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2018.03.17 Saturday

『願いと揺らぎ』を観たら、何かを知った気になっていた自分は何なのか、と問うしか無い。

『願いと揺らぎ』

監督・撮影・編集:我妻和樹 2017年 147

 

この映画が『波伝谷に生きる人々』と結びついたのは、映画が始まって少ししてからだった。じつは、何も予備知識を入れないで観に出かけたので、山形で上映されていた震災関連の映画くらいの事しか知らないでいたのだ。『波伝谷に生きる人々』を見逃していたために、それが2005年からこの地域との関係を持ち、2008年から継続的に撮影されている映画だということも知らなかった。そしてまた、多くのことを知った気になってしまった。

 

1時間ほど過ぎた頃から不思議な既視感を覚えていた。何処かで観たような感覚その感覚は、映画が厄年の男性の厄払いのために集まった、この地域では恒例らしい酒席を映し出した時に、ふとある映画と重なった。小川紳介の『三里塚・辺田部落』(1973年 146分)だった。帰宅してから『願いと揺らぎ』のHPをみていたら、「コメント」として本田孝義さんが、『三里塚・辺田部落』を取り上げて書いていたのには驚いた。彼は“揺らぎ”という言葉に反応し、小川紳介の映画が「村が揺れる」と評されたはずだといい、モノクロの画面もそれを想起させた、という。後から調べると1分しか違わない二つの映画の上映時間も、偶然の類似ではないのではないかという気にさせる。僕が辺田部落を思い起こしたのは、あの座敷で繰り返される一連の「思いのぶつけ合い」だった。カラオケが始まった座敷で、極端に接近したカメラはむしろ声を録るためにそうしたのかもしれないが、「何もこんなうるさい場所で話を聞かなくても」と思いながらも、成り行きでそうなってしまった状況に身を任せるしかない作者は、映画の撮影者というよりは明らかな当事者だった。実際にこの酒席のシーンはとても冗長で、どこまでが必要なコメントなのかは、判じかねる部分であった。それでも、酒の力も借りて発せられる何人かの言葉を大切にしようと思った作者は、もはやこのシーンが長すぎるとは思っていなかったのだろう。まるで必要な儀式でもあるかのように、丁寧に(というよりは、可能な限りの一部始終を)記録している。『三里塚・辺田部落』との類似を指摘することは、この映画にとってはたぶん意味が無いのだろうが、辺田部落の集会所は、極度の緊張感を持った沈黙が時間を支配している。行き詰まるような空気は、抵抗運動によって逮捕された若者たちを集落全体で心配しながら、先の見えない運動への閉塞感と疲弊が伝わってきた。

 

当事者と言えば、再開したワカメ漁でも思い当たる。残った数隻の船を使い、漁業者全体で役割分担をしながら進めていく作業は、その段取りや作業スピードなどから相互の不満が募っていく。ある日の作業の終わりに、翌日の段取りを説明するシーンは、見ているだけで息苦しい。作業をふた班に分けるのだと説明をするリーダーは、どうやってふた班に分けたらいいのかさえも言い淀んでいる。不機嫌そうにタバコを咥えている者がいれば、言われればそうするとばかりに何も言わない者もいる。些細なことのように思われることさえ、決まるまでの重々しい空気がそこにはある。そんな状況を見つめる撮影者は何を考えていたんだろうと、ふと思う。鬱陶しい空気は、この映画の主題でもある「お獅子さま」の段取りでも何度も現れる。若い者が中心となって、この地域の慎ましい祭り事を再開したいという。それは「講」(という呼び名だっただろうか?)の長が中心となって決めればいいと、年長者はいう。確かに「講」という互助会に似た制度は、他の地域でもみられる。小さな漁村では、みな同じように漁業によって収益を得ているから、何か不測のことがあれば相互に助け合う。極小の保険制度のようなものだ。その長は、今は代替わりをしようとしているが、集落の決め事はその長を中心とした集まりで決められる。こうした決め事の制度は、小さな集落を守るための良さでもあり、閉鎖的なシステムと言われてもおかしくはない。それでも、「お獅子さま」は、集落の総意がなければ少しも進まないと、新しい長は考えている。年長者は相談されることを待っているようにも見えるし、遠巻きに見ているだけのようでもある。これもまた、地域独自の腹の探り合いとでも言えそうな状況だ。鬱陶しく、息苦しく、また愛おしい。「お獅子さま」がこの集落の人たちのために、この集落の人達が営む慎ましい神事であることは、この映画の核心でもある。村おこしや、観光客のためでもない小さな神事は、集落存続の要の儀式であり、そのことだけが、かれらを繋ぎ止めているのかもしれないとさえ思う。

 

この映画のもうひとつの魅力は、作者の我妻和樹が、元々は民俗学の興味からこの土地の「お獅子さま」やそれを継承する人たちを取材していたということかもしれない。映画を作ると意気込んでこの地を選んだわけだはなかったのだ。「映像人類学」といえば、学術的な調査の延長で写真や映画での記録を始めた学者の仕事を指すのが通例なのだが、実は、個人映画や市民映像にもその原点をみることができる。日本では渋沢敬三やその仲間による「アチックミューゼアム」のフィルムを確認することが出来る。もちろん、明治の日本で初めて日本人を撮影した、コンスタン・ジレルやガブリエル・ヴェールも日本の風土や民俗を記録している。重要なことは、撮影者と対象との関係にどの程度意識的であったかという点である。そうしたアマチュア映画と民俗学的資料映画との結節点として、ある種の「憑依関係」に最も意識的であったのは、ジャン・ルーシュであったと記されている(『映像人類学』箭内匡 「序章 人類学から映像—人類学へ P14」。「人類学者がカメラになる」という現象をある種の憑依であるという。そこではおそらく、長期の滞在や調査が可能にした独自の「共犯関係」が前提となるはずだ。長期の取材と対象者との共犯関係と言えば、自ずと小川紳介や土本典昭が浮かんでくる。彼らのカメラマンも、ある種の憑依を体験していたのかもしれない。我妻和樹の撮影にも、そうした憑依や共犯関係をみることは難しくない。むしろそれこそがこの映画の魅力のひとつなのだ。長期の取材が可能にしたとか、プロにはできない密着の態度などと中途半端に褒めることはやめにしよう。この映画の撮影者は明らかにこの土地の人々や風土に取り憑かれているのだ。

 

震災と津波から7年が経過しても、2011年3月11日から2012年への1年間は、その「7年」の中に組み込むには大きすぎる1年間だったのだと思う。もちろんそれは、2年目以降には何かがいい方向に動き出し、年を追うごとに苦しみが緩和されていったという意味ではない。むしろ、人口の流出や帰還の困難が明らかになり、土地を放棄する絶望を選択肢として突きつけられた地域では、ここ1、2年に大きな決断があったはずだ。数年後には元の暮らしができるという僅かな希望さえも奪われた人々は、今でも避難を強いられている。

 

南三陸町波伝谷地区が、日本の沿岸部であればそれほど珍しくはない、慎ましい集落であったことは、映画を観れば理解できる。そして東北の広域で、こうした被害が発生したことも知っている。そう、知っている、はずだと思っていた。われわれはいったい何を知っていたのだろうか? と映画を観ながら問うていた。3.11以降に作られた多くの記録映画を観ていた。そこで語られる事実や住民の困難も、たち行かなくなった農業も、水産も、畜産も、再興までの道のりの長さを想像させた。どの程度の被害があったのかも、幾つもの数字を見ながら知っていたのだ。実際に自分がその場所に立って観たことがあるのは、2012年8月の宮城県石巻市だった。自分の目で観た風景は、被害の総量からすれば僅かなものだが、計り知るには十分な姿だった。だからまた、知った気になっていた。

 

南三陸町波伝谷地区の、震災の前と後とがこの映画には記録されている。地域に入る動機が「お獅子さま」であったとしても、地域の前と後の貴重な記録であろう。震災後に知ろうと思って身構えていたことよりも、はからずも知ることになった責任の重さを、もしかすると作者は感じていたのだろうか? 取り憑かれるようにカメラを回している人を見たときに、映像を通じて知っていることなど、大したことはないのだと、言い返されている気がした。

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