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2012.09.17 Monday

廃校と古民家〜再生というよりは延命かもしれないけれども〜

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2012

2012910日〜12

収穫間近の稲田の黄色が一層美しく、緑によく映えている。同時にそれは、直近に迫った苦役を想像させる。狭く高低差のある小さな区画は、手刈りの苦労を余儀なくされるのだろう。道路脇には、稲の刈り遅れのないように注意を促す看板が、あちこちに見られた。収穫の時期が少しでも遅れると、米が乾いて割れるなど、品質に大きく影響するそうだ。地元のテレビニュースでも、時期を逃さないように注意深く伝えていた。短い期間で集中的にこれらを刈り取るのはどんなに骨の折れる作業だろうと、美しい稲田を眺めて思った。そして、過ごしやすい季節のすぐ後には、厳しい冬が待っている。

越後妻有は2000年の初回のあとは2007年のはざまの年に訪ねた。古いガイドブックを手にしていると、すでに無くなった作品もあることが判る。大地に根をおろすという芸術はどういう入れ替わりをするのだろうか。幾つかの新しい作品に驚かされることを期待して、それでも、旧作がどのような姿になっているのかを気に留めながら、今回の開催年に訪れたのだった。『繭の家』は雪のために崩れて別の場所に移っていた。繭の糸をたぐらせてくれた老婆が、そう説明してくれた。そういう事情もあるのだなと、あらためて豪雪地帯であることを思った。

 

初回の開催から12年。この土地に芸術祭が始まって、何が生まれて、何が残ったのだろうか? ずっとそんなことを考えていた。開催時からの懸念は、すでに払拭されているのかもしれない。地元の協力や理解は、こうした地方開催の芸術祭にはつきものの課題だ。地元のお年寄りが「こへび隊」の若者と一緒に受付をしている姿は、それだけで何かが生まれ育った感触がある。お客が来ない時には、昔話や近隣の消息などいろんな話をしていることだろう。いくつかの会場を地元の人のローテーションで回っているのかもしれない。お年寄りのボランティアも、なにかにつけて来場者に声をかけてくれる。いい関係だ。

 

「廃校と古民家」が印象に残った。というよりも、廃校と古民家が、この芸術祭の良質な部分を支えているなと思った。しかしそれは、ほぼ例外なく「かつてそこにあった記憶」をベースにしている。稲穂が美し生命感をたたえている反面、確実に失われ続けているものやひとや記憶がある。「死」は間違い無くそこに横たわっている。他の土地から訪れるものは、抽象的な「死」のイメージを、その建物の外観や臭いや、踏みしめる木材の感触や、朽ちた壁の一部から、具体的な「死」をつかもうとする。かつてそこにあった暮らしを想像し、展示された作品を眺める。それらが具体的な「死」を回収して、再び抽象的な「死」を増幅する。『名ヶ山写真館』では、有料で来場者の遺影を撮影し、展示していた。そこで使われているフィルムも、すでに生産が終わって作者が蓄えているものだと説明していた。

 

もちろん、一定期間であっても、人が集い賑わう場所は、「死」よりも「再生」を意識させる。地元の主婦らが料理を出している『うぶすなの家』では、たらいを囲んで野菜を洗う声が楽しそうだった。地元の人達は具体的な「死」や「喪失」を踏まえながら、作品によって喚起される新たなエネルギーを垣間見るのだろう。廃校が展示場になったことで、卒業生やゆかりのあった人達が、再びそこを訪ねるきっかけにもなるのだろう。その事自体は「再生」を担っている。期間中に開催されたイベントに参加していれば、もっと違う前向きな印象もあったのかもしれない。

それにしても、廃校が多い。展示会場ではなかったが移動中に見えた元小学校も、企業の事務所になっていた。この近隣で学校に通っていた子どもたちはどこまで通学しているのだろう。あるいはもう、就学児童もいないのだろうか? 廃校に作られた『もぐらの館』の前の道路には「つよく かしこく 元気な子」と書かれた看板があった。鉄腕アトムが元気に手を上げているが、この周辺も子どもがいなくなったのだろう。繊維工場だったという場所(『津南のためのインスタレーションーつながりー』)も、その前は小学校だったという。「おもちゃかぼちゃ」が植えられている楽しい畑(『おもちゃの実』)も、農産物の集荷場跡かと思って尋ねると、廃校の校庭だった。2007年に見た『最後の学校』も廃校だった。この展示は、不思議な体験だった。ボルタンスキーの作品なので、随分と丁寧にビデオカメラで撮影したのだけれども、その映像はほとんど見返していない。蒸し暑い講堂やその中に敷き詰められた藁のにおい、廊下を歩く時の軋むような感触、真っ黒な肖像写真など、体験が全てだった。だから撮影されたものを見返す気にならなっっかのだと思う。

今回の展示の中心に位置するクリスチャン・ボルタンスキーの『No Mans Land』は、その夥しい数の誰かの衣類だったものが瓦礫の山のように積まれている、クレーンで持ち上げられるその衣類は、おそらく被災地を訪れたものなら誰でもが、あの光景と重ねていたのだろう。まさしく抽象的でありかつ具体的な「死」のイメージが記憶の中で錯綜する。低音の心拍音よりもむしろ、クレーンのワイヤーが軋む音が不気味だった。

自分自身も三度訪れ、わずかだがこの地域でお金を使った。多くの人が、特に若い人が多く訪れる「祭り」は、地域を活気づけているのだと実感できた。大地の芸術祭がその土地の延命につながるのであれば、それは成功例なのだろう。

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