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2019.03.12 Tuesday

「史実に基づいた映画」という危うい魅力と困難さについて

『グリーンブック Green Book

監督:ピーター・ファレリー 出演:ビゴ・モーテンセン/マハーシャラ・アリ

2018年 アメリカ 130

 

『ファーストマン FIRST MAN

監督:デイミアン・チャゼル 出演:ライアン・ゴズリング

2018年 アメリカ 141

 

『ファーストマン FIRST MAN』と『グリーンブック Green Book』を同じ日に続けて観た後で、「史実に基づいた映画」とか「本当にあった話」という言葉が気にかかってしまった。1960年代の半ばから後半のアメリカで起こった「月面着陸」という世界的な出来事と、1962年のアメリカ南部を巡る誰も知らない旅の映画は、僕が生まれて間もない時の出来事であることで、それぞれとても興味深かった。そしてどちらも、「本当の話」だった。「本当の話」ってなんだろう? 少し前にたまたま予告編を観た『小さな独裁者』という映画には「これは、尋常ならざるサスペンスに満ちた、驚愕の実話!」と言う宣伝文がついていた。もちろん、『グリーンブック』のHPにも「〜痛快で爽快、驚きと感動の実話」と書いてある。もちろん僕はドキュメンタリー映画が好きだ。劇映画も気になった映画は、出来るだけ映画館で観るようにしている。だからこそ「事実に基づいた映画」があらためて気になってしまった。

 

史実とか実話には確かに魅力があるのだが、実は「知られざる〜」とか「驚愕の〜」とか言う言葉が、人を惹きつけているのではないかと思う。知っているつもりだった話の知らなかった部分は、知的な好奇心をくすぐる。ニール・アームストロングの月面着陸は、僕らの世代であれば、誰でもが知っていることだし、僕は記念切手も持っていた。しかし、その妻や子どもたちがどんな暮らしをしていたのかも知らないし、隣人が月面着陸のテスト過程で事故死していたことも知らない。「史実に基づいている」わけだから、映画で観たことを安心して自分の知識に加えることができるし、知人に話すこともできる。それは、それで面白い。同じことは『ボヘミアン・ラプソディー』でも言えるし、『1987,ある戦いの真実』でも『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』でも、『否定と肯定 DENIAL』でも言える。

こうした史実に基づいた映画は、これまでにもたくさん作られているし、テレビドラマでも「社会派」と呼ばれるような実録シリーズはある。金嬉老事件も、大久保清も三億円犯人も、そうした実録で描かれたし、最近ではNHKスペシャルが映画化された『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』にも「知られざる真実の物語」という宣伝文句がついている。そうなると、僕らはこれまで、そんなに真実と違うことを学んでいたのだろうか? 「知られざる真実」ってなんだろう? 最近になって新たな資料が発見された、ということは時々新聞でも目にする。そういう新事実ならば、これまで知られなかったのは当たり前だから、それはそれでいいと思う。そうなると「新たな解釈」はどうだろうか? これまで一般的に常識だと思われていたことが、見方や視点を変えることで、新しい解釈ができたとする。それを表現として披露することも、知られざる真実の一面なのかもしれない。

 

しかし厄介なことに、例えばポール・シュレイダーの『MISHIMA : A Life in Four Chapters』のように、実在の人物が描かれ、主人公の三島由紀夫の原作を元にしたものであると、家族や遺族や知人からさまざまな注文がつく事がある。「本当はこうではなかった」とか「この写真撮影のシーンは事実とは違う」とか、「本当のことだけれども、本人や家族の名誉のために削除してほしい」とか、監督の解釈で描くと、大きなリスクを負うことにもなる。公開が先送りになるとか中止になるとか、とても厄介なことにもなりかねない。出演した役者が、薬物とか暴行とかで逮捕されるとそういうこともあるのだが、「史実〜」の場合は、予めリスクを承知で挑んでいるようにも見える。炎上商法のような姑息な目論見ではないにしろ、物議を狙っているように見えることもある。

 

『グリーンブック』も、アカデミー賞を受賞したために、賛否の両論が幾つもあったようだ。「黒人差別の実態はこんなものじゃあない」とか「教養のない白人移民が、教養のある黒人音楽家と交流することで、差別の実態を知り、気持ちが変化するのは、白人社会のご都合主義だ」とか。運転手のトニー・リップとピアニストのドクター・シャーリーが実在の人物でなかったらどうだったのか? 少なくともピアニストの家族から「誤解を受ける」という指摘はされないだろう。黒人差別の描かれ方については、たまたま出会った黒人ピアニストに共感したひとりの白人男性がいたとしても、その人物が架空の誰かであれば、そこまで差別の総体を矮小化していると批判されたのだろうか? 

 

史実や実際に起った事件を題材に翻案された小説や演劇や映画はたくさんある。登場人物の名前はもちろん、事件や事故が起こった場所や時代や背景、人物や家族の設定も事実とは異なるものがある。そしてもちろん、それが、事実に照らし合わせて批判の対象になることもある。思い起こせば『ディア・ハンター』をめぐって、ベトコンはロシアンルーレットをした記録はない、という本多勝一の批判は、「殺人を描いた映画は、本当は人を殺していない」といった程度の映画的な虚構を前提とすれば、歴史的な事実を背景にした映画が、もっともらしく事件や人物を描いたからと言って、それが本当のことである必要は無いのであって、その事に潔癖であれと言われれば映画などつくることはできない。『ナイトミュージアム2』を観た観客が、スミソニアン博物館ではそんなことは起こっていないと批判しただろうか? その批評の線はどこに引かれているのだろうか?

 

そもそも事実や真実などというものは、刑事裁判であっても恣意的に決定された「事実らしき前例」になっていくわけだから、解釈の入り込む余地のある事象に関しては、無数の事実があると言ってもいい。だから、事実や史実に基づいた映画でも「解釈」ができるし、その解釈を面白がっているのだと思うのだ。そうすると、上記の批判は当然、映画監督なりが解釈した現象についての、その解釈の態度や、われわれが見ることになった表現・表明に対する批判でなけれならない。アメリカ兵がベトナム戦争中にサーフォンをしようが、ベトコンが捕虜を使ってロシアンルーレットで賭けをしようが、それが事実ではないからという批判ではなく、なぜそのように描くことを選択したのかという解釈と表明の問題だと思う。

 

『グリーンブック』は1962年当時のアメリカを描いたひとつの解釈として、僕は面白い映画だと思ったので、それでいいのだと思うけれども、事実や史実にこだわって、そうすることで忠実な再現部分に注意を払うことも必要だっただろうし、それが、この映画に絶対に必要な細部であったのかは疑問だ。また、例えば最近観た映画で言えば、日向寺太郎監督の『こどもしょくどう』は、現在、日本の各地で展開されている「子ども食堂」の活動につながっている。事実、企画を聞いた当初はドキュメンタリー映画の依頼かと思った、と監督は言っている。「子ども食堂」の実態や活動が描かれたわけではないこの映画は、「こども」と「食堂」が描かれる。子供の貧困と、その背後にある親の貧困、社会保障制度の不備や、その狭間で戸惑うごく普通の親子、そして、子どもたちの不器用で衝動的な行動が描かれる。社会の現実には基づいているけれども、実在の家族や子どもたちではない。そのことがどう表現されているのか? 実在の地域や家族であったならばどうなのか? そうでなかった表現上の特異点は何だったのか? なぜ、監督は様々な映画的な細部を、このように描いたのか? そうしたことを考えることが、映画を観るということなのだと思う。

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