一

配給:きろくびと 2009年 フランス 90

 岩波書店の渡辺さんから案内を頂いて観てきました。88日からポレポレ東中野で公開されます。2009年にフランスで制作された映画です。この映画のこのタイミングでの公開は、とても意味があると思いました。先週観た『沖縄 うりずんの雨』でも同じように感じたのですが、戦後を概観できる作品は重要だと思います。僕のように、ドキュメンタリー映画やテレビ番組を好んで観ている人にとっては、特別な情報があるわけではありません。これまでに観てきたことを再確認しているような印象でした。僕らはこのところ、もっぱら各論の、さらに細部の描写など着眼して作者の主張を読み取ろうとしてきた傾向があると思います。もちろんそれは重要です。他方で戦後日本の総論として、あるいはダイジェスト的にまたはエッセンシャルに見せてくれる作品は、大枠をどのように捉えるかという指針を示してくれます。総論を90分でまとめるわけですから、その総論の切り口にも作家性は読み取ることができます。総論だからといって平板なわけではありません。

 『天皇と軍隊』の場合は、憲法1条と9条の関係です。終戦後の天皇制の護持と軍備の放棄は、乱暴に括ればワンセットになってGHQの方針に筋道をつけた。よく知られているように、マッカーサーは天皇陛下のポツダム宣言受諾が、驚くほどの浸透力で南洋や中国での日本軍の武装解除と従順な軍の行動を促したことを知り、「天皇制」の護持をGHQの戦後日本の民主化政策に利用します。他国の要請もあった天皇陛下の戦争責任はマッカーサーの判断で免責されます。その後の朝鮮戦争による状況の変化や、サンフランシスコ講和条約の締結など、今日の自衛隊につながる警察予備隊の経緯や、沖縄の基地存続の目論見なども、描かれた通りだと思います。そのことが現在に至る曖昧さと解釈の可能性を残したという指摘もその通りでしょう。この切り口はまさに現在に有効だと思います。時代の流れの中で、国内外に大きな動乱が起きるとその都度問題視されながら、決して決定的な決断をしてこなかった「つけ」が未だに亡霊のように日本を覆っている。そういうことをあらためて考えさせられました。

 

 上映後のトークで金平茂紀さんが語っていた、昭和天皇のインタビュー映像は、「週刊金曜日」の連載「1937」(辺見庸 710日)で取り上げていた。 「戦争責任」を問われて「そういうことばのあやについては〜」と言ってしまったこと。原爆投下を「遺憾だが〜やむを得ないこと〜」と答えてしまったこと。既視感を覚えながら観ていました。

2015.05.24 Sunday

「馬フンをさわれ」という豊かな体験

 

『馬フンをさわれ』

構成・編集・撮影:込山正徳 撮影:片岡高志 取材:澤裕之 若宮しのみ

協力:パカパカ塾

2015524日 14001455 フジテレビ「ザ・ノンフィクション」O.A

 同級生の込山くんから番組の告知がきていたので、先ほどまで観ていました。自分自身の体験など、いろんなことを思い出しながら観ていました。

 独自の教育理念を持ってそれを小学校の教師時代から実践してきた春日先生がこの物語の中心にあります。長野県伊那の小学校教員時代には、子どもたちと一緒に馬を飼いクラスで世話をするということを活動に組み入れていたそうです。当時の保護者の半数は成績が心配だということで反対し、半数は春日先生の方針に賛成していたそうです。退職後に「パカパカ塾」を開き、そこでも馬の世話をするという体験をつうじて「たくましく生きること」「自立すること」を子どもたちに伝えていこうとしています。番組では詳しく触れていませんが、NPO法人として運営しているようです。支援者と今後の塾のあり方(「閉鎖することもひとつの現実味である」と話していました。)を考えるシーンがありました。塾生が減少すれば当然運営費用に行き詰まることもあったでしょう。どのくらいに月謝なのかは具体的にはわかりませんし、卒業生なども寄付をしているかもしれませんね。

 『馬フンにさわれ』というのは象徴的なワンシーンです。集められたいくつかの馬フンを子どもたちに素手で触らせて、その団子ほどの大きさに糞を割ってみる。いきものの世話をするということは当然のように、糞尿の始末をし、その死にも立ち会うということです。また、種付けのシーンも印象的です。二頭のオスメスを柵の中に放って、交尾をするまでを見せる。残念ながら種付けは成功しなかったけれども、間近に見る動物が生きるための行為は衝撃的だったでしょうね。

 この物語は7年間の時間を持っているので、もう一人の中心は小学生で塾にやってきたヤンチャな少年です。父親の突然の死を受け入れることがなかなかできなかったといいます。一時期塾に現れなかった彼は、中学3年になってまた、塾に通い始め、最後には春日先生から手作りの卒業証書をもらいます。自分勝手で攻撃的で落ち着きのなかった少年が「卒業」するという、もうひとつの中心があります。新たに入塾した姉妹も、塾での活動で大きな変化があったようです。最長老の馬の世話を任されたその妹は、世話をした馬の最後にも立ち会います。

 この物語が描いているのは、信念を持った頑固な教育者と、たまたまその教育に触れた子どもたちの特別な体験だと思います。それがこの番組の問題提起だとも思うんです。特別な場所での特別な体験だけに終わらせてはいけない。視聴者が「こういう環境で子どもたちを育てられたらいいよね〜」で終わってしまってはならないと思いました。番組では触れていないけれども、この地域の雇用も限られているのだと思います。新規に移り住んできたとしても、十分な雇用がなければ生活ができない。新規就農にも様々な問題点があることも知っています。それでも、日本の各地にはこの地域と同じように豊かな自然環境があって、生き物の世話や農業などを体験できる土地はたくさんあるはずです。しかし、そこで体験学習や教育を行おうとすれば、運営に苦労する。生活や学校教育の一環ではなくて「特別な体験」だからです。どうすればもっと当たり前の体験になるのか? その体験を、成績の上下などよりも重要だと考えることが出来るのか? 地域創世などという言葉は、雇用の創出と教育理念の浸透がセットになるべき課題ですね。

 余談ですが、僕は幸いにして小学校時代を「田舎」で過ごしました。同級生の家で飼っている牛を見せてもらったり、養豚を営んでいた家では、子豚の出産や、豚の餌づくりを手伝ったこともあります。おじさんが牛の睾丸を指さして、「これも食べられるとよ」と教えてくれた時はショックでした。そういう体験は鮮明に、今でも覚えています。

 ありがとう込山くん、今回もいいものを観せていただきました。

2015.03.19 Thursday

リトル・ウォウターは本当にこんな残念な死に方をしたんだろうか?

『キャデラック・レコード Cadillac Records

監督:ダーネル・マーティン 2008年 アメリカ 108


 公開された時に気になっていたけど見逃した映画だった。DVDが格安になっていたのでつい、購入してしまった。因みに1089円。これは面白かった。ミュージシャンの生涯を描いたいわば実録物は、その音楽や曲が生まれ出てくる背景が見えてきて面白い。レコードやCDを聞きながら想像していたような世界が再現される。すぐに思い出されるのはオリヴァー・ストーンの『Doors』だったり、『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』だったり、『アクロス・ザ・ユニバース』だったりするが、1960年代から70年代は伝説の宝庫だったから、ロックミュージシャンの足跡は劇的なんだと思う。ロックと映画という関係で言えば、元々はライブのドキュメントがあった。『ラストワルツ』や『ウッドストック』のように、記念碑的なライブイベントのドキュメントから、現在のライブDVDに繋がる。数奇な運命や生涯を描いたものでは、最近公開されたものでも『シュガー・マン 奇跡に愛された男』(2013)や『アンヴィル!〜夢を諦めない男たち〜』(2010)のような、「奇跡」とか「夢」を音楽が代弁するようなドキュメンタリーがある。またロックムービーといえばビートルズの主演映画やザ・フーの『Kids are Alright』のような、プロモーション色のある半ドキュメントのようなものや、日本でもGSのバンドが主演する同様の映画はたくさん作られた。ロックの背景となる時代そのものをピックアップして、曲やミュージシャンを配置した劇映画もある。

 

 この『Cadillac Records』は1947年レナード・チェスがレコーディング・スタジオを設立する頃から始まる。チェス・レーベルのスタートは1950年となっている。レナードは自分が経営するナイトクラブが火事にあい、その保険金をチェス・レコードの設立資金にあてた。同じ頃にマディー・ウォータズがミシシッピーの農場で民俗学的資料として「フォーク」のブルースを録音するエピソードが面白かった。その後シカゴに出てきていたマディー・ウォータズをレナードが見出し、そのマディーは路上でハープを演奏していたリトル・ウォルターを見かけ、自分のバンドに誘う。脚色もあるのだろうが、なるほど、同時代のこういう偶然がチェス・レーベルを押し上げたんだと納得する。若くて無謀で銃を持ち歩くリトル・ウォルターの振る舞いや、猛烈に人相が悪く凶暴そうなハウリング・ウルフ、女好きのお調子者として描かれるチャック・ベリーも楽しい。ビヨンセ・ノウルズが演じるエタ・ジョーンズも何しろ歌がうまくて素敵だ。楽曲を提供していたウィリー・ディクソンと、他のミュージシャンとの微妙な関係も面白い。印税をめぐるトラブルもあったことだろう。観ながら期待していたのだが、ボ・ディドリーはこの映画には出てこない。

 リトル・ウォルターは本当にこういう死に方をしたんだろうか?とも思うのだが、成功と同時に手に入れる金や名声は、すぐ後に現れてくるロックンロールや白人R&Bへの脅威として、相当なストレスでもあったのだろう。レナードがチェス・レコードを売却する頃(1969年)には、ビートルズや初期ローリング・ストーンズの全盛期だった。

 

 カラフルなキャデラックが当時の成功の象徴として描かれ、ヒット曲がでるなど成功の後は新しいキャデラックが登場し、チェス・レコードの前の路上は新車のキャデラックが増えていく。ハウリング・ウルフが初めて登場するときにボロボロのピックアップトラックに乗っていたのとは対照的だ。また、リトル・ウォルターが酒とドラッグで常軌を逸して振る舞う頃には、ドアを全部外したキャデラック乗っていたり、チャック・ベリーが車中で女遊びをするのも、ラストでレナードが死ぬのもキャデラックの車上として描かれる。

2015.03.13 Friday

聞こえてこない声の中に真実がある

 

『小さき声のカノン 選択する人々

監督:鎌仲ひとみ 撮影:岩田まきこ 製作:小泉修吉

2014年 119

http://kamanaka.com/canon/

この映画の中心は、小さな子供をもつ母親たちだ。福島県二本松市の真行寺(真宗大谷派)では、佐々木るりさんが、副住職の夫・道範さんと5人の子どもたちが暮らしている。寺では幼稚園を併設していて、震災・原発事故後もここに留まっている。幼稚園があることも大きな理由のひとつだが、ここに通う子どもたちを可能な限り外部被曝・内部被曝から守ろうとしている。ここで暮らし続ける決意は、周囲の母親たちにも伝わっていった。NPOを立ち上げ、食品の放射能測定器やホールボディーカウンターを購入して、定期的に子どもたちの被曝量を測定しているという。佐々木さんの長男は牛乳が好きで、原発事故の後には尿から基準値をはるかに超える放射線値が検出されて動揺したのだと語る。口にする食品をすべて測定し、通学路の放射線値を測り、高い値が出れば自ら母親たち(ハハレンジャーたち)に呼びかけて除染作業をしている。売り地になっているその空き地は、市に頼んでも除染してくれないのだという。加えて定期的に子どもたちの値を測り続けるストレスは、僕らの想像を超えていることだろう。佐々木さんの事例が一般的ではないことは、自宅がお寺であることと関係がある。恵まれているといえば語弊があるが、同じ大谷派の寺や檀家を通じて、汚染のない地域から野菜や食料が届く。こうした支援の野菜などを周囲の母親たちを分けあって、子どもたちの被曝を抑える活動をしている。食を通じた奉仕活動が「いつも、もらっているだけではなく、何か私にも手伝えないか」と母親たちを行動に駆り立てた。その環は、地域から少しずつ遠方にも広がっていく。

 ちょうど昨日(2015311日)の東京新聞の記事にもあったが、福島県立医大を中心として行われてきた網羅的な住民の被曝調査は、明らかに特別な値を示している。その値が震災前のものと比べて飛躍的の上昇し、甲状腺がん、あるいはその疑いのある結果がでていても、検査の担当者は「想定の範囲内」なのだという。つまり、網羅的に調べたから高い値がでたので、原発事故との因果関係を証明できない、という見解だ。因果関係をけてい付けるには、被ばく線量と甲状腺がんの発生との関係を調べる必要がある。しかし、震災後の全県民を対象とした行動調査は、回答率が低いという理由で縮小されようとしている。せっかくこれまで続けてきた網羅的な検査データ収集が縮小されれば、原発事故との因果関係は、ますますグレーになっていく。

 そしてチェルノブイリとの関係では、甲状腺がんの発生率が急上昇するのは事故から4年後というデータが出ている。これから、多発するかもしれない甲状腺がんは、とくに子どもの発生が心配される。チェルノブイリでは事故後の小児甲状腺がんの発生率は700倍だったそうだ。

 ベラルーシでは事故当時に現地の小児科医だった女性が中心となって、現在でも定期的に子どもたちの転地保養が行われている。日常的にどうしても避けられない低線量の被曝による蓄積を少しでも減らす方法として、汚染のない地域で24日間ほど生活するプログラムだ。世界各国に受け入れる地域や施設があり、日本にも受け入れ組織がある。原始的な解決方法のようであっても、汚染のない地域で暮らし、汚染のない食品を食べ続けることで、尿での測定値は著しく減少する。ベラルーシでは現在でも、子どもたちの体内被曝を調査し、そのデータを蓄積している。転地保養のようなプログラムで健康状態を回復した子どもたちも多いという。地道なデータ収集による裏付けによって国や自治体が動いた。世界各地にも支援体制が広がったことも大きい。

 ベラルーシで出来たことが福島ではできないのか? このことが映画を見ているあいだじゅう反復していた。しかし、日本では、あろうことか被曝線量の基準値を引き上げた。原発事故前の年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに。これは事故前の原発作業員の許容値だ。原発作業員は20ミリから50ミリシーベルトに引き上げられた。この数値を安全なのだと、一体誰が保証するのか? 世界の健康基準の共通認識は年間1ミリシーベルト以下だ。

 佐々木さんたちは、学校給食があるのに、子どもたちに家から食べ物を持って行かせている。国は福島県産の農作物を給食に使うと、その自治体に補助金を出している。佐々木さんたちは、基準値以下の値しか検出されなくても、ゼロか限りなくゼロに近い値の食事を子どもたちに与えたい。しかし、弁当を持参する子どもたちは減り続けているそうだ。そして、弁当を持参する子どもたちが特別視され始める。学校側からすれば「持ってこられない子供もいるのに」ということだろう。あるいは県民がみんなで地産の野菜を食べようとしているのに、水を注している、と非難されるだろう。神経質すぎる変人だとからかわれるかもしれない。そうした事例は既にある。「子どもたちを守りたい」という小さな行動が存続するためには、思わぬ障害もあるのだと思う。佐々木さんの子どもたちも、転地保養に参加している。こうした行動も、「できない子もいるのに」という非難の対象になりかねない。

 この映画には被災地から遠くに避難した親子も出てくる。福島県は避難区域以外であれば自主避難とされ、保証も補助もない。それでも非難を決断した親子はいる。やはりそこにも、「できない家もあるのに」「みんなが故郷に戻りたいと、がまんしているのに」という声が聞こえてくる。どちらの声にも真実はある。そしてどちらにも寄り添わない行政の態度は今でも、今後も続いていくのだろう。こうした細部の矛盾を知ることが出来るのは、現地に長期で出かけるか、このようなドキュメンタリー映画を観るしかない。

2015.03.12 Thursday

地域で子どもたちを育てるということ

『みんなの学校』

監督:真鍋俊永 出演:大空小学校 製作:関西テレビ

2014年 106分 BDDCP

http://minna-movie.com

 映画を観ながら、ときどき羽仁進さんの『教室の子どもたち』を思い出していた。現代版といえばあまりに陳腐な喩えだろうか? でも、子供たちの素直な日常がまっすぐに捉えられていると思った。もちろん先生たちの表情や仕草や言葉もそうだ。テレビ局が発信する映画はこれまでにも東海テレビや南海放送の優れたドキュメンタリーがあったが、この映画も地域に着目した秀作だ。

 4年生の4月に大空小学校に転校してきたセイシロウ君が、秋の運動会で走っている姿に、不覚にも涙が出てしまった。言うことを聞かないセイシロウは、木村泰子校長先生にたくさん怒られる。でも、校長先生は、「今日のことは、イチ、みんながセイシロウをいじめようと思っていた。二、みんながセイシロウと友だちになろうと思っていた。どっちや!」と問い詰める。セイシロウは二が答えだとわかっている。それでも上手に振る舞えないんだ。

 大空小学校が開校から2年目に転校してくることになったカズキは、評判の問題児だった。「カズキが行くなら大空には行かない方がいい」と噂されるほどの乱暴者は、朝寝坊を繰り返しながらも、担当の先生に起こされて一緒に学校に来る。「ここはみんなが安心できる場所や、信頼して」校長先生は彼に話しかける。同じく転校生のユズキも、すぐにキレる乱暴者だと前の学校での評判が悪かった。居場所がなかった子どもたちが、少しずつ馴染んでいく。

 この学校の校長室は「やり直しの部屋」になっている。何か問題を起こしても、校長室に来てどうすればいいかを考える。「◯◯くんに、こういって謝ってこい。ひとりでいけるか? だめだったらまた校長室に来なさい。」と木村校長は子どもたちを謝りに行かせる。何度も、また校長室に呼ばれる。そしてひとつずつやり直していく。

 セイシロウのお母さんの姿が、とても、印象的だ。前半では、セイシロウの登校時に途中まで見送りに来る遠目の姿だけが現れる。後半のインタビューで、「今までの学校では、家に帰ってくると、ランドセルの中身は綺麗なまま、鉛筆も使われないまま、クレヨンもまっさらだったんです。でも、いまは、上靴が汚れていて、一緒に洗ったり、ランドセルの中がグチャグチャだったり、クレヨンが使われていたり、それが、嬉しいんです」と語る。これまでの学校では、先生たちが気を使ってくれていたのだろう。帰り際にランドセルもきちんと整理されて帰ってきていたらしい。

 普通の子供達が普通にやって母親を困らせることが、セイシロウのお母さんには嬉しいのだという。たしかに、この映画に現れるセイシロウは、先生やクラスメイトを困らせる。学校から逃げ出そうとする。トモダチが迎えに行っても駄々をこねる。木村校長は、学校やクラスを信頼していないからだという。「学校やクラスを敵だと思っているんです」という。こんなふうに分析できる校長先生は、本当に凄い。

 運動会、修学旅行といった学校行事も、普通の学校の何倍も大変なんだろうなと思う。一般的には特別支援学校にいるだろうマアちゃんは、砂や水をやたらといじる。修学旅行でも、卒業写真の撮影でも。木村校長はその都度、根気強くマアちゃんの手を一緒に洗う。卒業式。木村校長は、言葉を話せないマアちゃんに「マアちゃんがこのクラスにいてくれたから、みんな優しくなった」と言って感謝する。

 本当に美しい映画だった。そして、子どもたちの教育現場は可能な限り少人数で、教員相互の顔がきちんと見えて、話し合える環境が必要なのだと思った。誰のせいにもしないこと。それが初等教育の基本なんだと思う。そしてそれが一番難しいことなんだ。


Calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
翻訳ツール
Facebook svp2ページ 更新情報
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Recent Trackback
Recommend
戦うビデオカメラ―アクティビズムから映像教育まで
戦うビデオカメラ―アクティビズムから映像教育まで (JUGEMレビュー »)
佐藤 博昭
佐藤博昭、渾身の一冊です。個人映像の展開へのヒントになれば…。
Recommend
シリーズ 日本のドキュメンタリー (全5巻) 第1回 第1巻 ドキュメンタリーの魅力
シリーズ 日本のドキュメンタリー (全5巻) 第1回 第1巻 ドキュメンタリーの魅力 (JUGEMレビュー »)
佐藤 忠男,吉岡 忍,森 まゆみ,池内 了,堀田 泰寛,小泉 修吉,矢野 和之,佐藤 博昭
Recommend
Recommend
映画は世界を記録する ドキュメンタリー再考(日本映画史叢書 5)
映画は世界を記録する ドキュメンタリー再考(日本映画史叢書 5) (JUGEMレビュー »)

佐藤博昭が「ビデオ・ジャーナリズムの現在」の項を担当しています。
Recommend
スーパー・アヴァンギャルド映像術―個人映画からメディア・アートまで
スーパー・アヴァンギャルド映像術―個人映画からメディア・アートまで (JUGEMレビュー »)
佐藤 博昭, 西村 智弘, 「Cine Lesson」編集部
SVP2を主催する佐藤博昭の共著本。
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode
Powered by
30days Album
無料ブログ作成サービス JUGEM