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2005.11.08 Tuesday

悪夢は気がつかないうちに見ているものだ「ダーウィンの悪夢」

渋谷においしい魚の定食屋があって、近くで仕事をしていた頃、よくそこでお昼を食べた。好きだったのは銀むつ定食で、あっさり醤油味の大きな白身の煮付けと一緒にご飯を口に入れると食が進んでしまい、どんぶりご飯も簡単に平らげられたのだけど、午後の勤務中には満腹後に襲ってくる眠気と戦わねばならないのが唯一の難点だった。むつはときどき家でも煮付けなどにして食べていたけど、崩れそうにやわらかい身が好きで、だから外食でも銀むつを頼んでいたのだった。スーパーなどで見るむつと銀むつの違いはよくわからなかったけど、どちらもおいしいから違いなんて気にしなかった。その後、魚の原産地と元の名前の表示が販売者に求められるようになったというニュースをテレビや新聞で見た時に知ったのだ。銀むつは実はむつの仲間ではない。南米産のパタゴニア・ツースフィッシュという輸入魚で、日本で流通に乗る前に、その見た目がむつに似ているということで別の命名がされていたのだった。そのことで食べるのを止めようと思ったわけではなかったが、以来銀むつが店頭から消え、そして他にもかなりの魚が輸入されては別の名前で店頭に並んでいたことを知り、なんだかそれは消費者から情報を隠すような気もして、気持ち悪さが残ったのだった。

先月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞を受賞した「ダーウィンの悪夢(原題:Darwin's Nightmare)/監督:フーベルト・ザウパー(Hubert Sauper)」は、決して遠い国の悪夢のお話ではない。それは気が付けば、日本の私たちの日常にも実によく浸透している事柄なのだ。いつのまにか銀むつ、という魚が現れるように。

かつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれた程豊かな生態系を持っていたアフリカのビクトリア湖に、1960年代、肉食魚であるバーチが放たれる。それはまたたくまに他の魚を食い尽くして自らの種を増やし、ビクトリアが誇った生態系を破壊した。そしてその後、湖岸の村にはこのバーチの漁業と加工業が欧州機関の援助によって成り立つ。この一大産業をタンザニアにもたらしたバーチは、その静かで平かな社会と生活を複雑なものに変えていく。

近代的で清潔な工場で、白い作業服に身を包んだ地元の工員たちは、手際良くバーチを切り開いて切り身にする。この白いバーチフィレは冷凍されて、東欧などからやってきた輸送飛行機でヨーロッパや日本へと運ばれていく。その量たるや、あまりの重さに耐えきれず離陸に失敗して墜落し、空港に脇に転がされたままの飛行機の残骸が語っている。

大量の魚に対して同じ数だけ余る魚の頭は捨てられることなどない。トラックに無造作に積み上げられた魚の頭が運ばれていく先は、地べたに大きな揚げ鍋が置かれ、丸太で組まれた魚の干し台がいくつも並んだ、その様は全く違えどこれもまた加工工場だ。ウジ虫がこぼれる程にわいた魚の頭は油で揚げられた後、地元の市場に運ばれていく。映像からはその臭いを嗅ぎ取ることはもちろんできない。しかしそこで働く一人の女性は、まだ潰れていない片方の目をかばいながらインタビューに答える。近いうち眼の手術を受けなければならないの、と。おそらくその腐敗した魚が放つ有毒ガスのせいなのだろう。その場にいる人々の服が体から落ちそうなほどボロボロなのも、単に古びているわけではなく、このガスによるもののようだ。ハエが飛び交い、ところどころの揚げ鍋から湯気が上がる。そしてびっしりと蠢くウジのわいた魚を干し台に並べていく、ボロきれをまとった人々。まるで地獄絵図のように壮絶な光景だ。そんな中でも笑って歩き回る子供たちを収めるカメラは、たとえ地獄だろうが彼等にとっての日常はこれなのだ、と言いたいかのようだ。

湖岸の町へ割のよい出稼ぎ業を求めてやってくる男たちと、彼等に見捨てられて荒れ果てた農村。湖岸の町では、職を得るためにこの男たちを出迎える娼婦たちが集まる。そしてそこから一気に拡がっていくエイズ。HIVに感染した出稼ぎ中の夫からさらに伝染した農村の妻たち。人口が350人ほどの小さな村で、一か月に10〜15人がエイズで死亡していく絶望的な状況を語る地元の牧師。しかしもっと絶望的なのは、彼が神の意志に反する、といってコンドームの使用を認めないことだ。目の前の人間の命か、それとも尊い神の思し召しか、どちらが彼にとって、もしくは彼の信ずる西洋宗教にとっての正義であるか。もしも後者とするならば、大きな口を開いてこの国ごと飲み込まんばかりの貪欲な肉食魚と神は、同等だ。そして、エイズで死んでいく農村の妻たちも、客の外国人パイロットに殺された娼婦も飲み込んで肥え太った魚がヨーロッパの食卓に上っていくこの流れを、資本主義の下によるグローバリゼーションと呼ぶのだ。

欧州機関による経済援助策は皮肉なことに(でももしかしたらそれは皮肉でも何でもなく、元からそういう構造のものなのだとも言える)、途上国の社会を複雑なものにした。そしてその経済支援の実態には、魚の代わりに武器を輸出するというビジネスも潜んでいた。東欧から来た輸送機のパイロットは言葉少なに語る。我々はただ運んでいるだけなんだ、と。湖岸の加工工場長も言うだろう。需要のあるものを売って何が悪いのか、アフリカの産業を支えているのだから。やせ細った余命いくばくかの農村の妻はもう何も語らない。ただただ全てに疲れて諦めたように座り込む。監督であるフーベルト・ザウパーは、何が正しいかなどは一切言及しない。ただただ、自分が接した人々の話に耳を傾けて、カメラを回していくことに努めていく。でもそれで十分だ。何かおかしいのか、何がなされるべきなのか、その答えを出すのは観客である我々自身だからだ。さあ考えてみよう、何がいったい「そうあるべき」なのか?グローバリゼーションという名の下に広がっていく資本主義や民主主義、そしてその流れに押し流されていくその地の尊厳は、本来どうあるべきだったのか?援助というのは余計なお世話に過ぎないのではないか?アフリカだけではない、イラクやミャンマーの日常を思う時、フィリピンのエビ養殖を思う時、私はいつも疑問を抱く。実はグローバリゼーションなどこの世界には必要なかったのではないだろうか?

「フードマイレージ」という言葉があるが、それはまさにこの状況の一端を示すだろう。スーパーの店頭で食材を買う時、それがどこから来たものか、そのマイレージを気にかけてみるといかにこの状況がいかに日常に浸透しているかがよくわかる。
晩ご飯に並ぶエビや魚のフライを見て、フィリピンやアフリカの日常を思うことはないだろう。でもこの映画を見て以来、私は魚の切り身をスーパーで見るたび、あの地獄のような魚の頭の加工場を思い出す。奇しくも私は今ドイツにいて、広場の魚屋でこの切り身を見てしまった。白身にピンクがかった銀色の皮がついた大きな切り身は、なかなか美味だとドイツの友人は言う。ショーケースに積み重なった切り身の前に置かれたプレートにはたしかに、Victoriaseebarschfilet タンザニア産とあった。悪夢はビクトリア湖だけのことではなく、確実に我々の日常にも入ってきている。グローバリゼーションとは、高い所から低い所へ水が流れていくように経済が動く状況であるが、その後両方の水が混ざり合うように、利害も浸透し合うのだ。でもそれは実にゆっくりと底部で行われていくので、私たちは気が付かない。そのことがおそろしい、そう思う。私たちの無知さが一番おそろしい、と。


しかしいったん混じり合ってしまったこの状況を元に戻すことなんて到底無理な話であり、だからこそ監督は安易にその正義性を語らない。簡単に語ってしまえば、それもまた現在のアフリカの状況に対して押し付けになりかねないからだ。既にそれで生活を支えている地元民たちの生活が成り立ってしまっている。このアフリカで起きているグローバリゼーションの一端を、声高に訴えるのではなく、そこに立つ人々に接しながら状況を見つめていったのはおそらくそういうことだ。冷徹なまでのまなざしを保つべく努める監督は、目の前でストリートチルドレンがドラッグを吸おうと、獣のようにつかみ合いをしようと、ただただカメラを回す。

唯一、戦争が起きたら人を殺す、それが当然だ、と微笑んでいう警備員の男に、本当に?と彼が解せぬ様に質問を繰り返したのは、冷静な客観に徹しきれない感情のほころびか。あくまでクールに状況を捉えてみせていく中で、殺された娼婦のエリザが長い指を振って歌をうたう姿を見つめる視線がやさしく、あたたかった。ターンザニーア、タンザニーア、とゆったり歌う彼女の声が頭から離れない。

*フードマイレージのことについては、以下に記事があります。
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050815gr01.htm
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050829gr0e.htm
*写真はまた別の日にデパートの魚売り場で見つけたビクトリア湖のバーチフィレ。ただしこの日のフィレはウガンダ産でした。売り場のおじさん曰く、このVictoriaseebarschfiletはウガンダ、ケニア、タンザニアから輸入されてくるとのこと。毎日は店頭に並ばないようで、この写真を撮るまで数日毎日探しに来ていたのですが、私が写真を撮っている横で、さっそく女性の買い物客が、このフィレを購入していました。友人のお母さんに聞けば、数年前にはビクトリア湖の水質汚染が問題になり、一時輸入が止まったそうですが、現在は再開されて人気の高い魚でもあるそう。「ダーウィンの悪夢」はドイツのTV局、WDRとARTEの名前が共同企画者としてクレジットにありましたが、これがどちらかの局で放送されたとき、どんな反響を生むのか…、興味深いところです。victrian barch
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