2019.03.12 Tuesday

「史実に基づいた映画」という危うい魅力と困難さについて

『グリーンブック Green Book

監督:ピーター・ファレリー 出演:ビゴ・モーテンセン/マハーシャラ・アリ

2018年 アメリカ 130

 

『ファーストマン FIRST MAN

監督:デイミアン・チャゼル 出演:ライアン・ゴズリング

2018年 アメリカ 141

 

『ファーストマン FIRST MAN』と『グリーンブック Green Book』を同じ日に続けて観た後で、「史実に基づいた映画」とか「本当にあった話」という言葉が気にかかってしまった。1960年代の半ばから後半のアメリカで起こった「月面着陸」という世界的な出来事と、1962年のアメリカ南部を巡る誰も知らない旅の映画は、僕が生まれて間もない時の出来事であることで、それぞれとても興味深かった。そしてどちらも、「本当の話」だった。「本当の話」ってなんだろう? 少し前にたまたま予告編を観た『小さな独裁者』という映画には「これは、尋常ならざるサスペンスに満ちた、驚愕の実話!」と言う宣伝文がついていた。もちろん、『グリーンブック』のHPにも「〜痛快で爽快、驚きと感動の実話」と書いてある。もちろん僕はドキュメンタリー映画が好きだ。劇映画も気になった映画は、出来るだけ映画館で観るようにしている。だからこそ「事実に基づいた映画」があらためて気になってしまった。

 

史実とか実話には確かに魅力があるのだが、実は「知られざる〜」とか「驚愕の〜」とか言う言葉が、人を惹きつけているのではないかと思う。知っているつもりだった話の知らなかった部分は、知的な好奇心をくすぐる。ニール・アームストロングの月面着陸は、僕らの世代であれば、誰でもが知っていることだし、僕は記念切手も持っていた。しかし、その妻や子どもたちがどんな暮らしをしていたのかも知らないし、隣人が月面着陸のテスト過程で事故死していたことも知らない。「史実に基づいている」わけだから、映画で観たことを安心して自分の知識に加えることができるし、知人に話すこともできる。それは、それで面白い。同じことは『ボヘミアン・ラプソディー』でも言えるし、『1987,ある戦いの真実』でも『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』でも、『否定と肯定 DENIAL』でも言える。

こうした史実に基づいた映画は、これまでにもたくさん作られているし、テレビドラマでも「社会派」と呼ばれるような実録シリーズはある。金嬉老事件も、大久保清も三億円犯人も、そうした実録で描かれたし、最近ではNHKスペシャルが映画化された『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』にも「知られざる真実の物語」という宣伝文句がついている。そうなると、僕らはこれまで、そんなに真実と違うことを学んでいたのだろうか? 「知られざる真実」ってなんだろう? 最近になって新たな資料が発見された、ということは時々新聞でも目にする。そういう新事実ならば、これまで知られなかったのは当たり前だから、それはそれでいいと思う。そうなると「新たな解釈」はどうだろうか? これまで一般的に常識だと思われていたことが、見方や視点を変えることで、新しい解釈ができたとする。それを表現として披露することも、知られざる真実の一面なのかもしれない。

 

しかし厄介なことに、例えばポール・シュレイダーの『MISHIMA : A Life in Four Chapters』のように、実在の人物が描かれ、主人公の三島由紀夫の原作を元にしたものであると、家族や遺族や知人からさまざまな注文がつく事がある。「本当はこうではなかった」とか「この写真撮影のシーンは事実とは違う」とか、「本当のことだけれども、本人や家族の名誉のために削除してほしい」とか、監督の解釈で描くと、大きなリスクを負うことにもなる。公開が先送りになるとか中止になるとか、とても厄介なことにもなりかねない。出演した役者が、薬物とか暴行とかで逮捕されるとそういうこともあるのだが、「史実〜」の場合は、予めリスクを承知で挑んでいるようにも見える。炎上商法のような姑息な目論見ではないにしろ、物議を狙っているように見えることもある。

 

『グリーンブック』も、アカデミー賞を受賞したために、賛否の両論が幾つもあったようだ。「黒人差別の実態はこんなものじゃあない」とか「教養のない白人移民が、教養のある黒人音楽家と交流することで、差別の実態を知り、気持ちが変化するのは、白人社会のご都合主義だ」とか。運転手のトニー・リップとピアニストのドクター・シャーリーが実在の人物でなかったらどうだったのか? 少なくともピアニストの家族から「誤解を受ける」という指摘はされないだろう。黒人差別の描かれ方については、たまたま出会った黒人ピアニストに共感したひとりの白人男性がいたとしても、その人物が架空の誰かであれば、そこまで差別の総体を矮小化していると批判されたのだろうか? 

 

史実や実際に起った事件を題材に翻案された小説や演劇や映画はたくさんある。登場人物の名前はもちろん、事件や事故が起こった場所や時代や背景、人物や家族の設定も事実とは異なるものがある。そしてもちろん、それが、事実に照らし合わせて批判の対象になることもある。思い起こせば『ディア・ハンター』をめぐって、ベトコンはロシアンルーレットをした記録はない、という本多勝一の批判は、「殺人を描いた映画は、本当は人を殺していない」といった程度の映画的な虚構を前提とすれば、歴史的な事実を背景にした映画が、もっともらしく事件や人物を描いたからと言って、それが本当のことである必要は無いのであって、その事に潔癖であれと言われれば映画などつくることはできない。『ナイトミュージアム2』を観た観客が、スミソニアン博物館ではそんなことは起こっていないと批判しただろうか? その批評の線はどこに引かれているのだろうか?

 

そもそも事実や真実などというものは、刑事裁判であっても恣意的に決定された「事実らしき前例」になっていくわけだから、解釈の入り込む余地のある事象に関しては、無数の事実があると言ってもいい。だから、事実や史実に基づいた映画でも「解釈」ができるし、その解釈を面白がっているのだと思うのだ。そうすると、上記の批判は当然、映画監督なりが解釈した現象についての、その解釈の態度や、われわれが見ることになった表現・表明に対する批判でなけれならない。アメリカ兵がベトナム戦争中にサーフォンをしようが、ベトコンが捕虜を使ってロシアンルーレットで賭けをしようが、それが事実ではないからという批判ではなく、なぜそのように描くことを選択したのかという解釈と表明の問題だと思う。

 

『グリーンブック』は1962年当時のアメリカを描いたひとつの解釈として、僕は面白い映画だと思ったので、それでいいのだと思うけれども、事実や史実にこだわって、そうすることで忠実な再現部分に注意を払うことも必要だっただろうし、それが、この映画に絶対に必要な細部であったのかは疑問だ。また、例えば最近観た映画で言えば、日向寺太郎監督の『こどもしょくどう』は、現在、日本の各地で展開されている「子ども食堂」の活動につながっている。事実、企画を聞いた当初はドキュメンタリー映画の依頼かと思った、と監督は言っている。「子ども食堂」の実態や活動が描かれたわけではないこの映画は、「こども」と「食堂」が描かれる。子供の貧困と、その背後にある親の貧困、社会保障制度の不備や、その狭間で戸惑うごく普通の親子、そして、子どもたちの不器用で衝動的な行動が描かれる。社会の現実には基づいているけれども、実在の家族や子どもたちではない。そのことがどう表現されているのか? 実在の地域や家族であったならばどうなのか? そうでなかった表現上の特異点は何だったのか? なぜ、監督は様々な映画的な細部を、このように描いたのか? そうしたことを考えることが、映画を観るということなのだと思う。

2019.02.26 Tuesday

三島由紀夫の美学は、現在の保守や自称・愛国者にはどのように映るのだろうか?

『MISHIMA : A Life in Four Chapters

監督:ポール・シュレイダー 原作:三島由紀夫

出演:緒形拳 坂東八十助 佐藤浩市 沢田研二 永島敏行

1985年 アメリカ/日本 120分

 

昨日(2019.2.24)は、以前購入していたポール・シュレイダー監督の『MISHIMA』を観てしまった。気になって買ってまま、なかなか観る時間がなかったものをこの時期には少し整理できる。観終わって、TV番組に画面が戻ると天皇陛下の在位30年式典が行われていた。別に他意はないのだが、『MISHIMA』のチャプター4は、1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊駐屯地での三島由紀夫の演説と、その後の割腹自殺に及ぶ再現部分があって、「天皇陛下、バンザイ!」と叫ぶ、緒形拳の姿が、何度も脳裏に蘇った。三島は本当に「天皇陛下、バンザイ!」と叫んだのだが、腹を切った時には、その目には何が見えていたのだろうか?

三島の文学については熱心な読者ではないので、この映画については様々な批評があっても、どこか遠い作品世界だと思っていたのだが、学生時代に登川直樹先生の解説で『炎上』(1958年)を観たことを思い出し、市川雷蔵の姿を思い出すと、ふと仲代達矢の姿も思い浮かんだ。学生時代の記憶というのは恐ろしいものだと思う。

映画は体験である、というのは、観ることと記憶することの相関には、確実に付帯する体験の細部がまとわりついていて、それが映画の記憶を邪魔するわけではなく、もっぱら映画の細部を連鎖的に喚起することに役立っている。困ったことに、その体験の記憶は時々間違っていて、どこか別の映画と結びついてしまうこともあるのだが、その混乱もまた面白い。こうしてメモをしているのも、証拠を残すという無粋かもしれないけれども、何年か先に読み返してゆっくり楽しもうと思っている。

 

演出の細部については、三島とポール・シュレイダーがどこまで納得していたのかはわからないけれども、移動する「鏡子の部屋」でのセットの背景や、回転する舞台の中心にある屋台で、倉田保昭と横尾忠則が、沢田研二を挟んで論争(と言うほどの論議ではないけれど)する場面など、半ば暴力的に連続される場面の演出がとても革新的だと思ってしまう。ATG的な暴走を、美学で囲い込もうという力技に感心するのだ。

 

三島の国粋の美意識をむしろ滑稽な形で体現した私設の軍隊「楯の会」は、一般的には歪んだ愛国主義の象徴のように理解された。それでも、この反乱を本来の保守の野望と見るならば、笑っているのは、その後に無残な歴史の残滓となる事に無頓着な「左翼」であることが解る。どうやら三島の美学は、この時代の徒花であるように映るけれども、それは、階段教室の席から、一点突破の論理で嘲笑している学生たちとは格が違うようにも見えてしまうのだ。

 

映画は4つのチャプターで構成されていて、それぞれに三島の原作が反映され、独自の演出でその作品世界に分け入っていく。

1.「美(beauty)」 『金閣寺』

2.「芸術(art)」 『鏡子の家』

3.「行動(action)」 『奔馬』

4.「文武両道(harmony of pen and sword)」

 映画『憂国』(1966年 原作1961年)の割腹シーン

 

原作と映画の詳細な関連を論じる力は僕にはないけれども、「散る」という言葉が、少なくとも能動的な意志であることは理解できる。散らされるでも、死なされるでもない命の終い方に、人の営みの美意識を感じることは禁じ得ない。

現在の劣化した保守や、エセ愛国者たちが三島固有の「愛国の美学」を論じることは、もはやないのだろう。

2019.01.13 Sunday

谷口正晃監督の『マザーズ2018』を観たことで、いくつかのドキュメンタリーが繋がった。

『マザーズ 2018 僕には、3人の母がいる』

監督:谷口正晃 中京テレビ 2018年 71

 

2018年12月14日は、大学時代の恩師・波多野哲朗先生のお誘いで「無名庵シネクラブ」の上映会に参加した。この日は日向寺太郎監督の『誰がために』を観た後、日向寺監督と彼の大学の同級生である谷口正晃監督、そして彼らの飲み友達枠で僕がトークに参加することになっていた。3人とも波多野哲朗ゼミで学んだゼミ同窓生でもある。僕は彼らよりも4つ学年が上だったが、僕は卒業後に研究室の仕事をしていたので、彼らが3年生までは学校でよく会っていた。そして、そういうつながりで波多野先生を囲んで、年に1〜2度飲み会を続けている。

 

谷口くん(ずっと日向寺くん、谷口くんと呼んでいるので監督と呼ぶのはこちらが照れくさい)は、その会の打ち合わせをしている時に、「最近作ったドラマなんです、よかったら観てください」と言って、お茶菓子を食べながらディスクを渡してくれた。ディスクには赤みがかった肌色に赤ん坊の横顔がプリントしてあり、『マザーズ 2018 僕には、3人の母がいる』と少し細い書体で書いてあった。実は以前も同じように「最近作ったドラマんですよ、よかったら観てください」と、居酒屋の狭いテーブルを挟んでディスクを渡された事がある。『人質の朗読会』と『マザーズ』と書かれた2枚だった。『マザーズ』というタイトルに覚えがあったので、「あれ、これは前にもこのタイトルで〜」と言ったら、「シリーズの新作なんです」と、せんべいを食べながらぼそっと話した。彼は、あまり作品のことを多くは語らなかったが、僕が「これ、中京テレビのドキュメンタリーがなかった?」と訊くと「それがベースになっているドラマなんです」と話してくれた。

後で調べていてわかったことなのだが、中京テレビはドラマ「マザーズ」を2014年から定期的に製作していて、2018年が5作目にあたる。すべてに谷口正晃監督の名があった。僕が以前にもらった「マザーズ」は、2014年10月18日に放送された『中京テレビ開局45周年記念 マザーズ』だった。このときの主人公・山瀬健太は、岐阜のパン屋で両親に育てられ、成人が間近な浪人生活を送っている時に、特別養子縁組で養子として引き取られたことを知る。携帯電話の家族割引契約のために、戸籍謄本を取りにったことでそのことが発覚する。家族の証明書で養子であった事実がわかるという設定も皮肉であるが、谷口監督はこの作品の冒頭で、ラブホテルに彼女を誘い込んだ健太ののんきな性格を描いている。健太は戸籍を起点にして、「NPOスマイルベイビー」を訪ねて、代表の奥田貴子に会う。少しづつ自分の出自に関わる事実を理解し始める健太は、貴子に半ば強引に誘われて「スマイルベイビー」の雑事を手伝うことになる。そして、そこに暮らす妊婦たちや、新たに保護された城田紗衣と接するうちに奥田とスタッフの活動を理解していく。2018年の『マザーズ』では、健太は就職が決まったという設定で、岐阜の両親が奥田とスタッフのところに報告に来る。

2018の『マザーズ』は、若い母親・村上友を中心に展開する。子供の頃に母親に逃げられ、アル中の父親と暮らし、結婚はするが妊娠したことが解ると夫には逃げられ、再婚した夫は他人の子を育てる気がないと言い、早く養子に出せと急かす。自分で子供を育てたい気持ちはあるのだが、このままでは働けない。男は働きもせず、ふらりと帰ってきてはダラダラと過ごし、村上友が働くことを当たり前だと思っている。八方塞がりの状況を自分では抱えきれずに「スマイルベイビー」に相談をする。

何という典型的な設定か、とはじめは思った。ニュースで伝わる育児放棄の若い夫婦や、ドキュメンタリーで何度も観たような家族の暴力。シングルマザーのような生活は、片付かない部屋に少し派手な服、メイクだけは怠らないような、だらしない生活の風景がそこには伺い知れる。壁には塞がれた穴。水商売か風俗で知り合ったに違いない男は、だらしなく酒を飲み、暴力的な言葉を浴びせる。いかにも居そうな若いカップルが描かれていることに、僕は嫌悪感さえ覚えた。しかし、考えてみれば、どれだけのこうしたステレオタイプを見聞きしてきたことだろうか?と思う。いかにも育児放棄や虐待をしそうな男や女は、どうしてこうも似ているのだろうか? 彼女、彼らだけが招いたわけではない連続した不幸な家族関係が、あるいはそれを取り巻く社会環境が、福祉環境が、こうした抜け出せない連鎖を生んでいるのではないか? その中にいる人達は、いつでも同じような渦に巻き込まれる、よく似た境遇の人たちではないか? そう思った時に、こうした典型的な設定は、それが誰にでも心当たりがある情景だけに恐ろしくなる。「この女なら、相手の男がこれなら、こんなことしそうだな」と悲惨なニュースを見ながら言い捨ててはいなかったか?

村上友が生んだ子供は7ヶ月を超えているので、一般的にできるだけ早い時期に引き取りたいと望んでいる養子縁組の希望者とは、うまくマッチングしない。一方で足に障害があり、車椅子で生活をしている川畑健二と妻の真希は、不妊治療を続けているがうまくは行かず、産院で「スマイルベイビー」の活動を知らされ、養子を考えるようになる。車椅子の父親が養子を引き受けることができるのか? 子供が可愛そうな目に合わないか、など夫婦の不安もあり、なかなか踏み切れない。そんな時に2014年の『マザーズ』で描かれた岐阜のパン屋山瀬が、息子の就職の報告と御礼に「スマイルベイビー」を訪ねてくる。奥田はその後、車椅子の夫が養子縁組で子供を育てている家族を紹介し、その家族と接することで川畑は気持ちを決める。村上友は養子に出した後は二度と会うことはないと言い、7ヶ月を過ぎた悟を奥田を通じて川畑に託す。しばらくして友を訪ねた奥田は、スーパーの駐車場で車の整理をしている警備員姿の友に会う。友は奥田に、今の正直な気持ちを伝える。

「3人の母」とは、産みの母と育ての母、そして「スマイルベイビー」の奥田貴子のことだ。このシリーズでは3人の母を持つ子供が、何人も描かれてきた。谷口くんが描き続けるのは、典型的な境遇から抜け出していく母親と、それを支えていくあと二人の母親、そして家族の姿を問い続けることになる、3人の母を持つ「僕」の姿だ。

 

ドキュメンタリー版については2018年4月23日の深夜に日本テレビ系列のNNNドキュメントで『マザーズ 特定妊婦 オンナだけが悪いのか。』(55分枠 撮影:安川克己/P:板谷学 中京テレビ)が放送され、後日、録画を観ていた。中京テレビでは10月13日にも『マザーズ “縁組家族“ 君がくれた幸せ』が放送されたようだ。2011年のはじめての取材から続いている、引き取った家族の側の物語だという。東京にいると、このシリーズを見る機会は限られている。僕が観た『マザーズ』は「NPO:Babyぽけっと」の岡田卓子代表とスタッフの活動の記録であった。一軒家を三件運営して、妊娠してもまともな状況で出産できない女性や、出産後も保護が必要な母親(特定妊婦)を、「Babyぽけっと」で預かって共同生活をしている。いわゆる母子シェルター活動であった。生まれた子供を自分では育てる事ができない母親は、岡田さんを通じて「特別養子縁組」の手続きをする。引き取り手となる両親も、事情は理解していて、成長記録を実母に送ったり、育ての親との交流会も行われている。ここに来る母親は、未婚の母であったり、相手から暴力を受けたり、風俗で働いていたりと、多様ではあるがよく耳にするようなよく似た環境を経験している。つまり、全国的にこういうケースはとても良く似た環境で起こっているということが解る。

例えばたまたま『マザーズ』と同じ日の早朝に、テレビ朝日系列のテレメンタリーで放送された『ボンドの家〜女性保護シェルターの半年』(30分枠 D:押田幸/P:東卓男、新津聡子 テレビ朝日)でも、東京で「ボンドの家」を運営する橘ジュンさんの保護活動の記録が描かれていた。「ボンドの家」は、妊婦を対象としているわけではなく、様々な事情で家に帰ることができず、街を徘徊しているような女性から電話を受ける。一緒に食卓を囲みながら、彼女たちの話を聞き、自立への方法を一緒に探っている。

あるいはその翌週4月30日のNNNで放送されたのは、『ゆりかごから届く声〜赤ちゃんポスト11年〜』(D:吉村沙耶/P:大木真実、後藤宏一郎 熊本県民テレビ 30分枠)だった。日本で初めて、唯一の「赤ちゃんポスト・こうのとりのゆりかご」を設置した慈恵病院の11年後の現在を描いていた。ドイツの「ベビークラッペ」というシステムをモデルにしたというこの病院には、「乳児遺棄を助長する」など、非難も相次いだ。人目につかないように設置された「赤ちゃんポスト」は、そこに子供が置かれると瞬時にナースステーションに知らされ、速やかに保護される。手紙などが添えられていることもあるが、身元がわからないこともある。そもそもの設置の動機は、隠された妊娠と自宅出産の危険性から内密出産の相談を受けたことだった。命の危険は乳児だけではなく、かくして自宅出産を試みた母親にも及んでいた。番組の後半に、この病院では、かつてこのポストに子供を追いた母親が、後年自立して引き取りに来たという話も紹介されている。こうして録りためたドキュメンタリーを見ていて気がつくことは、女性ディレクターやカメラマンの活躍が、優れた取材を可能にしているということだ。デリケートな話題であるだけに、男性のスタッフでは尋ねにくいことや、撮影し難い状況もあるのだと思う。

ドキュメンタリーで知ることができるこうした活動は、その多くがNPOなどの民間の事業である。『ボンドの家』の中で、その理由が語られていたが、自治体が運営する同様の施設がないわけではないが、入所の手続きが多かったり、入所後の規則などが厳しかったりと、必要とする側の緊急性に対応できていないという。今すぐに連れてこないと危ない女性をそのまま帰す訳にはいかない、という橘さんの言葉が映像を見れば理解できる。当たり前のことだが、書類や数字ではわからない緊急で厳しい現実が、現在も進行している。

映像にできることは、限られているけれども、気づかないよりは気がついたほうがいいに決まっている小さな危機感を喚起するくらいのことはできる。

谷口くんが演出したドラマを観て、いくつかの映像が繋がった。

ありがとう谷口くん、本当に立派な仕事をしていると、ただの飲み友達の僕は誇らしく思います。

2018.11.16 Friday

厳しい労働環境を描いた映画なのだろうという勘違いは、心地よく裏切られた。

『世界で一番ゴッホを描いた男』

原題:China’s Van Goghs

監督:ユイ・ハイボー/キキ・ティンチー・ユイ

出演:趙 小勇(チャオ・シャオヨン) 2016年 中国・オランダ 84

 

この映画が面白いのは、工房の絵描きの親方が極めて真面目に複製画を制作している、その職人気質とゴッホへの敬意に素朴に感動するからだ。

 

予備知識も入れずに、スチルカットとタイトルから想像していたのは、贋作の組織的な制作と流通なのだろうか、という浅はかなものだった。『人間機械』でみたインドの染色工場のように、劣悪な労働環境と低賃金を告発するような映像が続くのではないかとも思った。そしてそれは心地よく裏切られるのだが、その心地よさの正体は、工房の親方の職人気質とゴッホへの純粋な敬意なのだと思う。

中国深圳市大芬(ダーフェン)は、今では観光地と知られるほどの世界最大の「油画村」だという。この事をそもそも知らなかった。そんな村があったのか、素朴に驚いた。

この街には約1万人の画工がいるらしい。しかし始まりは古いわけではなく、1989年香港の画商が20人の画工を連れてきたのが始まりらしい。

 

その中でもゴッホの複製画を専門としている工房の親方・趙 小勇(チャオ・シャオヨン)は、これまでに独学でゴッホの複製画を10万点以上制作したという。その制作は家族と職人たちで分業して行う工房スタイルで行われている。注文が入れば、膨大な枚数をそれぞれが仕上げる方法と、その下絵を描く者、黄色のパーツを塗り進める者などと、流れ作業での制作もあるようだ。親方は全体の仕上がりを管理しているし、まだ若い職人を「バランスが悪い。はじめからからやり直せ」と厳しく叱っている。毎月600〜700枚の複製画を作り、その多くはアムステルダムなどの土産物屋に輸出している。

 

何よりも感動的なのは、工房の親方が「本物のゴッホが見たい」と、アムステルダムへと向かうその旅のプロセスだ。ゴッホ美術館の前では自分が描いた油彩の複製画が売られている。もちろん卸値の何十倍の値段だ。土産物屋の店主は親方の一行を歓迎するが、親方は画廊で売られているものだと思いこんでいたので、少しがっかりする。それでも、自分の絵を前にした親方は、遠くアムステルダムの店で自分の絵が売られていることを少し誇りに思ったようだ。

そして、ゴッホ美術館では、初めて本物と対面し「色が違う、、、」などと呟く。その少ないコトバが、また切ないのだ。そしてゴッホの墓参りに行く。ここでの振る舞いは、すべてが師匠を敬う態度にほかならない。マニアでもコレクターでも絵画ファンでもない。10万枚も油絵で模写し続けた職人が、その本物を描いた人を敬っているのだ。そしてゴッホは「魂で描いていた」と、悟りのような言葉を口にする。

 

帰国後に工房の仲間や他の店主に語る土産話もいい。本物は何が違ったのかを本気で伝えているではないか。そして、禁断の「オリジナル」を描くことを決断する。複製画の職人ではなく、画家としての自分の絵を描きたいと願う親方の決断は美しい。

そして描き始めたオリジナルのモチーフは、お世話になった叔母の肖像画や生まれ育った路地の風景だった。

その画風が、ゴッホそのものであったことは言うまでもない。

2018.11.14 Wednesday

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、思わずこみ上げる感情は、きっと「Queen」が数多の「ロックバンド」ではなくて、紛れもなく「Queen」だったのだということを、あらためて思い知らされるからなのだと思う。

 

『ボヘミアン・ラプソディ』

原題:Bohemian Rhapsody

監督:ブライアン・シンガー

音楽プロデューサー:ブライアン・メイ ロジャー・テイラー

2018年 アメリカ 135

 

僕にとってのQueenは真似やコピーができるバンドではなかった。カラオケで「キラー・クイーン」を歌うことはあっても。

 

TOHOシネマズ日比谷のDolby ATMOSは、こういう映画のためにあるのではないかと思ってしまった。ラストのライブエイドのシーンは、思わず熱いものが込み上げる。それほど熱心なQueenファンでもなかったけれども、自分に起こった不思議な気持ちに、これは一体どうしたことかと思った。年を重ねれば涙もろくなるとはよく言われるが、どうやらそういうことではなさそうだ。何かムズムズするような、言葉にし難い不思議な感覚だった。ロック映画はたくさんある。1970年代に活躍したロックスターたちは、その生涯がドラマティックだったりすれば、映画の格好の材料になった。『ドアーズ』『ジャニス』も『ストーンズに消された男』もそうだし、早逝のスターたちは神話になった。もちろん、いくつものドキュメンタリー映画もある。この映画もそんな映画のひとつだったのか?

 

Queenを初めて聴いたのは多分中学1年の頃、次兄が持っていた『Sheer Heart Attack』だったと思う。「キラークイーン」を聴いた福岡の野球少年は、美しい高音のハーモニーが「ロック」というジャンルとは結びつかなかった。その頃、家にあったレコードはビートルズと井上陽水、トランペットを吹いていた次兄のチェイスだったか。もちろん「ブラス・ロック」などというコトバも知らない少年は、「黒い炎」で4チャンネルで小さなスピーカーから、グルグル回るように聞こえる音が素朴に好きだった。思えばこの頃、どれだけの「ロックバンド」が生まれたのだろう。そして、その中で、いくつもの「ロックバンド」らしからぬ特異なバンドが生まれていた。映画のセリフでもあったように「Queen」はロックバンドではなく「Queen」だった。

 

「ロック」が自由と同義だった頃、それはエンターティメント・ビジネスの最も期待されるジャンルだった。ロックは。冴えない若者が成功を手に入れる近道だったし、安易な縮小再生産が始まるのもその頃だった。パンクもそうだった。それでも3つのコードがあれば自分たちの歌を作り歌うことができた。勢いもロックと同義だったし、反体制とか反抗も、主張が稚拙であってもそれは紛れもなく若者の言葉だった。そしてそんな若者の音楽を同じ境遇の若者は歓迎した。ロックはクラブやライブハウスから大きなホールやスタジアムでかいさいされる巨大なイベントになっていった。

それでも、ロックは音楽だった。だから音が僕らを捉える。耳が痛くなるほどの爆音も、思想を反映したような複雑な変拍子も、それはロックであったし、「おれたちの音楽」だった。

 

Queenをそんなロックの中に組み込んでしまうのはどういう訳か躊躇する。簡単には真似できないような音楽が、ロックを纏っているようだった。もちろんビッグなバンドだったし、日本公演も大成功した。僕は一度も生では観ていない。好きなバンドではなかったけれども、ずっと並走していたようなバンドだった。フレディーが死んで、ポール・ロジャースが歌ったこともあった。でも、それはもうQueenではなかった。フレディーがQueenだったのか? そうかもしれないし、ブライアン・メイがギターを弾かないQueenも、多分、ジム・モリソンのいないドアーズみたいだったんだろう。

 

バンドってなんだろう? 子供みたいな疑問が頭を巡る。ビジネスでロックを演じることも才能だろうと、今のバンド達を見ていて思うことがある。ちょっと変わった、でも、それほど大きな逸脱ではない無難な抵抗を、ロックだと思い込ませるのも才能かもしれない。でも、そんな事をしたかった訳ではないのは、早逝のロッカーを見ていれば解る。彼らが身を滅ぼすほどに引き裂かれたのは、ロックという魔物がとてつもない許容力で彼らを包み、這い出すこともできないような足枷を誰もが嫌がり、それでも自分たちの「何か」を生み出すことを要求され、苦悩というにはあまりにもリスクの大きな苦難があり、あるものは死に、あるものは逃げ、あるものは無難な老後を目指した。僕らは何故、ロックに惹かれるのか?

そんな事を走馬灯のように思い巡らされる映画だった。

2018.07.11 Wednesday

予告編を観て気になっていたこの映画は、観た後もずっと、何かが気になっている.

『軍中楽園』

監督・脚本:ニウ・チェンザー 編集協力:ホウ・シャオシェン  2014年 台湾 DCP 133分

 

『軍中楽園』といういかにも男性的なその名称が、戦時下の娼館であることは想像できたけれども、舞台が1969年というのを予告編では見落としていた。何かの理由があって娼館に勾留されていた女たちの凄惨な悲劇かとも思っていた。おそらく幾度も繰り返し戦争犯罪として報じられてきた旧日本軍の従軍慰安婦問題と重なり、予告編に現れる言葉に、反射的にストーリーを妄想していたのだろう。

 

予想は見事に裏切られた。

そして、観終わった後に不思議な爽快感を覚えたことが、自分に対して何故か不愉快になり、その理由が気になっていた。映画はとても美しい細部で溢れていた。困難な状況下での複雑なラブストーリーであり、映画の魅力を再発見したなどと言えば納得できただろうか? いや、そういう言葉の短絡が嫌だったのか? いや、この背景と設定で、純粋と不貞と暴力と理不尽が入り交じる聖的な喜劇に昇華させた映画としての力量に感心したのだろうか? いや、それでも、戦争=暴力装置としての重要な「部隊」である娼館が、「美しく」描かれていた細部への抵抗だろうか? 娼婦たちは皆、強かで、それぞれに秘密を抱え魅力的にさえ描かれている。バオタイとニーニーが娼館を抜け出し月下美人を見に行くというシーンも、この刹那的な純愛の結末を予見させながら、少し滑稽で楽しい。 そんな映画的な寓話にも、いつの間にかすんなりと納得させられている。この映画は、やはりとても良く出来ているのだ。 

 

1969年という時代に違和感を覚えたことは間違いない。台湾と中国の歴史を知らなさすぎた自分を恥じた。第二次大戦終了までの日本統治下や、その後の蒋介石の国民党軍に翻弄されるという常識的な知識だけはあったものの、その後に長く続いた中国との内戦状態の最先端が「金門島」であることは知らなかった。要塞化された金門島にある施設は、「戦後40年にわたり公然の秘密であった」と書かれている。我々が知る術はなかったのか? それにしても緊張しているの弛緩しているのかわからない小康状態のような金門島の描写は滑稽ですらある。映画の冒頭、体格はいいがおとなしそうな青年ルオ・バオタイは、友人と共に唐突にこの島に配属される。島の特殊部隊に配属され、厳しく理不尽な訓練が続いた様子が描かれる。老兵の隊長ラオジャンとの関係も、この時点では絶対的な服従でしか無い。しかし、滑稽なのはこの特殊部隊「龍海蛙人」の兵士が、なぜか赤い海パン一枚で銃弾ベルトを肩にかけて、街の中心部を闊歩する様子だ。誇りに思っているのかどうかはわからないが、その姿の滑稽さが喜劇を予見させる。ラオジャンが質屋で時計を換金するのを見て、バオタイは娼館の存在を知る。バオタイは泳げないために「龍海蛙人」から、「軍中特約茶室」(通称831)に配属される。831は電話番号からの由来らしい。配属とは言っても、仕事は娼館の管理人であり、兵役は特殊部隊の訓練からはずいぶんと隔たりがある。1969年当時の街や娼館の様子を忠実に再現したという背景は見応えがある。この「軍中特約茶室」は1992年まで実在したというのも驚きだった。

台湾が中華民国となり、徴兵制度は戦後に中国との緊張関係から1949年に法制化された。中国軍と対峙する最前線の金門島には、最大で10万人の兵士が配属されていたらしい。兵役は1年とあるが、この映画では、バオタイの従軍は数年間に及んでいる。除隊を申請しなければ、いくらでも延長できたのだろうか? 隊長ラオジャンは故郷をいつも気にしながら、831に意中の女がいるためか、ずいぶんと長い間この島に従軍しているようだ。そうした緩さが、凄惨な悲劇を生むことになるのだが、その事件も戦時下の狂気とは言い難い。娼館での日常は、軍の管轄下とはいえ、激しい暴力の支配下ではない。だから、思い通りにいかない軍人は、娼婦に翻弄される。

 

この映画が史実に忠実であったかどうかは、制作者の倫理の問題だと思う。事実をもとに検証され、選択され、排除され、誇張された独自のストーリーであったとしても、それは映画に委ねられた表現の範疇である。例えばニーニーは夫殺しの刑期が軽減されるという理由でこの娼館にいる志願者だと言える。こういう制度が本当にあったのだろうか? 他国の慰安所と比較して、この描かれた「緩さ」に苦言を呈することは意味がないだろう。豊かな映画体験であったことは間違いないが、後味の悪さはしばらく尾を引きそうだ。

2018.06.11 Monday

立派な映画館で観てしまった居心地の悪さは別として、この映画は観てよかった。

『万引き家族』 英語題:Shoplifters

監督・脚本・編集:是枝裕和 音楽:細野晴臣 2018年 120

 

東京ミッドタウン日比谷は、オープンしてまだ2ヶ月と少しで、『万引き家族』を観るために、人で賑わう土曜のこの日に来たのはやはり場違いだったなとは思った。中央に大きな吹き抜けのスペースが有る巨大なショッピングモールは、この映画にはふさわしくなかったかもしれないが、TOHOシネマズ日比谷は大きな劇場の真新しいシートで、夫婦50割だから二人で2200円で映画が観られるという環境は、多少の居心地の悪さはあっても、それでも総じて快適なものだった。

 

映画の公開が、実在の事件と重なって公開が延期になったり、奇妙な「忖度」で公開ができなくなったりということは過去にもあったが、『万引き家族』で描かれた5歳の少女の虐待の痕跡が、まさか見事に、ここ数週間に渡って世間を騒がしている事件と重なり、現実の鏡のように見えるとは思わなかった。子どもは親を選ぶことができないという当たり前の現実は、親が子に最大限の幸せを約束しようと努力する、という既に夢のように空虚な願いを、文字通り鏡のように反映している。子どもの幸せを願わない親はいないと、どこかで信じていることは、現実には無残に打ち砕かれ、映画の中で夢のように再生される。この逆転をどう考えたらいいのか?

 

過去に犯罪を犯し、身を隠している男が、ひとりの少女が「寒そう」にしていることを気の毒に思い、「かわいそうだ」とか「ひもじそうだ」という、手を差し伸べるには十分な動機でその少女を匿う。それを特別なことだと思わない不思議な家族がいる。「返してきたほうがいい」という常識的な反応は、もちろんその通りではあっても、ひもじそうな女の子を見ている女は、既にどこかで「ここにいてもいい」と思っている。血の繋がりよりも、人としての当たり前の感情で「家族」に迎え入れることは、この奇妙な家族にとってはそれほど大きな事件ではなかった。傷ついた小さな子供の腕の傷を心配し、後ろから抱きかかえてあげることが、ごく自然な振る舞いであってほしいと願う。他人である大人に女に、母のような自然な言葉をかけられた子どもは、それを人としての当たり前であると思って欲しい。この貧しくて特別な「家族」に、その自然さを映し出すことが、この映画の課題であったと言ってもいい。

 

突然紛れ込んできた小さな子供は、その年令では当然であるかのように、おねしょをするのだが、ごく普通に叱られ、ごく普通に「ごめんなさいは?」と言わされる。それが特別なことではなかったかのように、貧しい一家は、狭い部屋の布団を仕方ないかのように干しに行く。そして、おねしょの対策を考える。「寝る前に塩を少し舐めるといい」という婆さんの迷信のような助言を真に受けるだけの優しさがここにはある。服がない子供のために、婆さんは縫い物を始める。突然紛れ込んできた子どもは、少し年上の少年と、いくらかの距離と、恥じらいと、戸惑いを保ちながら、兄妹のように居始める。ルールを守ったり、秘密を守ったりしながら、少しづつごく普通の少女になっていく。

 

『万引き家族』を観て思うことは、映画は細部の描写の積み重ねだという当たり前の事実だった。映画に描かれた細部は、それが細かな部分にも執着した描写だということだけで、人を感動させる。かつては地域の再開発で地上げ屋の責めにあったらしい都市部の古い一軒家は、マンションが立ち並ぶ地域に取り残されたかのように、ただの捨て置かれた木造家屋のように描かれる。映画では、かつて地上げの交渉をしていた男の登場でその事がわかる。その家の内部は、誰のものなのかも判らないようなモノが雑然と置かれ、台所らしき場所は、食べ物をつくるというよりは、かろうじて食器を上げ下げしたり洗ったりするような、僅かな水場のように見える。居間とは言っても、5人が入り混じり、そこ以外にどこにけばいいのだ、という雑然とした「場」が中心にあるだけだ。そこに、唐突に子どもが増えるのだ。それぞれがごく僅かな自分の居場所を線引しているような空間は、一定のルールが有るように見える。この光景は、僕には見覚えがある。小学校5年生(1973年頃)の時に父親の転勤で行った奄美大島の友人の家は、8畳くらいのひとまに、家族が8人くらい暮らしていた。その時の自分の家である官舎は、4畳半と6畳が二間の小さな家だったが、その友人の家族の家を見たときの驚きは忘れられない。祖父母と両親と子どもたちが、雑然と同居する小さな空間にも、一定のルールが有るようだった。貧しいのだとか、そういう驚きではなくて、こういう家族がいるのだという素朴な驚きだった。

 

もちろん、家が小さくて、家族が多いということで、『万引き家族』の細部が面白いわけではない。例えば、台所にある冷蔵庫の扉は、飛び散った醤油の跡がこびりついたように汚い。よくもこれだけ飛び散ったなと、幾分か大げさな描写だなと思っていると、信代と女の子が風呂に入るシーンでは、その浴槽の小ささと汚れ具合に驚く。もう何年も掃除などしていないような風呂場は、その「家族」のいち面をきちんと言い当てているし、一方でその細部は、もっと大切なこと、いや、結果的に欠くことのできない重要なことを浮かび上がらせる。汚くしててもいいということではなくて、そこをきれいに掃除をすることを当分の間後回しにしてきたことが、この家族の特徴でもあるからだ。切迫した日々がそうさせたのかもしれないし、今さら部屋の一部を掃除したからといって、何かが変化するわけではない。そうして生きてきた「家族」の風呂場はこれでいいのだという信念の描写が見える。

 

あるいは、際立った細部として印象に残るのは、クリーニング屋をクビになった信代が、治と一緒にそうめんを食べるシーンであり、透けて見える下着姿の信代には、エロティックというよりは生臭いほどの猥褻さを感じずにはいられない。そして突然の夕立と大雨が、鬱陶しく蒸し暑いだけの夕暮れに、唐突に狂気のような衝動を運び込む。信代の透けて見える下着姿が、治を誘うのではなく、夕立によって二人が現実をはみ出していく衝動的で小さな狂気が愛おしい。ちゃぶ台には食べ残したそうめんがこぼれてはみ出していて、その白くて水が滴る生々しさは、この映画のためだけにある細部であって、どんな言葉でも説明のしようがない余韻だけを残している。

 

あるいは、祥太と治とりんが、練習して一緒に盗んだ数本の高級な釣り竿は、売られて換金されることがなく、祥太との再会の場面で使われる。この慎ましい家族の共同作業の成果を、父親であろうとする治が売り払わなかったのはなぜか? リリー・フランキーが演じる治が素晴らしいのは、徹底したカッコ悪さである。もしかすると若い頃はそれなりに粗暴であったかもしれない中年の男は、この映画の時点では徹頭徹尾かっこ悪い。日雇いの仕事も、建設現場ではそろそろ戦力外通知を受けそうな年齢であるし、怪我をして家に戻っても何の補償も得られない。万引きの仕方を子どもたちに教えるとは言っても、そこには素早さや熟練した技があるわけでもなく、普通の万引きが家族連れで行われるといった程度の組織力を見せるだけである。カッコ悪さといえば、信代と久しぶりで交わった夕立の日には、「俺もまだできただろう?」と情けない同意を求める。裸の後ろ姿は、年齢を示すには十分な垂れ方と出方をしているし、家族で行った海水浴場では、今どき、ステテコで海に入る親父はいないだろうという、時代錯誤な見苦しさを見せる。それは、ひとときの道化の姿のようでもあり、幼い子供を喜ばせるには十分な姿だ。だからこそ、信代に誘われたときの生々しい戸惑いが印象に残る。

 

あるいは、祥太が妹をかばうために、わざと万引きで見つかろうとした時に、とっさに掴んだものは数個の玉ねぎが入ったネットだった。オレンジ色のネットに入ったそれは、スーパーで買えば不揃いの玉であれば百数十円からせいぜい二数百円程度の品物だ。入口付近で、安売りされている設定であっても、それが蜜柑やグレープフルーツであってもいいし、じゃがいもや里芋であってもいい。あるいは、少量でも値段が高く、持って逃げるならばもっと軽いものでも良かったはずだ。

なぜ玉ねぎだったのか? 祥太が追いかけてきた店員に捉えらるその時、道路に散らばるのは球形の玉ねぎでなければならなかったからだろう。その円形で安価な庶民的な野菜は、ラストシーンで、団地の通路で一人あそぶ「りん」が、散らばったビー玉を拾い集める仕草で回収されなければならないし、彼女のこの先に起こるかもしれない、何かを示していたはずなのだ。象徴や記号といった暗示のゲームではなくて、現物が想起させる痛々しい何ものかが、確かに確実な細部としてこの映画にはあると思った。

 

この映画が海外で評価されたことは素晴らしいし、何の異論もないのだが、このくらいの映画を、もっと創造できる潜在的な力を、日本の映画は持っているのだと思う。だから、このくらいの映画がアベレージであってほしいと願う。是枝監督のインタビュー記事にもあるように、社会問題や政治的な課題に映画が向かい合っているのかという「問題意識」の有無だと思う。インディペンデントな映画やドキュメンタリーは、痛いほど向かい合っているのだから。

残念ながら、この日の予告編を見ていると、荒唐無稽だとさえ思うキャステイングの劇映画が堂々と広告され、ジャニーズとアイドルの組み合わせは、当分終わりそうにはないのだけれど。

2018.04.24 Tuesday

男はなぜ、馬を放ったのだろうか?

『馬を放つ CENTAUR

監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト 2017年 キルギス/オランダ/フランス/ドイツ/日本 89

 

「馬を放つ」とは馬を逃がすこと。邦題はとてもわかり易いけれども、中身をそのまま言い当てているような気もして、少し味気ない。原題のCENTAURはケンタウルスだから、ギリシャ神話上の半人半馬の種族の名である。映画のスチールを見るとむしろこの原題のイメージを大切にしている感じだ。

 

村人からケンタウロスと呼ばれる男は、なぜ、馬泥棒をしてまでひとの持ち馬を放つのか? 映画の冒頭で放たれる馬は、レース馬として高価で取引された馬らしい。この地のレースとは何なのだろうか? レースのシーンは現れない。男の親戚はこの馬の持ち主で、レース馬を育てることで富を得ているらしい。夜中に馬を盗んで、その馬で夜の野を走る。そして馬を放つ。男の行為には、何の利益もない。このシーンを観ながら、「ポトラッチ」を思い起こしていた。「ポトラッチ」は象徴交換といい、富を得るのではなく、儀式的に価値を交換する。むしろ積極的に損をすることで、その価値を認め合う。未開の部族などで認められた人間独自の経済活動だ。カール・ポランニーやその紹介者でもある栗本慎一郎の著作で知った。例えば、ある部族で婚礼が成立すると、娘を送り出した一族は「娘がいなくなる」という損失をする。娘を迎えた家族はその損失に見合うように自分の家畜を殺す、といった行為だ。無駄な損失を自らすることでその価値を認めあうという、前近代的な、むしろ野蛮な行為のように思われる。これが実質的な価値交換であれば、家畜は殺されずに娘の両親に贈られる。象徴だから、お互いに勢力を同じにするという、損失した側に合わせる行為だ。これは日本でもあったらしい。例えばこんな話だ。あるとき道でばったりと幼馴染が出会った。ひとりは酒を、もうひとりは素焼きの器を売っている。出会ったことで、酒売りは自分が持っていた酒を飲もうと言い、二人は酒を飲んだ。別れ際に素焼き売りは、「お前は売り物の酒を飲ましてくれたから、自分も売り物の素焼きの器をそれに見合うだけ割る」と言って売り物の器を壊したという。お互いに損をするだけの行為は、何故か微笑ましく、豊かな気持ちにさせる。そんなことを、この映画を観ながら思い出していた。もちろん、男の馬泥棒は犯罪であり、馬の持ち主にとっては巨額な損失だから事件となる。だけど、この馬を放つという行為は、今の金の価値では測れない、長い時間の流れに呼びかけるような豊かさを孕んではいないか? 馬が馬らしくあるように、あるいはヒトと共存(馬にとっては従属かも知れないが)していた頃の馬らしさを取り戻すこと、それができないのであれば、せめて、自由に野を駈ける時間を与えること。それが男の望みだったのではないだろうか?

 

外国の映画を観ると、いつもたくさんのわからないことを突きつけられる。映画が教えてくれるわけではない。だから考える。そして、答えが出ないことに自分の無知を悔やむ。いや、知っていたからといって出てくる答えではないかもしれない。だから、また、考える。その連鎖が面白い。

キルギスのことなど、ほとんど何も知らないことにあらためて気がつく。人々のルーツも、生活も、宗教も言語も、食も。馬と人との生活が、かつては今よりもよほど密接だったのだろうと想像する。さらにもっと昔には、騎馬民族としての誇りある歴史があったのだろう。

この映画の主人公が、自らの血の中に抱いているその末裔としての誇りは、現代のキルギスの地では相容れないのだろう。大工として生計を立てる男は、地味な夫であり、父親であり、時代遅れな血筋をひきついでいる土地の記憶でもある。明らかなモンゴリアンの風貌は、彼の妻とも、親類とも、村人の何人かとも違い、最もその地の男にふさわしい顔つきを持っている。カザフスタンなどの隣接する中央アジアの映画を観ると、登場人物の顔つきの豊かさに驚く。明らかなアジア系と、ヨーロッパ人のような人たちが混在している。かつては国境など無かったこれらの土地では、人は自由に行き来し、土地に執着することも、人種にこだわることもなかったのだろう。宗教も言語(公用語)も、後づけの文化でしか無いのだ。だから、この映画の主人公の男の顔は、その土地の歴史や記憶を継承していることが見ていて分かる。

 

馬をめぐる映画は魅力的だと思う。アイスランドの『馬馬と人間たち』(2013年)を思い出した。この映画もとても美しい映画だった。

2018.04.06 Friday

215分の映画から見えてきたのは、少しも変わらない「ニッポン国」の姿だった。

『ニッポン国 vs 泉南石綿村』 監督:原一男 2017年 215

 

東京新聞によると、2018年4月4日は、安倍晋三総理大臣が新人官僚約750人の前で訓示をした。「国民の信頼を得て負託に応えるべく、高い倫理観の下、細心の心持ちで仕事に臨んでほしい。」と呼びかけ、今年が明治維新から150年であることを踏まえ、当時は若い官僚が近代化の基礎を作り上げたと紹介。「先輩たちに負けないくらいの気概を持って、仕事に取り組んでほしい」と求めたそうだ。『ニッポン国 vs 泉南石綿村』を観た翌日にこの記事を読み、苦い汁が喉の奥から染み出すような感覚を覚えた。安倍総理はよほど明治150年が好きなのか、このタイミングで近代化の礎を持ち出さなくても良さそうなものだけれども、そこまで遡らないと立派な先輩はいないのだろうか? と思ってしまう。いや、「先輩たち」と言えば、つい先日、役人魂を徹底して官邸を守る答弁に終止した偉大なる「先輩たち」が直ぐに目に浮かぶ。絶好のタイミングでの訓示だから「あの姿がみなさんのあがりですよ」と言ってくれればよかったのに。

 

こんなことを書いているのには理由がある。『ニッポン国 vs 泉南石綿村』を観て幾つものシーンが他の映画とも重なったからだ。映画の終盤に厚生労働省に謝罪を求めて訪ねる原告団を迎えたのは、入省から数年だろうと思われる若い職員だった。しかも総務課(おそらく労働基準局)だという。厚労省には「アスベスト問題」に特化した対応部署があるはずだ、なぜ総務課のあなた達なのか?と詰め寄る。その後の対応に現れたのは安全課(おそらく労働基準局安全衛生部安全課)だと名乗る、やはり若手の職員だった。原告団の柚岡一禎は「我々が十数人で来ているのに、何と失礼な対応か!」と怒る。既に最高裁の判決で国は敗訴している。原告団は厚労大臣からの直接の謝罪を求めていた。数日にわたる直訴の場には、上司と思われる担当者は現れるものの、この件の直接の担当者も、当時の塩崎大臣も姿を見せない。同じ国賠訴訟の一部は差し戻しの対象だという理由からだった。厚労省は誰の方を向いて仕事をしているのか? つい最近、財務省に対して多くの国民が感じた疑問は、ここにも横たわっている。もちろん、この映画だけに現れたことではない。すぐに思い当たるのは三上智恵監督の一連の沖縄映画である。高江の住民にまともに向かい合わず、口ごもった対応に終止する沖縄防衛局の職員たち。「オスプレイはここには来ない」と言い続けてごまかしが効かなくなった防衛省の担当者。あるいは、水俣病の映画に出てくる厚生省(当時)の門前でのやりとりは、この国の省庁の体質が何ひとつ変わっていないことを思い起こさせる。

 

水俣病の映画と言えば、患者たちのリーダーだった川本輝夫とこの映画の柚岡一禎を重ねた人もいたかもしれない。国が抗告しないように首相に直訴すると言い出し「建白書」を準備して手渡そうとする姿や、厚労省に強引に入ろうとするその無謀な怒りは、かつてチッソに直訴し、島田社長の目の前であぐらをかいて詰め寄る川本輝夫の姿に重なる。しかし、原一男監督が言うようにこの一連の裁判には、水俣病闘争のような爆発的な怒りは、その発露の場所もぶつける当事者もいない。状況を詳しく知っているのかどうかも怪しく、上司から言いつけられた若い職員が、誰かに見せるかどうかもわからないメモを取り続けるだけだ。まるで花見の場所取りのように、陳情団への対応は、若い職員の通過儀礼だと決まっているかのような無意味な対応だった。映画を観ながら、「もしかするとこうした対応は、水俣病の教訓から学んだ所作なのかもしれない」などと考えていた。裁判闘争は手続きの連続であり、怒りを直接ぶつけても、それらが反映される見込みは少ない。怒る側は常に同じメンバーで、対応する側はすぐに担当者も変わる。水俣と同じように、運動で要する時間は病んだ被害者を次々に死なせていく。結審を見ずに死んでいった泉南の被害者たちは、映画の最後に遺影として現れる。21人。映画の撮影は8年に及んでいるというから、最後に数えられた死者たちは、映画の中ではそれぞれの生きた証言をしている。映画が静止するたびにその人が亡くなった日付が出てくる。こうした裁判の手続きは、原告が死ぬのを待っているようにゆっくりと進んでいく、といえば言い過ぎだろうか?

 

東日本の震災と原発事故から7年が過ぎた。仮設住宅の住人や自主避難をした人たちは、住宅費の打ち切りや理不尽な退去を強いられている。補償を巡っては水俣と同じことが起こるだろうと、原田正純医師は心配しながら他界した。水俣病では認定と補償をめぐって、医学は患者の側ではなく、国の側に立って被害者たちを線引した。アスベスト訴訟でも、家族や近隣者は同じような症状であっても線引され、補償の対象から外された。訴えを起こしている人たちに共通することは、国策に等しいエネルギー政策や、高度経済成長を牽引した産業の犠牲者たちだということだ。

215分の映画から見えてきたのは、「ニッポン国」の姿だった。戦後から少しも変わらずに、脈々と代替わりを繰り返しながら「ニッポン国」という巨大な何かを支え続ける人たちと、その成長を最底辺で、目に見える形で支えながら、時期が来れば棄民のように虐げられた人たちだった。

2018.03.17 Saturday

『願いと揺らぎ』を観たら、何かを知った気になっていた自分は何なのか、と問うしか無い。

『願いと揺らぎ』

監督・撮影・編集:我妻和樹 2017年 147

 

この映画が『波伝谷に生きる人々』と結びついたのは、映画が始まって少ししてからだった。じつは、何も予備知識を入れないで観に出かけたので、山形で上映されていた震災関連の映画くらいの事しか知らないでいたのだ。『波伝谷に生きる人々』を見逃していたために、それが2005年からこの地域との関係を持ち、2008年から継続的に撮影されている映画だということも知らなかった。そしてまた、多くのことを知った気になってしまった。

 

1時間ほど過ぎた頃から不思議な既視感を覚えていた。何処かで観たような感覚その感覚は、映画が厄年の男性の厄払いのために集まった、この地域では恒例らしい酒席を映し出した時に、ふとある映画と重なった。小川紳介の『三里塚・辺田部落』(1973年 146分)だった。帰宅してから『願いと揺らぎ』のHPをみていたら、「コメント」として本田孝義さんが、『三里塚・辺田部落』を取り上げて書いていたのには驚いた。彼は“揺らぎ”という言葉に反応し、小川紳介の映画が「村が揺れる」と評されたはずだといい、モノクロの画面もそれを想起させた、という。後から調べると1分しか違わない二つの映画の上映時間も、偶然の類似ではないのではないかという気にさせる。僕が辺田部落を思い起こしたのは、あの座敷で繰り返される一連の「思いのぶつけ合い」だった。カラオケが始まった座敷で、極端に接近したカメラはむしろ声を録るためにそうしたのかもしれないが、「何もこんなうるさい場所で話を聞かなくても」と思いながらも、成り行きでそうなってしまった状況に身を任せるしかない作者は、映画の撮影者というよりは明らかな当事者だった。実際にこの酒席のシーンはとても冗長で、どこまでが必要なコメントなのかは、判じかねる部分であった。それでも、酒の力も借りて発せられる何人かの言葉を大切にしようと思った作者は、もはやこのシーンが長すぎるとは思っていなかったのだろう。まるで必要な儀式でもあるかのように、丁寧に(というよりは、可能な限りの一部始終を)記録している。『三里塚・辺田部落』との類似を指摘することは、この映画にとってはたぶん意味が無いのだろうが、辺田部落の集会所は、極度の緊張感を持った沈黙が時間を支配している。行き詰まるような空気は、抵抗運動によって逮捕された若者たちを集落全体で心配しながら、先の見えない運動への閉塞感と疲弊が伝わってきた。

 

当事者と言えば、再開したワカメ漁でも思い当たる。残った数隻の船を使い、漁業者全体で役割分担をしながら進めていく作業は、その段取りや作業スピードなどから相互の不満が募っていく。ある日の作業の終わりに、翌日の段取りを説明するシーンは、見ているだけで息苦しい。作業をふた班に分けるのだと説明をするリーダーは、どうやってふた班に分けたらいいのかさえも言い淀んでいる。不機嫌そうにタバコを咥えている者がいれば、言われればそうするとばかりに何も言わない者もいる。些細なことのように思われることさえ、決まるまでの重々しい空気がそこにはある。そんな状況を見つめる撮影者は何を考えていたんだろうと、ふと思う。鬱陶しい空気は、この映画の主題でもある「お獅子さま」の段取りでも何度も現れる。若い者が中心となって、この地域の慎ましい祭り事を再開したいという。それは「講」(という呼び名だっただろうか?)の長が中心となって決めればいいと、年長者はいう。確かに「講」という互助会に似た制度は、他の地域でもみられる。小さな漁村では、みな同じように漁業によって収益を得ているから、何か不測のことがあれば相互に助け合う。極小の保険制度のようなものだ。その長は、今は代替わりをしようとしているが、集落の決め事はその長を中心とした集まりで決められる。こうした決め事の制度は、小さな集落を守るための良さでもあり、閉鎖的なシステムと言われてもおかしくはない。それでも、「お獅子さま」は、集落の総意がなければ少しも進まないと、新しい長は考えている。年長者は相談されることを待っているようにも見えるし、遠巻きに見ているだけのようでもある。これもまた、地域独自の腹の探り合いとでも言えそうな状況だ。鬱陶しく、息苦しく、また愛おしい。「お獅子さま」がこの集落の人たちのために、この集落の人達が営む慎ましい神事であることは、この映画の核心でもある。村おこしや、観光客のためでもない小さな神事は、集落存続の要の儀式であり、そのことだけが、かれらを繋ぎ止めているのかもしれないとさえ思う。

 

この映画のもうひとつの魅力は、作者の我妻和樹が、元々は民俗学の興味からこの土地の「お獅子さま」やそれを継承する人たちを取材していたということかもしれない。映画を作ると意気込んでこの地を選んだわけだはなかったのだ。「映像人類学」といえば、学術的な調査の延長で写真や映画での記録を始めた学者の仕事を指すのが通例なのだが、実は、個人映画や市民映像にもその原点をみることができる。日本では渋沢敬三やその仲間による「アチックミューゼアム」のフィルムを確認することが出来る。もちろん、明治の日本で初めて日本人を撮影した、コンスタン・ジレルやガブリエル・ヴェールも日本の風土や民俗を記録している。重要なことは、撮影者と対象との関係にどの程度意識的であったかという点である。そうしたアマチュア映画と民俗学的資料映画との結節点として、ある種の「憑依関係」に最も意識的であったのは、ジャン・ルーシュであったと記されている(『映像人類学』箭内匡 「序章 人類学から映像—人類学へ P14」。「人類学者がカメラになる」という現象をある種の憑依であるという。そこではおそらく、長期の滞在や調査が可能にした独自の「共犯関係」が前提となるはずだ。長期の取材と対象者との共犯関係と言えば、自ずと小川紳介や土本典昭が浮かんでくる。彼らのカメラマンも、ある種の憑依を体験していたのかもしれない。我妻和樹の撮影にも、そうした憑依や共犯関係をみることは難しくない。むしろそれこそがこの映画の魅力のひとつなのだ。長期の取材が可能にしたとか、プロにはできない密着の態度などと中途半端に褒めることはやめにしよう。この映画の撮影者は明らかにこの土地の人々や風土に取り憑かれているのだ。

 

震災と津波から7年が経過しても、2011年3月11日から2012年への1年間は、その「7年」の中に組み込むには大きすぎる1年間だったのだと思う。もちろんそれは、2年目以降には何かがいい方向に動き出し、年を追うごとに苦しみが緩和されていったという意味ではない。むしろ、人口の流出や帰還の困難が明らかになり、土地を放棄する絶望を選択肢として突きつけられた地域では、ここ1、2年に大きな決断があったはずだ。数年後には元の暮らしができるという僅かな希望さえも奪われた人々は、今でも避難を強いられている。

 

南三陸町波伝谷地区が、日本の沿岸部であればそれほど珍しくはない、慎ましい集落であったことは、映画を観れば理解できる。そして東北の広域で、こうした被害が発生したことも知っている。そう、知っている、はずだと思っていた。われわれはいったい何を知っていたのだろうか? と映画を観ながら問うていた。3.11以降に作られた多くの記録映画を観ていた。そこで語られる事実や住民の困難も、たち行かなくなった農業も、水産も、畜産も、再興までの道のりの長さを想像させた。どの程度の被害があったのかも、幾つもの数字を見ながら知っていたのだ。実際に自分がその場所に立って観たことがあるのは、2012年8月の宮城県石巻市だった。自分の目で観た風景は、被害の総量からすれば僅かなものだが、計り知るには十分な姿だった。だからまた、知った気になっていた。

 

南三陸町波伝谷地区の、震災の前と後とがこの映画には記録されている。地域に入る動機が「お獅子さま」であったとしても、地域の前と後の貴重な記録であろう。震災後に知ろうと思って身構えていたことよりも、はからずも知ることになった責任の重さを、もしかすると作者は感じていたのだろうか? 取り憑かれるようにカメラを回している人を見たときに、映像を通じて知っていることなど、大したことはないのだと、言い返されている気がした。

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スーパー・アヴァンギャルド映像術―個人映画からメディア・アートまで (JUGEMレビュー »)
佐藤 博昭, 西村 智弘, 「Cine Lesson」編集部
SVP2を主催する佐藤博昭の共著本。
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