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2005.12.01 Thursday

アフガニスタン映画祭 続き

 実はこの「アフガニスタン映画祭」の上映作品を見て、少し複雑な気持ちになったことを告白しておきます。というのは、この映画祭に出かける直前の午前中に土本典昭さんの『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年』を僕のクラスで観ていたからです。この映画はアフガニスタンの歴史の概略を把握する絶好の資料だと思います。もちろん描かれている中心は、タイトルにあるとおり1985年のカーブル、つまり都市部の描写です。しかしその年のその場所に描かれている状況から、この国の歴史の前後を推察することができます。この映画を観たときの思いと、その後の映画祭でみたアフガニスタン発の新作たちとのコントラストが、僕を複雑な気持ちにさせました。
 1973年に国王ザーヒル・シャーが追放され、1919年に成立したアフガニスタン王国は事実上崩壊します。王国自体もイギリスの侵攻やロシアの牽制などを経た、植民地政策の駆け引きの上の成立でした。1978年にはクーデターで親ソ連・社会主義政権が誕生します。79年にはソ連が軍事侵攻し、89年のソ連軍撤退までアフガン紛争が続きます。つまり映画は一方で紛争が継続しているさなか、ソ連庇護下の比較的治安の安定した都市部が描かれています。土本氏の語りにもあるとおり、周辺部はゲリラ戦の影響で取材許可がでないということですが、幾分か都市部を離れた映像だけでも、随分と生活の落差があることがわかります。社会主義政権に反対し、その後のアルカイダ、タリバンへと続くイスラム原理主義武装組織を支援したのは、社会主義による民主化で土地を奪われた地主やお金持ちです。アメリカの武器供与によって、武装組織が強大化したのは周知の通りです。因みに学生と話をしているとその誤解に気がつくのですが、社会主義と民主主義は矛盾しません。辞書を引くとわかりますが民主主義は主権を問題にしているわけですから、対立概念は唯神主義、絶対主義,あるいは王政です。社会主義の対立概念は資本主義です。この時代のアフガニスタンは、少なくともカーブルでは、映画に映し出される女性や子供たちが、あるいは労働者が解放を祝い、かつてよりも豊かな生活が約束されているかのように見えます。しかし、現実にはこの時代を含めて、アメリカの空爆以前に大量の市民が死んでいます。
 以前学生にも話したのですが、イランの映画監督モフセン・マフマルバフは『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室)の中で次のように書いています。「あれほどの威厳を持ちながら、この悲劇の壮絶さに自分の身の卑小さを感じ、恥じて崩れ落ちたのだ。仏陀の清貧と安寧の哲学は、パンを求める国民の前に恥じ入り、力尽き、砕け散った。仏陀は世界に、このすべての貧困、無知、抑圧、大量死を伝えるために崩れ落ちた。しかし、怠惰な人類は、仏像が崩れ落ちたことしか耳に入らない。こんな中国の諺がある。“あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている”」。もちろんこれは9.11以前に書かれたものです。我々はどうして今まで、ここ20〜30年間(軍事報復攻撃以前まで)に250万人(人口の約10%)の国民が死んだといわれる国を無視してきたのでしょうか?
 土本さんの映画に描かれたのは確かに解放された市民でした。おそらくその映像だけではある種の社会主義プロパガンダになるであろうことは、土本さん自身が十分承知していることだと思います。北朝鮮を描いた『パレード』がそうであったように、観客はその背景にあるものを推察する必要があります。それにしても、植民地〜王政〜クーデター〜社会主義政権〜内戦〜軍事政権〜クーデター〜民主化という一連の典型的な連鎖はアフガニスタンに限ったことではもちろんありません。それぞれの時期の内戦や混乱で多くの市民が死んでいく。こんなことが、世界中でどれだけ繰り返されてきたでしょう?
 僕は、アフガンフィルムの支援による新作がダメだったとは思いません。しかし、映画を愛する少年を描いた短編が「アフガニスタン版ニューシネマパラダイスです」と紹介されることには違和感がありました。確かに小気味よい短編で、少年の愛した映画は内戦のさなか焼けようよしています。フィルムを持ち出して、次作の手押しカートに映写機を乗せ、あたかも映画の初期のキネトスコープのような、のぞき式映画館を造って「カブールシネマ」と名付けるあたりは、物語として美しい設定です。実際のアフガンフィルムも大量のフィルムを消失したそうですから、そういう比喩でもあるのでしょう。しかし、ある国の文化的な遺産が失われた悲劇を、ニューシネマ・パラダイスのように描き、イスラム原理主義組織に捕らえられる少年に背負わせていいものでしょうか?
 つまり、戦災による少女孤児を描いた『シャブナム』も、山間部の古い習俗の矛盾に言及する『サクリファイス』も、アフガンフィルム所長による『石打ち刑』も、大衆化された映画の手法を踏襲しています。多くの観客に知らせるための方法として、わかりやすい映画をというならば、もちろんそれでいいのですが、あえて批判的に観れば、西側受けしそうな映画なのです。西側は、もう死語ですね。遜色ないとかクオレィティーが高いといういいかもできるでしょうが、それも既に乗り越えられた壁ではないかと思います。むしろ我々は、王政時代の記録映画にも民族の誇りを発見するべきではないでしょうか?
 長々と、雑感でした。
 
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