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2016.03.22 Tuesday

僕が観たのは「牡蠣工場」だった。

 

『牡蠣工場』 監督:想田和弘 2015年 145


僕が観たのは「牡蠣工場」だった。岡山県のある港の、そこで何件かの水産業者が牡蠣の養殖を営む「牡蠣工場」だった。それ以上の情報はない。いや、本当はたくさんの情報があった。でもそれは、日本の水産業の、そのうちの牡蠣養殖業の、岡山県のとある港の、何件かの水産業者の、そこで働く何人かの人たちの、いつもの日常だった。そこで無邪気に遊ぶ子供達とか、近所で「しろ」と呼ばれているが実は「ミルク」という名前であるネコとか、後継者の不足から中国人を旅費を捻出してでも受け入れる様とか、そのために仮設のユニットハウスを62万円で購入して受け入れ準備をする様子とか、一度名前を紹介されただけでは誰だか覚えられないおばちゃんとか、総じてこの牡蠣養殖とという産業は、厳しい状況にあるのだということとか。

 

想田監督が「観察映画」第6作などと、あえて画面に出すことの意味を掴みかねていた。この種のドキュメンタリー映画は、あえて「観察映画」などと呼ばなくても、これまでにも幾つもあったではないか? でも、あえて「観察映画」とその手法を特権化しようとする意図は何なのか? おそらくはドキュメンタリー映画を見続けてきた者には、それほど珍しいわけではない手法や覚悟を、あえて、日本映画のなかでそういう特別な「覚悟」を示したのだと思う。自分はこういう映画を作っていくし、それを「観察映画」と呼ぶことで特権化する。それは、映画のためではなくて、日本のためだ、と言われている気がした。

 

僕は、想田監督の意思を尊重するし、こういう映画がもっとたくさん作られればいいと思っていいる。だからこそ「観察映画」という言葉を持ち出すことにも意味がある。状況の説明をしない。観たものだけを伝える。憶測などのコメントをしない。メッセージ性を言葉にしない。そういうことだろうか? それは正しいと思うし、特別なことではないとも思う。でも、続けて欲しい。日本のもっとたくさんの地域の何かを、こういう方法で伝えて欲しい。誰かと戦わなくても、行き詰まるような緊張感がなくても、誰かを傷つけなくても「映画」はできると思う。

僕もいずれ、「水俣」でこういうことをしたいと思っている。

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