<< まずは映画を学ぶ学生が積極的に参考にするべき一冊 | main | 確かに希望が描かれているはずなのに清々しい気持ちになれないのは、構造的な貧困の連鎖と失われていくものの大きさが、重く深くのしかかってくるからだろうか? >>
2019.08.25 Sunday

この子らの絶望に対して、自分にできることは何ひとつ無いという絶望

『存在のない子供たち』 原題:Capharnaüm(カペナウム)

監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキー 主演:ゼイン・アル=アフィーア

2018年 レバノン、フランス 125

http://sonzai-movie.jp/about.php

 

目の前に広がる風景は、一体どこの地域なのだろうかと、自分の記憶や既視感を手繰り寄せてみる。どうやら中東のどこかであるらしい。僅かな知識でも、その少年の目を見れば、最貧困層の居住地域らしいことだけはすぐに解る。難民キャンプではなく居住地域。どこからか逃れてきたのかも知れないが、仮住まいではない積年の生活感が、彼らの貧相な持ち物からも窺い知ることができる。幼い子供たちがゴロゴロと雑魚寝をする小さな部屋は、彼らの薄汚れた衣類からの匂いさえ感じることができる。少年・ゼインは、この家庭では子どもではなく、ごく若い労働力でしかない。すれ違う学校の送迎車の前面には、そうして荷物を運ぶことが違反でも非常識でもないと言わんばかりに、通学用のリュックが無造作に押し込まれている。まだマシな子どもたちが、幼い労働者を見ている。当たり前のように重労働を日課として、仕事を終えるといくつかの食料をもらい、ついでに見つからない程度に盗む。小さな商店の雇い主は、その家族の家主でもあるらしい。路上ではどうやって作ったのかはわからないが、赤い飲み物を並べて自家製ジュースと称して売る。「死なない程度に生きる」という、どこかで聞いたような言葉が浮かんでくる。映画に映し出されるこうした細部が、物語の強度をさらに補強するかのように、その少年の目は鈍い輝きを大人たちに向ける。

 

あるとき、妹・サハルの初潮に気がついたゼインは、汚れた下着を洗わせ、自分のシャツを股に挟ませて、それを隠そうとする。いつもの商店で生理用品を盗む。なぜか? 同居している子供たちは皆幼い。もしかすると以前には姉がいたのかも知れないが、初潮を合図に、人身売買のような結婚をさせられたのではないか? あるいは、そういうことが、この地域でいくらでも起こっていることを、ゼインは知っていたのかも知れない。妹を連れて逃走を図るが、両親に察知されてしまう。ゼインは家を出て、バスに乗って別の場所へ逃げる。そこが今いるここよりも、少しもマシな場所でないことは、少年にも解っているのだろう。粗末な遊園地で働いていた不法移民のラヒルが、乳飲み子の子守をさせることと引き換えに、ゼインを同居させる。ラヒルも同様に、貧しさと不法移民である身分に怯えている。冒頭にシーンは、ここからラヒルとゼインに起こることと繋がっていた。

 

妹はいつも働いている商店主と結婚をさせられ、その後に大量の出血で死んだという。結婚は僅かな家賃を大目に見てもらうためだった。ゼインが収監されるのは、妹の死を知って、商店主を刺してしまったからだ。ゼインの妹・サハルが11歳で強制的に結婚をさせられるという嘘のような展開は、物語を意図的に加速させる手段ではなくて、そこにある十分に日常的な出来事なのだ。イスラム教圏の映画では、こういう理不尽な強奪に似た結婚を目にすることがある。イスラム教徒が多様であることは解っているつもりだけれども、特に原理主義に近い宗派では、なぜ、こんなに幼い女と結婚しようとするのだろうか? この奇妙な慣習の意味は未だによく解らない。

 

この映画は予告編や宣伝文句にあるように、両親を12歳の子供が訴えるという驚きの事件とその裁判を設定している。「自分を生んだ罪」という荒唐無稽にも思われる罪状が、ゼインの決意のすべてだった。「もう子供を作るな」と裁判所で訴えるが、両親の苦悩は、子供に優しさを欠いたことではなく、自分たちの境遇と絶望の連鎖だった。そして、映画としての圧巻はそのキャスティングにある。少年・ゼインの眼差しを発見したことは、この眼差しが映画に現れることはもう二度とないだろうという確信と共に、記憶にとどめておこう。家族や近親や周囲の者を演じるそれぞれも、実際にも似たような境遇を体験している人たちであるらしい。プロの役者たちではない。そのリアリズムはイランの劇映画にも似ている。こうしたキャスティングは、劇映画が持っている物語りの強度が、史実や事実を踏み超えていく可能性を示している。この映画の様々な設定は、登場人物の実際の体験談から着想されているという。特別な史実や事実を再現しなくても、悲劇は日常的にそこにあり、物語は嫌でも前に進むしかなく、絶望は将来と同義なのだ。

 

レバノンを外務省の基本データを検索してみると、1943年にフランスから独立し、経済的には豊かだったが、いくつもの内戦で疲弊が続いている。キリスト教とイスラム教の18宗派が混在し、宗教と権力の集中を避けるために各宗派に政治の要職や議席が割り当てられている。イスラエル、シリアとの関係は、現在でも常に危うい均衡でしかない。劇中にでてくる通貨「ポンド」はレバノン・ポンドで、1ドルは約1500ポンドなので、ゼインが食料や廃品を売り買いする場面(例えば250ポンドで買える食べ物を探す、水タンクを外して1万数千ポンドで売ろうとする)での物価が解った。

 

映画のHPによると、原題:Capharnaüm(カペナウム)はアラビア語でナフーム村、フランス語では新約聖書のエピソードから転じて「混沌・修羅場」の意味で使われる、と記されている。また、実在の少年・ゼインはいま、家族とともにノルウェーに移住しているらしい。国連難民機関の助けを借りることが出来たのは、僅かな希望か。ゼインの表情が、一度だけ笑顔になるのは、ラストの写真撮影の時だ。カメラマンの指示で、不器用に少しだけ笑う。おそらく、実際の出来事でもある難民申請・第三国定住のための証明写真撮影なのだろう。

コメント
コメントする








 
Calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>
翻訳ツール
Facebook svp2ページ 更新情報
Selected Entries
Categories
Archives
Recent Comment
Recent Trackback
Recommend
戦うビデオカメラ―アクティビズムから映像教育まで
戦うビデオカメラ―アクティビズムから映像教育まで (JUGEMレビュー »)
佐藤 博昭
佐藤博昭、渾身の一冊です。個人映像の展開へのヒントになれば…。
Recommend
シリーズ 日本のドキュメンタリー (全5巻) 第1回 第1巻 ドキュメンタリーの魅力
シリーズ 日本のドキュメンタリー (全5巻) 第1回 第1巻 ドキュメンタリーの魅力 (JUGEMレビュー »)
佐藤 忠男,吉岡 忍,森 まゆみ,池内 了,堀田 泰寛,小泉 修吉,矢野 和之,佐藤 博昭
Recommend
Recommend
映画は世界を記録する ドキュメンタリー再考(日本映画史叢書 5)
映画は世界を記録する ドキュメンタリー再考(日本映画史叢書 5) (JUGEMレビュー »)

佐藤博昭が「ビデオ・ジャーナリズムの現在」の項を担当しています。
Recommend
スーパー・アヴァンギャルド映像術―個人映画からメディア・アートまで
スーパー・アヴァンギャルド映像術―個人映画からメディア・アートまで (JUGEMレビュー »)
佐藤 博昭, 西村 智弘, 「Cine Lesson」編集部
SVP2を主催する佐藤博昭の共著本。
Links
Profile
Search this site.
Others
Mobile
qrcode
Powered by
30days Album
無料ブログ作成サービス JUGEM