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2019.08.24 Saturday

まずは映画を学ぶ学生が積極的に参考にするべき一冊

『映画で実践! アカデミック・ライティング』

著者:Karen M.Gocsik / Dave Monahan / Richard Barsam

訳者:土屋武久 小鳥遊書房 2019年3月28日発行

 

ある大学の講師室で、向かいの席の先生と学生の論文やレポートについて「どうしてこんなに簡単に書いてしまうのだろうか?」と、その傾向や特徴について話をしていた。何かについて書くということが、あまりにも簡単に「処理」されていることに、驚きと危機感を持っていたからだ。危機感とは言うまでもなく「盗用」や「剽窃」への無自覚だし、「先行研究がないので書けません」とか「参考文献が多いほうが書きやすい」などと恐れ知らずなことを口にしている学生もいる。どういう意味なのかは考えないようにしている。論文やレポートはその分量に関わらず、自分が書き残す持論であるという意識が欠如していて、文字数を埋める作業が単位取得のための手続きになってしまっているからだ。

「ちょうどいい本がありますよ」と勧めてくれたのがこの本だった。「映画で実践!」というタイトルがとても気になって、早速読んでみた。読み始めた頃に、ちょうどその大学の講師連絡会があり、訳者の土屋武久先生を紹介してもらって、「ちょうど今、お借りして読み始めたところです」と伝えると、研究室にあった本書を「そうですか、どうぞ、どうぞ」と気前よく差し出してくださった。だからというわけではなく、早速、自分のゼミの学生たちには本書を推薦した。自分と学生の双方にある当面の課題に見事に合致していたからだ。

訳者のあとがきによれば、2013年に刊行された原書のタイトルはWriting About Moviesなので、もともとは映画についての論文作法を主眼にしていたことがわかる。実は、映画について書くことの困難さを、どうやって学生に伝えたらいいものかと、ここ十数年に渡って考えていた。本書の帯が「すべての大学生必携。映画でならわかる、映画でならできる、論文・レポート作成術!」と強調しているのは、いくつかの理由があるだろう。前提としては、多くの学校で共有している、論文・レポート制作の危機的な状況があると思う。そして「先行研究をたくさん読むよりは、映画で見ることのほうが楽ちんでしょ?」という現状を反映したやや残念な問いかけと、「映画を見ることで様々な国と地域の歴史や社会の細部が見えてくるし、過去の映画は、それ故に優れた一次資料ですよ」と、映画の資料価値を再発見させようというポジティヴな側面も読み取ることができる。僕自身が授業を担当している学校や科目名を見ても、それが芸術や表現の学校だけではなく、社会学部であったり、環境教育学科であったり、文化人類学特講という科目名で映像制作について取り組んだりと、映画や映像はまさに横断的に取り込まれている。もちろんこれまでにも、研究対象の資料としての映像は活用されているし、映像制作は企画力、構成力、交渉力、取材力、撮影や録音、編集の技術など、複合的な能力を養うことに適している。映画や映像を教材とすることや、制作体験をすることはとても意味があると、機会があればそういう話をしてきた。映画や映像を専門としない学生たちが、論文やレポートによって映像の面白さを再発見してくれれば、それはとてもありがたい。あとがきによれば、英語圏ではスタンダードなハンドブックとして知られていて、300以上の大学で教科書として採用されているという。

もちろん、本書が映画や映像を専門とする学生にとっては、まさに「衝撃的」なありがたさであることは間違いない。まず目についたのは、著者のひとりにリチャード・バーサムRichard Meran Barsamの名前があったことだ。著書に1973年のNONFICTION FILM : A Critical Historyがあり、『ノンフィクション映像史』(山谷哲夫/中野達司:訳 創樹社 1984年)として出版されている。この本は直ぐに手が届くところに置いていて、頻繁に参照するので著者の名前に記憶があった。英米語圏の映画を中心に扱っている信頼できる通史であるし、個々の用語の定義や作品の解釈もわかりやすく、固有の解釈や視点も散見する。他の二人の著者との分担はわからないけれども、映画の扱いが一級であることは確信できる。類書によくあるような自称映画通による「映画で学ぶ〜」の類とは、既に明らかに違う。

読み進んでいくと、本書の主眼が、論文作成のための手順を丁寧に解説することにあることがよく分かる。そしてその例示がすべて映画の細部であり、その選択された映画もまた面白い。書くための準備と実践の方法の割合はほぼ半分で、巻末には多くの用語解説にスチルカットや図版が付されている。

 

 

 

「第1部 書くための準備」では、まず映画に親しんできたことと、映画について書くということは明確に違うし、映画への親しみが、書くことの困難さを招いていることを指摘する。食事をしながら映画の感想を出し合って楽しむことと、研究者が他の研究者たちにむけて、自分の主張をしてその論拠を裏付けることとは、大きな隔たりがある。こんな指摘から始めるところに、本書の優しさがあると言ってもいい。最初のステップは、喫茶店の雑談からもう一歩先に進むことなのだ。自分が見てきた映画のことをまずは書き留めること、それを誰かに話して聞かせること、読ませること、誰かの意見と比較すること、ある時は論議すること、こうした最初のステップでさえ、映画を専門としている学生にも困難なハードルになってきている気がする。自分の解釈を誰かに伝えることを恐れているからだ。だから独自の解釈をしないし、誰かが書いたことの受け売りのほうが安全だと考える。負のスパイラルを壊すのは簡単ではない。だから「◎どうしたら学術的に考えられるか」という項の問を、更に噛み砕いて説明しなければならない。「◎要約する」「◎評価する」「◎分析する」「◎総合する」という平易なプロセスを具体的に示すことで、少しずつ前に進んでいく。

「第2章 映画を鑑賞する」は、映画の話に終始しているので、笑ってしまうほど具体例が面白い。例えば「◎理由を考える」では、「わけがわからないと感じたことに注意を払う。これが一番大切です。」という。そして「以下に実際の作品名をあげながら、具体例をあげておきます。」として、その具体例の中には「スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』では、なぜクレジットがエンディングではなくオープニングに流れるのか?」「トム・ティクヴァ監督の『ラン・ローラ・ラン』で主人公が駆けるシークエンスの一部に、なぜアニメが使われているのか?」「クエンティン・タランティーノ監督『レザボア・ドッグス』には、ヴィック・ベガがマーヴィン・ナッシュの耳を削ぐシーンがあるが、このときカメラはなぜあらぬ方向を向いているのか?」などと列挙されている。そして「こうした疑問が、実り多い再鑑賞、分析、執筆のタネとなるのです。」と、この項を締めている。明らかなのは、映画を学ぶ学生以外は、こうした問いの答えを探すことはないだろうけれども、こうした例示でも、執筆の後押しをしてくれるのが映画だとすれば、映画について書くことへの興味が喚起されることは間違いないということだ。「◎プロットを分析する」「◎ショット分析チャート」の項も、映画を学ぶ学生ならば必ずしなければならないことであり、極端に映画に寄り添った記述は生き生きとして楽しい。こうした悪ノリのような例示も、本書の魅力のひとつだ。

「第3章 形式分析」と「第4章 文化的分析」は、映画について書くことの困難なハードルを示している。僕自身も、この両者の差異、横断、越境には危険な魅力を感じている。「映画批評や評論のほぼすべてが、形式分析の形をとる」とは、映画を構成する複合的な諸要素を解体することだという。「語るのではなく、示す」ということは、撮影、音響、照明、編集、演技などの技法に関わる技術的な成果を、写実的な言語で描写して、描かれようとした概念から一旦は遠ざかり、文章によって再度その中心に近づこうとする試みを指している。形式と内容は簡単に分離できるものではなくて、そもそも複雑に絡み合っているのだから、これは高度な分析術を要求しているのだが、ここで問題にしているのはそれを言語によって描写する心構えと作法だと言っていい。厄介なのは、演出に関わる部分の分解で、これは全体を構成する物語にも関わってくる。モノとカタリの複合的な関係が世界観を形成していれば、視点と語り口、描写される細部と全体との行き来は、まさに映画のストーリーテリングの醍醐味なのだ。「◎明示的および暗示的」の項で示されているもの、つまり、映画に内在するメッセージや意味は、画面そのものには写っていないという自明の事実が、言語化を戸惑わせる。推論や思い込みは、それが切れ味の鋭いものであったとしても慎重に吟味しなければならない。こうした注意点も、うかつな論文にはしばしば現れるし、かと言って見えているものだけが詳細に描写されても、論文としては魅力を失いかねない。

続く「第4章 文化的分析」では、不可視の領域をどのように手繰り寄せていくかが記されている。プロフェッショナルによって吟味され、巧妙な技法で可視化されたイメージは、見ているだけでその魅力を受容してしまう。それは同時に、メッセージを潜在させたり、意図を見えにくくしたりする。映画にとっては隠すこと、見せないこともまた、演出の重要な要素である。文化的分析はもちろん映画批評に限って現れるわけではなく、文学や絵画、舞台など様々な表現に現れるいくつもの層を、横軸や縦軸を基準に考察することは、理論的な枠組みを作る基本である。この項では〈マルクス主義〉〈フェミニズム〉〈人種とエスニシティ研究〉〈クィア理論〉などを横軸の大項目としてあげて、映画のジャンルやストーリーの定形と対照して論じている。言うまでもなく、国や地域の歴史や宗教、文化、言語、慣習、風俗はその国を熟知していれば容易に理解できる事柄であっても、観客には縁のなかった国の出来事は、映画の中で何が起こっているのかさえも理解できないことがある。例えばアイスランドが舞台の映画で、馬がある地域とどのように関わって来たのか、歴史的な悲劇として何が起こったのか、隣国との関係はどうだったのか、といったことは、描かれた地域の人達にとっては常識である場合、映画では丁寧に説明されないことはよくある。そのことを知っているアイスランドの研究者は、より優れた映画の批評が可能なのだろうか? このことは、僕が研究室にいた20代前半に、担当の先生に尋ねたことがある。僕も自信のある回答を持っていない。映画のパンフレットに寄稿される、その国や地域の研究者たちの論考はしばしば魅力的ではある。しかし、それらが、スクリーンに現れた事象の補足説明にとどまっていることもある。ロシア史家によるロシア映画論と、ロシア映画研究者によるロシア史分析は、いくつもの交差点を持ちながら相互補完的に魅力的である。それはどちらか一方の立場の人が特権的に専有できるものではないし、論議の広がりは映画にとってマイナスであるとは思わない。本書でも指摘されているように、公開から時間が経ってから大きな評価を受ける映画もある。いずれにしても重要なのは、論者の立場を表明することだと思う。そのためには理論的枠組を予め示すことができるように、強固な基礎やフレームを作り上げることだ。

 

「第2部 どのようなプロセスで書くのか」は、具体的な作業の手順が書かれているのだが、ここでも解りやすいトピックを立てて、段階的に少しずつ前に進ませてくれる。本当に親切な構成だと思う。内容については細かく触れることはしないが、「第9章 文体に気を配る」は、翻訳作業が大変だっただろうなと推察する。動作主(actor)と動作(action)との関係を明確にするために、語順を整えたりしなければならない、という指摘なのだが、原文が英語なので、ここでは英文を示していたほうがわかりやすかったのでは、と思ってしまう。おそらく日本語の文法でこのニュアンスを伝えるための工夫がなされているのだと思う。同様に「抽象名詞はやはり抽象的である」や「抽象名詞はロジックを曖昧にする」という指摘も、語句の選択や語順の変化を補うためにも例文は原文も併記してあれば良かったのかも知れない。いずれにしてもこの章では、わかりやすく、簡潔な文章にするために、もったいぶったり、過剰な言い回しを避けるという原則が書かれている。とても重要な項目だと思う。

最後に、最終章に当たる「第10章 推敲」の項で気がついたことを指摘したい。推敲という用語は「読んで字のごとく、『もうひと推ししたり、敲いたり』することが必要なのです。」と訳出されていて面白い。辞書的には推敲=polish, revise, improveなどが挙がっているけれども、章のタイトルはrevising your workなのでreviseなのだけれども、「読んで字のごとく」に相当する原文はどのようなものだったのだろうかと興味を持った。こういう言葉の選択が、翻訳作業の面白さでもあるのだろうと思う。推敲、校正、校閲、校訂、訂正、改正、いずれも文章が人前にさらされる前に、繰り返し確認し、再度見ることで誤りを直すだけでなく、より良く、わかりやすくするための手続きであって、これが一番大切な作業なのだ。(丁寧に見ていても、トピックセンテンスが一度だけトピックセンスになっている、などという見落としはあるものです。)

参考資料の「図解による映画用語解説」はとても解りやすい。そして選ばれた図版にもユーモアがある。例えば「クローズアップ」の説明では、他にいくらでもクローズアップの好例や美しいカットはあるはずなのに、バンクシーの『Exit Through the Gift Shop』のワンカット(ミスター・ブレインウォッシュの顔)が選ばれている。このクロースアップは美しくないし、意図的に冴えない。これはおそらく「超クローズアップ」の説明でスパイク・リーの『Do the Right Thing』の口元と時計のカットと対応しているお遊びなのではないかと思う。

 

これまでに、論文を書くための参考文献や文章作法の本もいくつかあたってみたが、それこそ、作業や手続きのための指南書であってはなんの意味もない。かと言って、本格的な学術論文のルールを示したものは、膨大な作業量を誇示するようで、取り組み段階のゼロから1〜2までのハードルが高すぎる。例えばウンベルト・エコの『論文作法』を薦めたこともあるのだが、あの数年を後悔している。この本はとても面白いけれども、冗談や皮肉も多くて真意を探るのにひと手間かかる。博士論文以上の学術論文を対象にしているので、調査や、資料作成、作業計画。各種カードの作り方など、全体の3分の2に及ぶ準備段階の作業手順の詳細な説明で、絶望的な気持ちになること必至である。学生に「書くな」と言っているようなものだった。この本の前提はイタリアでの大学の大衆化に抗う姿勢であって、「.7.指導教員に利用されるのを回避するには」 などという項目もわざわざ設けてあり、同業者や学者を挑発しているようにも読める。いや、そういう記述がいくつもある。それでも、学生や若い研究者たちには「君は指導教員に私信を書いたのではない。潜在的には人類宛に一冊の本を書いたのだ。」といった記述で叱咤激励している。「引用、敷衍説明、剽窃」の項目もあり、それぞれの誤りを例示しながら解説しているので解りやすいはずなのだが、その例示がまた難解だったりする。読み物として楽しめるが論文作法としては奇書の類いかも知れない。

ここ数年は、後悔と反省を踏まえて、基本的な論文作法や表記のルールについては、京都精華大学の佐藤守弘さんがweb siteで公開している「学術論文を書くために」(2012年改訂版)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/b-monkey/howto.htmlを学生には紹介するようにしていた。それでも、こういう丁寧なサイトを予め見てくれているのかは疑わしい。「引用は多いほうがいいんですか?」などと問われると、上述のエコとは別次元で悩ましい。

そうなると、作業前に推薦するのは解りやすい文章の作法に落ち着いてしまい、本多勝一の『日本語の作文技術』をまずはクリアーしてほしいと願っていた。本多勝一が示す作文技術には、文章の構成を理解して整理すれば解りやすくなる、という基本的な姿勢が一貫していてる。主・述や修飾関係を近づける、語順を入れ替える、テンのうちかた、改行の考え方、カッコの使い方など、そのまま自分の文章の推敲に応用しやすいところが優れている。一方で、外国人の人名表記など、分かち書き(・、=、)のルールの説明は現在普及しているものとは違っているし、数字の4桁区切りを主張しているところも、本多らしいのだが、今、それを使うとかえって分かり難い。それでもこの「技術書」は現在でも学ぶところが多い。

エコの『論文作法』がそれでも十分に魅力的でカッコいいのは、第讃蓮,爐垢咫,亮,琉貶犬書かれているからだ。この項は「本書のむすびとして二つの考察を行いたい。論文を作成するのは楽しむことを意味するし、論文とは、何も無駄にはならない点で、豚みたいなものなのだ。」と始まる。日本人であれば、挑発的に「クジラみたいなもの」と書くだろうか? 論文を書くことの楽しさは、それが「一種のゲーム、賭け、宝探しとして体験できること」であるし、「挑戦者は君なのだ」と自覚できる瞬間の悦びに似ている。

今の学生にとっては、書くことが苦痛でしか無いか、あるいは楽勝で「処理」できる類の処世術のように誤解されていることが、何よりもひどく残念なのだ。

 

 

この『映画で実践! アカデミック・ライティング』を、論文作法の参考書に推薦することはもちろんであるが、自分自身が発見することが多かった。自分の文章を振り返ったり、これから書くものを推敲する時には必ず参照することになるだろう。

 

土屋武久先生、ありがとうございました。「訳者あとがき」にある危機感は僕も全く同感です。また、あのBARみたいな先生の研究室でお話させて下さい。ごちそうさまでした。

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