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2016.01.03 Sunday

「この男を殺しても、同じことが繰り返すだけだ」

『独裁者と小さな孫』

監督:モフセン・マフマルバフ

2014年 119分 ジョージア=フランス=イギリス=ドイツ ジョージア語


モフセン・マフマルバフが亡命していたことを知らなかった。自国で制作した映画の公開禁止や検閲に抗議してのことだという。HPのコメントにフランスで2回、アフガニスタン2回、イラン政府によって暗殺されそうになったと語ってる。同時に『カンダハール』が(2001年)15年前の作品だったのかと、不思議な隔たりを覚えた。


映画を観ながらどこの言葉なんだろう?と考えていたら、ジョージア語と書いてありました。このジョージアという呼称がどうしてもなじめない。パラジャーノフの映画とともにグルジアという特異な背景を思い出すからだろう。相撲取りの出身地のアナウンスでも、グルジアのほうが混乱も少ないと思う。


このところドキュメンタリー映画も含めて、後味の悪い映画ばかり見ているように思う。自分で選んで見に行っているからしかたがない。むしろそういう映画を好んでいる。この映画も「痛み」がある。架空の国の独裁者である大統領は、電話一本で街中の明かりをすべて消すことができる。孫にその様子を見せ、孫にも命令させてみる。街中の明かりが消えるさまを見て、孫は喜んでいる。そんなシーンからスタートする話は、命令しても明かりがつかない街で響く銃声によって、大きく動いていく。反政府行動が武力革命に一気に展開する。独裁者とその家族は一夜にして逃亡者となる。「大統領」と幼い孫との逃亡の旅が、その後の殆どの時間を占める。


独裁者による富の独占と、搾取される貧しい民、反政府運動と投獄・拷問といった、判で押したような悪政は、今でも繰り返されている。架空の国ではあるが、幾つかの国や紛争地域が思い浮かぶ。逃亡の経過で繰り返し現れる自らの独裁政治の「結果」を、抑圧された民の側に身を潜めて知っていく大統領は、「なぜ逃げなければならないか」という孫の素朴な質問にも答えに窮する。街中に張り巡らされた自分の肖像は、幾つもが炎に包まれ、落書きされ、破壊される。もちろんそこにはサダム・フセインが想起され、逃げ続ける「大統領」が発見されて捉えられる際にも、身を潜めた場所から引きずり出されるさまは、テレビの映像を思い出す。


「大統領」をとらえた貧しい民は、首を吊るせと言い、賞金のためにその首を差し出せという。その時の一人の民の言葉が、おそらくは監督のメッセージなのだろう。「この男を殺しても、同じことを繰り返すだけだ」と。

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