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2005.12.16 Friday

アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭にて- 作り手の腹の括り方


さて中沢です。
先月末に行ってきたのは、アムステルダムは世界最大のドキュメンタリー映画祭、International Documentary Film Festival(idfa)。先日のブラウンシュヴァイグの後にもう一つドイツの映画祭に行っているのですが、その話はまた後で。

恥ずかしながら私、この映画祭のことを知らなかった。オランダといえばロッテルダム国際映画祭やアニメーション映画祭などは知っていたものの、こんな規模のドキュメンタリー映画祭があるとは。でも思えば私の好きなドキュメンタリー映画作家、ヨリス・イベンスやヨハン・デル・ファン・コイケン、そして先日見た「オランダの光」のデクルーン兄弟など、皆オランダ出身なのだった。実際idfaのメインコンペティションは、ヨリス・イベンス・コンペティションと彼の名前がついている。

本来だったら映画祭の運営のことも含め、いろいろ突っ込んで訊くべきだったんだろうが、ともかくこの映画祭、規模が大きい。コンペティションがまず3つあり、その他テーマを持ったプログラムが4つ、キッズプログラムや学生プログラム、レトロスペクティブあり、更に戦争のニューズリールやその他の特集プログラムやらワークショップやディスカッション、ともう満載なのだ。この規模なので誰がスタッフなのかもわからず、(スタッフに訊いてもわからなかった…)、とりあえず「ParaDocs」というマイナー系の作品に焦点を当てたプログラムの担当者からいくつかの情報を得たけれども、それもどこまで正確な情報かよくわからなかった。(だってこの映画祭が来年はロッテルダムに移るという噂があると彼は言うのだが、そんな話は他のスタッフからは聞こえてこなかった…)実際どれくらいの作品が日本から応募されているのかも知りたく、対応してくれたプレスオフィスのスタッフの言う通りに質問をメールにて送ったのだけど返答なし…。
というわけで、今回は映画祭そのものというよりは、そこで見ることができた作品や、そこから思ったことなどを綴ります。

本当にこの映画祭、規模が大きくて、9つの上映会場で朝から晩までプログラムがあるので、もちろん全ての作品を見ることはできないが、だからといって目当ての作品が必ず見られるかと言うと、これがなかなか…。夜のプログラムのチケットは大抵売り切れか品薄になる。映画関係者がたくさん来ているだけではなく、一般の観客の関心も高いのだ。上記のスタッフいわく、この映画祭の重要性は一般市民に対して、ジャーナリスティックに様々な状況を見せることができることにある、とのこと。とするとそこから見えてくるのは、現在世界で重要な問題として扱われているのは何か、ということだ。

先々月の山形国際ドキュメンタリー映画祭でもそうだったが、idfaでもイスラエル/パレスチナ紛争、食産業の問題に作品が重なった。先の記事でも書いた「ダーウィンの悪夢」が印象的だったこともあって、私はこの食産業についての作品をいくつか選んで観たのだが、おもしろいことにうち2つ「Our Daily Bread」「We feed the world」両作品ともに監督は「ダーウィンの悪夢」と同じオーストリア出身。オーストリアでは特に関心高い話題なんだろうか?(ちなみにプログラムの合間に立ち寄った近くの写真ギャラリーではオランダ出身の写真家による、同じテーマの写真展が開催されていたから、今の欧州では旬の論争のようだ)
両作品とも、私たちの食生活を支える食産業の実態を見せていくものだが、その見せ方、姿勢は明らかに違った。
例えば両作品に出てきた似たようなシーンを比べてみる。

ブロイラーの生産工場(「工場」と表現していい場所だ)で、ベルトコンベアーに乗って送られてくる無数のひよこ。ボロボロと転がってくるひよこを白衣を着たスタッフが次の箱へ詰めていく。既に死んでいるひよこはぽいっと放り投げられて別の箱へ捨てられる。ただっぴろい屋内養鶏場で身動きもままならないほどの無数の鶏たちが蠢いている中、捕獲トラックは大きなゴムべらのようなもので鶏をざっざっと掻き込んでは、運送用の箱へ詰めていく。そうして捉えられたブロイラーは足をフックにかけられて逆さまにつるされ、これまたコンベアーで運ばれながら首を落とされ、羽をむしられていく。笑い事ではないのだが、丸裸になったブロイラーが足からつるされたままずらりと並んで工場内を巡っていく様は正にブラックジョークだ。でも心から笑えないほどブラックなのは、それが現実のことで私たちの胃へ繋がっているから。そうした状況を「Our Daily Bread」は、固定カメラでしっかりと、アップショットを繰り返しつつ、凄惨にも見える様相をたんたんと捉えていく。そしてひよこを選り分けていた女性スタッフが一人食堂でパンを齧る様子を真正面からこれまた固定でじっと捉える。無言でもじもじと居心地の悪そうな彼女の様子は、いましがた自分が行った仕事に対して悪びれているようにもみえる。

この固定カメラでの捉え方のみでまとめた手法は悪くはなかった。なかったが、一方で牛や豚を屠殺し、解体していくそのシーンの選び方、また上記のような工員の撮影の仕方は明らかにその悪を訴えている。しかし上映後の質疑応答で監督は、「この映画の製作の後、あなたの食生活は変わったか?」との質問に対してこう答えた。たしかに影響を受けたこともあるにはあるが、私はこの状況を見せていくだけの立場にあり、この正義性を公に訴える立場にはない、と。また別の質問で「こうしたシーンを撮影するための許可を出さなかった企業もあったのではないか?」とあったが、原案では食産業の実状況を見せるということだけであったため、許可取りの難しさはそれほどなかったとのこと。しかし考えてみればそれは当然のことだ。この映画でははっきりした批判は”言われていない”。ただ状況を見せていく、ということであれば確かに企業も工員たちも拒否はしないだろう。自分たちのことが”紹介”されるだけなのだから。こうした答えを自信たっぷりに語る監督に少なからず違和感を覚えたのは否めない。

対照的な手法で同じテーマを語ったのは「We feed the world」だった。この映画でも同様のシーンが現れる。工場で生産されるブロイラーやビニールハウスの中のトマトたち。しかし「Our Daily Bread」ほどそうしたシーンの惨めさをアピールしていかない代わりに、この産業に関わる当事者たちの言葉を取り上げていく。見た目も美しいりっぱな茄子を遺伝子改良で生産していく農場のオーナーは、味が変わっていくことも、時代の変化としては仕方ないことなのだと語る。天晴れだったのは、世界最大のフード企業、ネスレの会長がインタビューに答えるシーンだ。この大企業がいかに労働者を大切にし、業績を上げているかを自信たっぷりに語る彼は、本社ビルのギャラリーに流れる日本支社工場の映像を見て声を上げる。見て下さい、この最新の施設、素晴らしい、無人の工場ですよ!たった今、我々は何万というスタッフを大切に養ってるんです、という彼の言葉を聞いたばかりの観客は、その矛盾した言動に爆笑する。
比べてみれば、「We feed the world」の方が圧倒的に訴えていることが強烈だ。
しかし上映後の質疑応答ではやはりこの監督も同じようなことを口にする。「この映画の製作の後、あなたの食生活は変わったか?この映画をもっと広めて食産業の矛盾を訴えていかないのか?」との問いかけに、私は映画作家という立場にあって、活動家ではないから、と。

この「私は映画作家」という言葉は理解できないわけではない。確かにそうだ、映画作家には映画作家としての役割だとか可能性があって、それは映画というメディアを通してこうした問題を提示していくことが最も重要であり、確かに活動家である必要はない。しかしそれでもこの両監督の返答にどことなくずるさというか、弱さを感じてしまい納得がいかなかった。

「We feed the world」の上映後の質疑応答で、司会者が監督に対し、「最近、やはり食産業をテーマにした別の映画を見て、グローバリゼーションとの関係について考えさせられたが、それについてはどうか?」と質問したが、これについても監督は怪訝な顔で、グローバリゼーションのことなど語っていません、これはあくまで食産業のことで、と返したところで私自身は司会者の質問に共感を持っていたので、この作品のテーマの掬い方に浅さを感じた。司会者が引き合いに出した映画はもしかして「ダーウィンの悪夢」のことではないかと思ったのだが、同じようなテーマを扱いつつあの映画が面白かったのは、食産業の矛盾から始めて、実は切り離せない問題であるグローバリゼーションや問題の多義性を監督自身の視点で体当たりで捉えていったからである。(体当たりでありながらもかつ冷静さを保つところもまたいい)

この両監督に感じた私の違和感はたぶん、作った者としてどこまでその映像が語るものへ責任を持つか、という腹の括り方が見えなかったことにあるのだと思う。いったいその作り手が一個人としてどうその状況を見て何を思ったか、それが映像からはっきりと監督の姿勢として見えてこなければ、それはTVで流れるお決まりの筋書きに沿ったドキュメンタリー番組と変わりない。「映画」である以上、もっと監督自身(の意志)がそこに現れるべきだ、それが見たいのに!と思う私に満足させた映画もちゃんとこの映画祭で見ることができたのは幸い。
そうこの「映画」としての表現と、「ジャーナリズム」としての視線の両方を得るのはなかなか難しい。その作品がジャーナリスティックなものとして素晴らしくても、かつ映画としての素晴らしさがあるかどうかはまた別の問題であって、それは山形などでもよく議論になっていたと思う。そうした意味で印象に残った映画とは…。
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