異次元だと思っていた不思議な光景が、やがて地続きの日常の風景と重なっていく。
『日日芸術』
監督・脚本:伊勢朋矢
出演:富田望生/齋藤陽道/パスカルズ/伊勢佳世
出演アーティスト:渡邊義紘/ミルカ/高丸誠/井口直人/自然生クラブ/杉本たまえ/曽良貞義/小林伸一
2024年 日本 110分
https://www.ks-cinema.com/movie/nichinichi/
監督の伊勢朋矢さんが上映後の話していたように、観る人それぞれにいろいろなことを思い起こす映画だと思う。僕もこれまでの自分自身の活動や創作が呼び起こされ、あらためて「日常」や「健常」といった言葉の危うさや曖昧さ、あるいはまだ観ぬモノ、人が生きること、何かを発することの深さと広がりを、この映画を見つめながら考えていた。
実は齋藤陽道さんの写真はとても好きで、『異なり記念日』が手元にあり「週刊金曜日」の連載も楽しみにしている。この映画にも名前が出ていて、その興味もあった。彼は写真と文章で多くの創作物を発表しているのでむしろ有名な写真家であるが、この映画には、創作物を自身の表現と自覚して積極的に発表しているひと、ある時をきっかけに膨大な何かを衝動的に創り出してしまうひと、精神的なダメージを克服するために描き続けるひとなど、無名に近い創作者が現れる。それらは「アウトサイダー・アート」と呼んでも「アール・ブリュット」と呼んでもいいけれど、僕にはアートと呼ぶよりも「芸術」という日本語のほうがしっくりくる。工芸や芸能といった「芸」の付く語句、技術や医術のように「術」は優れた「匠」も連想させる。それらが絡み合って思わぬ広がりがあるからだ。それは「アート」に内包される「技術」とは微妙に異なるように思う。
『日日芸術』(にちにちげいじゅつ)とは、とても良く考えられたタイトルだと思う。
この映画は、主人公・富田望生が人と創作物に出会う旅の映画である。同時に「アート・ドキュメンタリー」のひとつの突破口も示していると思う。劇映画とドキュメンタリーパートが混ざり合うこと自体は、この映画の独自性ではない。これまでにも劇と記録の両面から、その表現領域を越境した映画はあった。特に海外のドキュメンタリーは表現の自由度が高く、劇・記録の区分など無かったかのように飛び越えてしまうものがある。それらは「フェイク」などというトリッキーな技法ではもちろんない。描かれる内容に映画が寄り添った結果、記錄も演出も同時に現れたという結果に過ぎない。
この映画をアート・ドキュメンタリーと呼ぶことにも躊躇するのだが、その戸惑いはむしろ心地良い。イラン映画に観られるように、実在の人物が自分自身を演じる劇映画にも近い。この映画は「生(ナマ)の劇映画」とでも呼べそうだ。劇映画やドキュメンタリー映画といった区分の、積極的な裂け目を感じた。
越境という言葉に拘れば、異次元(と思われた)世界と(俳優・富田の)日常が何度も交わり、越えられていく。視覚的にも富田の心情としても、発見し出会い交わり越えていく。移動という言葉でもいい。「唯一無二のアートに出会うロードムービー」とチラシに書かれているように、ロードムービーだと言ってもいい。それは富田にとっては地続きのエリアではなく、飛び越えた先にある表現世界の着地点として描かれる。しかし創作物の作者たちは、地続きの日常を行きつ戻りつ、いつの間にか塀が取り払われているかのように混ざり合う。複数の異なる地平がある時、交差する。
生活と創作がじっくりと、あるいは衝動的に混ざりあった状態を「アート」と呼ぶことが出来るのか? それは音楽でも絵画でも身体表現でも造形物でも、作者と「物語」との関係で立ち上がる根源的な問いでもある。
僕の最初の映像作品は、舞踏家・石井満隆のドキュメンタリーだった。1985年から86年にかけて、彼の生活と舞踏とが交わる場を旅して撮影した。その場とは、精神病院(当時の呼び名)での舞踏療法であり、若者たちとのワークショップ(偶然にも、つくば学園都市)であり、即興で踊る山間部のフェスティバルだった。合宿先の地域の住民や、多様な立場の人との交流も(踊り)の重要な要素だった。集中して身体を動かし何かを形作る行為は、身体表現であると同時に、心身を病んだ者には達成感と安息であり、心を閉ざそうとしている者にはその開放の手引になっていた。取材の延長上では、隣接する多くの表現に出会った。いわゆる「アウトサイダー・アート」としての患者たちの創作物とも出会った。そのひとつの極は青森県・青南病院で試みられていた「芸術療法」で生み出された夥しい創作物だった。この病院を開設した故・千葉 元医院長の仕事は、写真家・羽永光利の『砂丘の足跡』に記録されている。取材時での羽永氏との出会いは、僕を日常と非日常、健常と精神的病との境界へと導いてくれた。青南病院の千葉医院長は患者たちの作品を公開していたが、ひとつの境界は、彼らが創作物の作者として自覚的であるかという問いだった。彼らの極度に緻密な描画や、長時間の集中力を要する技術は、あるいは舞踏療法の演目は完成した時にその役目を終えていることもある。この問いは、例えば未開の地域の日常的な装飾品や工芸品を「プリミティブ・アート」などと称する戸惑いに似ている。あるいは子どもたちの素朴な絵画や彫刻についても同様である。原初的あるいは未開発で素朴といった評価は、健常者にとっての驚きという批評軸でしかないのではないか?
こうした出発点があり、その後も何度か自身の体験を思い起こさせる経験をしている。それは例えば、ゼミの卒業生がその後に制作した『ダンシング・ホームレス』(監督・撮影:三浦 渉 2019年)を観たときであった。あるいは学生がテーマにした、ある福祉作業所のドキュメンタリーであったり、自分で主催した子どもたちとの「映像制作ワークショップ」であったり、高校時代の友人が積極的に関わっている、何らかの障がいのある子どもたちの絵画だった。最近の体験では映画『アダマン号に乗って』(監督・撮影・編集:ニコラ・フィリベール 2022年 フランス)で、描かれる場所と利用者との関係だった。
誰かの創作物は、仮に表現する意志が無かったとしても、絶えず作り出されることがある。それは日常で口ずさむ言葉や鼻歌のようなものでもあり、数年かけてなお未完成の木彫であったりする。表現とは呼ばれなくても作者の心情を映した鏡のようなものであることは確かだ。
『日日芸術』を観ながら、こうした自身に関わる想起と問いがぐるぐると巡っていた。その体験は、もちろん人それぞれだと思う。日々の生活と創作物、表現や芸術に関する様々な批評軸や見方が現れて、多角的な議論を導くような映画が、とても大切な映画であることは間違いない。
『日日芸術』は、4月13日〜26日 新宿 K'sシネマで公開される。
観ておきたい映画だったが、何かを書き残そうとすると、またしても「国境」を巡る映画だったことに気がついて少し動揺した。
『ビヨンド・ユートピア 脱北』 原題:Beyond Utopia
監督・編集:マドレーヌ・ギャヴィン アニメーション:岩崎宏俊
出演:キム・ソンウン牧師 脱北者の家族
2023年 アメリカ 115分
https://www.transformer.co.jp/m/beyondutopia/#
周知の通り、朝鮮半島の南北を分かつ軍事境界線(38度線)は、第二次世界大戦後にソ連とアメリカが合意した分割占領のラインである。朝鮮戦争の休戦協定(1953年)以後も南北2キロの非武装地帯を含めて、同じ民族の国だった地域を暴力的に分断している。この映画でも伝えられるように、非武装地帯には無数の地雷が埋められ、最短ではあっても越境のルートはない。だから、この映画で描かれた脱北のための途方もない迂回ルートにはあらためて驚愕する。北朝鮮から中国、ベトナム、ラオス、タイへと4つの国境を超える。ラオスの険しい山中を超える映像では、南米からアメリカを目指す難民・不法移民が、パナマのダエリン県のジャングルを越えようとする「ダエリンルート」を思い出した。麻薬・テロ組織の武装したギャングが潜むジャングルを超える最も危険なルートであるが、それでも、ブローカーに多額の手引料を支払い、メキシコを経由してアメリカを目指す。6日間かけてジャングルを越えた人もいれば20日以上さまよった人もいるという。ルートでいくつもの死体を見たという証言もあった。『ビヨンド・ユートピア 脱北』でも、暗闇の険しい山中ルートで「同じ場所を何回も歩いている」と気がついて、キム牧師がブローカーに質すと手引料の増額を要求されたようだ。不法な越境を不法に手引する仲間がいる一方で、脱北者を差し出すと報酬が得られるという状況は、裏切りがあっても不思議ではない。それでもこの脱北ルートには50人もの協力者(ブローカーと呼ばれている)がいることにも驚く。彼らが信用されていることは、1000人以上の救出という実績でも理解できる。しかし、不法であるということは、いつ、誰が、裏切っても不思議ではない。人道的という倫理だけでは繋がっていないでろうことも理解できる。おそらくブローカーたちにとって、この脱北の報酬は大きいのだろう。
息子の脱北を願う韓国にいる母親は、息子の安否を確認するだけでも、協力者(と称する人物)に多額の金を支払う。脱北に失敗し拘束された息子は、拷問された上に僻地の施設に追放されることは、脱北した母親には判っている。それでも送金し続けるのは、金で減刑される僅かな可能性に賭けたからだった。一方で、北朝鮮で餓死するか、脱北の途中で射殺されるか、拘束されて拷問死するか、中国の農民に捉えられて送還させられるか、ラオスの山中で力尽きるか、無事に韓国にたどり着くか、という絶望的な道のりにそれでも僅かな希望を託すしかない家族がいる。それを手助けするキム牧師やブローカーたちが、この方法で1000人以上も救出したことに驚く。そしてこの過酷な脱北に耐えた家族の80歳だという老婆は、北朝鮮や金正恩のことをどう思うかと訊かれても、なかなか悪く言わない。戸惑いながらカメラを見ている。本音なのか、何かをまだ、恐れているのかはわからない。別の脱北者は、北朝鮮の人たちは、他の国も同じ状況だと信じさせられている、という。だから、金正恩も精一杯国民のために働いている。生活が良くならないのは自分たちが怠けているのだと信じている。他国の情報が一切絶たれた状況では、政府の見解が唯一の真実なのだと思うのだ。この老婆の戸惑いもそのためなのだと思う。日本の戦前の思想統制や神国という教育で、天皇を神と重ね、戦時下では「鬼畜米英」だと信じ込まされた時代が、北朝鮮では継続しているのだとあらためて思う。
農村部では人糞も政府が回収するために、定期的に桶や袋に詰めて納めなければならないという。量が少ないと懲罰の対象になるから、他の便所から盗む者もいるらしい。乏しい農民たちの痩せた農地には、自分の人糞も撒くことができないらしい。これほどの搾取にも耐えなければならないのか。
非武装地帯や軍事境界線を巡っては、これまでにも多くの映画やTV番組が作られていた。特にTVドキュメンタリーでは、この映画のように秘密裏に撮影された映像で、北朝鮮の市民の困窮や子どもの餓死者を観たことがある。韓流ドラマにはあまり興味がないのだが、『愛の不時着』を楽しんだことは告白しておく。このドラマでは境界線を警備している北の兵士が、密かに韓流ドラマを楽しんでいるという描写もあるのだが、『ビヨンド・ユートピア 脱北』では、それだけでも致命的な懲罰を受けるという。また、聖書を読むことも持っていても罰せられるのは、金日成の生誕神話が聖書に酷似しているからだそうだ。
もちろん、北朝鮮で制作された映画は観たことがない。自分の僅かな韓国映画の記憶をたどれば、『The Net 網に囚われた男』(2016年)は見ごたえがあった。北の貧しい漁師が、小さな舟のエンジントラブルで漂流して韓国に捉えられる話だった。漁師の男に脱北の意志はないけれども、漂着することで結果的な脱北者となり、韓国での拘束ではスパイ容疑で拷問され、それでも残った家族に会うために帰国を望み、帰国すれば二重スパイの容疑で激しく拷問を受ける。ただ、エンジンが網に絡まっただけの漁師は、越境したばかりに理不尽な事態に巻き込まれる。自分が知らないだけで、多くの映画で越境は扱われたに違いない。
2024年2月27日、寺越武志さんの母親・友枝(92)さんが亡くなったという報道があった。武志さんは1963年に13歳で行方不明になり、1987年に北朝鮮で生存し生活したことが知らされた。友枝さんはその後何度も北朝鮮に渡り、武志さんと家族に会っている。あるいは武志さんの待遇が変わり、送金を繰り返していた。その様子は何度かテレビドキュメンタリーで観ていた。友枝さんは武志さんが不利にならないように、「拉致ではない」と繰り返し、北朝鮮を悪く言うことはなかった。
脱北した家族の老婆とは、別の理由で口を閉ざしたひとだった。
上映されている映画が、それ自体を包み込む大きな「映画の記憶」に言及するとき、自分の中でも何かが幾つも呼び起こされる。それだけでも大切な体験になった。
『瞳をとじて』 原題:Cerrar los ojos
監督:ビクトル・エリセ 2023年 スペイン 169分
https://gaga.ne.jp/close-your-eyes/
ここ数年、担当している高校の授業で「映像表現の豊かさについて」などと壮大な回を設定して、『ミツバチのささやき』(1973年 99分)を観ている。50分が2コマの授業で、休み時間を取らなければ何とか回を分けずに観ることが出来る。その次の回にDVDの特典映像だった『精霊の足跡』(1998年 47分 Canal+)を観ることにしている。映画の公開から25年後に、『フランケンシュタイン』を観た同じ公民館に撮影当時を知る住民たちが集まり、この村では初めての『ミツバチのささやき』を観ている。その後、あのハチの巣箱のような屋敷を、25年を経てアナ・トレントが訪れる。企画が二転三転したことや、「ドン・ホセ」の人形、「はちみつ色」の照明など、設定の細部までも、エリセ本人と当時のスタッフが回想する。この番組もとても美しい映画の旅なのだと思う。今年もその回の授業資料を準備している頃、『瞳をとじて』の公開を知った。
この映画『瞳をとじて』の作中の「映画」には、多くの記憶が包みこまれている。
かつて映画は世界の記録であり記憶であった。映画監督・ミゲルによって撮影された映画『別れのまなざし』は、主演のフリオの突然の失踪で未完のままだった。その映画の設定は1947年、死期を悟った初老の男が、中国にいるはずの娘を秘密裏に探して欲しいと、フリオに依頼する。そのフィルムを探すとき、フィルム保管庫は引き取り手を待つ遺失物保管所のようであった。そこに積まれた膨大なフィルム缶は、ラベルを見なければ区別がつない墓標のようでもある。映画という営みが集積された場所は、現役の図書館のようには華やかではない。ひとが訪れなければ明かりも灯らないような場所に、密かに眠っている曖昧な記憶の集積でもある。さらに未完の映画の断片であれば、当事者でも掘り起こす機会はなさそうだ。映画は確かにそうやって消費され、粗雑に保管されてきた。ここ数年、NHKの番組『映像の世紀 バタフライエフェクト』や『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』では、映画が歴史の記録装置だったことをあらためて呼び起こす。それはニュース映画や記録映画だけではなく、むしろ後者では劇映画の動向が世相を反映して、歴史の動きと共鳴していることが判る。恣意的に制作された映画を、時代区分で編み直すことで、歴史の別の側面を照らしている。もちろん、エリセが映画で描いてきたのは、後年に発掘されるような特別な歴史の裏面ではない。フランコ独裁政権下の、自身の記憶にあるスペインの小さな村であり、手紙も思いも届かないかもしれない遠方の街の記憶であった。無数の無名の記憶は記録にも残らず、誰かの引き出しの中に眠っているかもしれない。菓子の缶の中にあった『列車の到着』のフリップブックは、ラ・シオタ駅が世界的に有名な駅であることも封じ込めていたように見える。事実、リュミエール兄弟はこれほど続く映画の未来を信じてはいなかった。そんな曖昧で脆弱な繋がりが、ある時、誰かの映画で蘇る。『瞳をとじて』はそんなことを思い出させてくれた。
実を言うと映画の終盤にある、映写技師・マックスのセリフ「(カール)ドライヤー以来、映画で奇跡は起きていない」が、観終わった後も何度も頭の中を巡って、ラストシーンと共鳴している。直截は疾走したフリオが自分が出演したフィルムを観ることで、記憶を取り戻すかもしれないという「奇跡」なのだが、そのことだけなのだろうか? エリセはこのセリフで、何を伝えようとしたのだろうか?
疾走したフリオに似た男が、海に近い施設で発見されたという。死んだかもしれなかった男は、記憶を失っているらしい。ミゲルが男の所持品を探ると『別れのまなざし』の中国の娘の写真を持っていた。フリオであることを確信したミゲルが、フリオの娘・アナに居場所を告げる。素行の悪かった俳優のフリオを娘のアナも長年遠ざけていた。アナが施設を訪ね、父親らしい男と再会するとき、「私は、アナ」と言う。目を閉じて繰り返す「私は、アナ」と言うセリフに、誰もが1973年の精霊に呟くアナ・トレントの姿を重ねる。歴史的名作のワンシーンを作り出した者だけに許される自作の引用は、映画の自己言及であるだけでなく、「映画の中の映画」という構造をもうひとつ掘り下げる。31年ぶりの劇映画で蘇ったこのセリフも奇跡であると言っていい。
『別れのまなざし』では娘と再会する場面で、初老の男は絶命する。再会は必ずしも幸福を意味しないのだが、娘と再会したことに気づくことがない父親はどうなのだろうか? ラストシーンで観ることになる未完の映画は、フリオの記憶を蘇らせるためだけに上映されたのだろうか? 映画監督のミゲルがビクトル・エリセ本人とも重なって見える。
ビクトル・エリセの3本の長編劇映画では、劇中の「映画」がそれぞれに重要な題材として現れ、内容に深く踏み込んで関わってくる。それらは、構造的な複雑さを演出するためではなく、とても自然に、あるいは特別な日の驚きとして日常に在り、ある時、日常の裂け目としてそれを乱す。特別ではない人たちの、破綻というよりは慎ましい戸惑いが、観るものを動揺させる。どれも、それぞれに豊かで美しい映画だった。
『PERFECT DAYS』を観た後にこの映画を観たことが、ただの偶然だと思われなくなってしまった。
『枯れ葉』
監督:アキ・カウリスマキ 2023年 フィンランド/ドイツ 81分
フィンランドの人たちがみんな無表情で、誰もが言葉少なく、こんな話し方の間合いだったらすごく面白いのにと思ってしまう。選びぬかれたセリフはむしろ現実感を失っていて、演劇的なのだとも言えると思うのだが、この街の殺伐とした空気感を演出しようとしたら、こういう台詞回しや間合いになったのだということを、あらためて楽しむことができた。ようやくアキ・カウリスマキの中毒性を自覚したのだった。
ケン・ローチの映画の主役たちのように、低所得で肉体労働につく人たちの仕事は重要な要素だ。その仕事の描写はとても詳細で具体的なのだと思う。男はホイールのようなパーツをコンプレッサーで吹き飛ばしているようで、埃に塗れている。配電盤のようなボックスに酒を隠して、時々飲んでいる。飲酒が発覚して作業場をクビになり、作業中の飲酒が次の建設現場でも見つかってしまう。酒代のために働いているような男の日常は、この先も危うい予感がする。女は働いていたスーパーで、期限切れのドーナッツを持ち帰ろうとして咎められ、強気で職場を去っていく。次の仕事場はパブの皿洗いだが、オーナーが麻薬の取引で逮捕され、給料が入らない。工作機械の部品を鋳造する工場は、さらに危険で過酷な仕事場のようだ。女は生活費のために黙々と仕事をこなし、同じトラムの同じ場所に座って、窓の外をぼんやりと眺めて帰宅する。カラオケパブで偶然に知り合った二人だが、男が誘った映画はジム・ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』で、ゾンビが警察に撃ち殺される激しい場面が続く。劇場を出た二人はなんとも居心地が悪そうなのだが、終始無表情な二人は、映画の中身などどうでもよかったのだろう。
それでも、女がその気で部屋に招待したとき、男の飲酒癖を女は恐れてしまった。ケン・ローチのリアリティとの違いがあるとすれば、こんな切ない設定でも、どこか喜劇のように不思議な間合いが続いていくことだろうか。表情が変わるとすれば、女が見せる僅かに口元が上がる感情表現だけだった。
音楽の使い方がまた面白い。女が気分転換につけたラジオからは、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが聞こえてくる。男を部屋に招いた時のそうだった。選局を変えると冴えない音楽が聞こえてくる。男が同僚に誘われて気の進まないままに行ったパブでは、カラオケが披露されている。アップテンポのロックンロールを歌う客の後が、同僚の予想外の低音ボイスというのもユーモアのひとつだろう。
女性二人の生バンドで歌われるのはポップではあるけれど、厭世的な歌詞と気怠い演奏は、盛り上げているとは思われない。対象的にジュークボックスから聞こえる『マンボ・イタリアーノ』の能天気さが、むさ苦しい男ばかりの湿った店内とあまりにも釣り合わない。意外な選曲では、『竹田の子守唄』が歌われている。外国語バージョンがあることは知らなかった。
『PERFECT DAYS』で描かれた日常の繰り返しとも似ている。音楽がその場の空気や人物の心情を反映しているその塩梅や重要度のようなものも、とても近いとさえ思う。そして僅かだったり、不意打ちだったりする裂け目のような出来事は、日々の仕事に耐えながら過ごすためだけにあるのか? といった問いが浮かんでくることも。
冴えない日常の繰り返しから抜け出そうとは思うけれども、その方法が思いつかない人びとが、ふとした裂け目から、少しだけいい気分の日々を予感する。でもそれは、とても脆弱な安堵の予感だとも言える。この映画のようなアイロニーと優しさは、『希望のかなた』(2017年)でも、『ル・アーブルの靴みがき』(2011年)でも一貫しているように思う。
この映画もアキ・カウリスマキの職人芸を観ているようだった。
男の毎日は退屈なのだろうか? 非凡な禁欲さにいつの間にか惹かれていることが心地よい。
『PERFECT DAYS』
監督:ヴィム・ヴェンダース
共同脚本・プロデュース:高崎卓馬/企画・プロデュース:柳井康治
エグゼクティヴ・プロデューサー:役所広司 2023年 日本 124分
https://www.perfectdays-movie.jp
僕が幸田文の『木』を読んだのは屋久島に行く前だったので、木々のざわめきに心が動く気持ちはわかる。寝る前に文庫本を読むこともよくある。眠くなったら本を閉じる。これは実際にとても心地良いのだ。
目覚まし時計の音がなくても、早朝の僅かな物音で目覚め、顔を洗いヒゲを整え、植栽に水をやり、仕事着に着替えて、入口に並べた時計や小銭をポケットに入れる。車の乗り込むと、自動販売機でいつもの缶コーヒーを買ってから、カセットテープを選ぶ。まだ音は出さない。車には掃除道具が積まれていて、公衆トイレの掃除に向かう。カセットテープの音が出始めるのも、道のりのどこからなどと決めているのかもしれない。毎日決められた場所を丁寧に掃除すると、昼時には神社の坂道を上がってベンチでサンドウィッチを食べる。木々の間から見える日差しを、フィルムカメラに収める。早々と帰宅して自転車で銭湯に向かう。開いたばかりの銭湯だから午後4時ころだろう。いつもの老人たちがいる。毎日ではないかもしれないが、駅の地下の酒場に向かい、酎ハイとつまみを食べると、長居をせずに帰る。月に何度かは、写真屋にフィルムを出して、ネガとプリントを受け取る。新しいフィルムを買う。行きつけのスナックにも行くようだ。寝る前には文庫本を眠くなるまで読む。モノクロームの抽象的な夢を観ているようだ。
これが男・平山の禁欲的な日常のルーティーンだ。
この映画もまた、ストーリーだけを読んだり聞いたりしたところで、何ひとつ面白くないだろう。仮に早送りで観たとしたら、小綺麗な公衆トイレしか印象に残らないのではないか? ついでにこんな事も考えた。今、寝る前に読んでいるのは石牟礼道子の『十六夜橋』だけど、この小説を要約したら一体何が残るのだろうか? 水俣の言葉で綴られる人びとのやり取りは、言葉の間合いがその場所の空気であり、緩かったり緊密だったり、和やかだったりする。あるいは人びとの距離の近さであり隔たりだ。だからこの小説は要約などできない。言葉のやり取りに、豊かで優しい状況描写に身を委ねること。この映画にもそんな態度が似合う気がする。
平山は毎日、同じ時間に軽自動車で仕事に出かけ、仕事を終えると自転車で、あるいは徒歩で銭湯や居酒屋に移動し続けてはいるけれど、それは日々の円環の外へはみ出すことがない。移動は、必ず古びたアパートの部屋に戻るための手段であるようだ。自らはその繰り返しを乱すことがない。ただ、時々、僅かな変化に対応せざるを得なくなる。その変化は動揺というほどでもないものから、ペースを乱される事への怒りや、心を動かされる唐突な出来事まで、幾つかの程度の違いがある。
いつもの居酒屋ではいつもの席に座って、テレビにはプロ野球が映っていたりする。客の野球談義も邪魔にはならない。時々、いつもの席が先客で塞がっていても、カウンターに移ればいい。同僚のタカシは、アヤと遊ぶことばかり考えている。仕事のトイレ掃除に熱心であるはずがないが、それも度を超えれば注意してやる程度のことだ。それでも、タカシに車を貸してほしいと言われたら困ってしまう。アヤと会う金が無いから、カセットを売ろうと言われたときも、買い取りの店まではついていくのだが、手放さずに自分の金を渡してしまう。タカシが急に仕事を辞めると、担当以外のトイレも掃除をしなければならない。それは困ると、会社に抗議する。日々のルーティンが、多少乱されても、回復すれば問題はない。
姪のニコが突然訪ねてくる。家出をしてきたのだというニコと、数日過ごすことになるのだが、この時に乱された日常は、むしろ心地よさであったようだ。仕事にも連れて行くことになり、神社でサンドウィッチを食べる。隣のベンチにはいつもと同じ女性が座って昼食をとっている。銭湯に行き、「10分後」「短くない?」「じゃあ20分後」などという。大きなバスタオルは有料だけど姪のために借りる。少しだけ伯父らしい時間を過ごす。しばらくして運転手を伴った立派な車で迎えに来たニコの母は、父親の具合が悪く見舞いを勧める。どうやら父親と兄・平山が不仲であったようだ。それでも、終始、平山がなぜこのような日々を送っているのかは判らない。
いつもの公園に、住み着いてた男の姿が観られない。いつもはなんとなく目を合わせていたが、その日は男のブルーシートの側まで行ってみる。どこかに移り住んだのだろうか?
スナックのママは、客のリクエストで『朝日楼』を歌う。浅川マキのこのバージョンは『朝日のあたる家』を日本語の歌詞にしただけでなく、「家」は女郎屋に変わっている。偶然だけど『十六夜橋』にも、長崎の遊郭に奉公にだされた小夜という娘がでてくる。平山がこのスナックに行くとママは親切に接している。常連客が不平をいう。ママの歌は平山も嬉しそうに聴いている。自分のお気に入りのカセットからは、アニマルズのオリジナルが聴こえていた。ある時に店に寄ろうとすると、開店前の店に男と一緒に入っていく。抱き合うような二人を見て平山は動揺して店から離れる。河原で缶入りのウイスキーをひとりで飲んでいると、ママと抱き合っていた男が現れる。元夫でがんが判ったのだという。元妻にそれを告げに来たようだった。このとき平山は、映画の中で初めてタバコを吸う。しかもロングピースを酒と一緒にコンビニで買っていた。酒を元夫に差し出すと、「タバコをくれ」という。咽る男は、久しぶりに吸ったと言って火を消した。平山も若い頃にロングピースを吸っていたのだろうか? この時が、日常が乱れる最大値だったのではないか。
車のカセットから流れる音楽は、平山の年齢からすれば若い頃に入れ込んでいたロックだと言えそうだ。アニマルズ、ルー・リード、ベルベット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、など。多量のカセットが部屋にあるところから、若い頃に買ったものをそのまま持ち続けているのだろうと思う。ルー・リードの『Perfect Day』はタイトルに通じているし、パティ・スミスの『Redondo Beach』は、タカシが夢中だったアヤには気にかかったようだ。歌詞が伝わったのかは不明だが、恋人の別れの詩だ。アヤがこっそり持ち出したカセットを平山に返しに来る。頬にキスをされた平山は、少し動揺しているようだった。
そしてオーティス・レディングの『ドック・オブ・ザ・ベイ』は、音が車から離れて映画の全体を包んでいく。
こうした音楽の使い方は、ヴェンダースがプロデュースした『Radio On』(1979年 イギリス・ドイツ 監督:クリストファー・ベティット)に似ている気がした。工場で働きながらラジオのDJをしているロバートが、兄の自殺の知らせを受けて、ロンドンから兄が住んだブリストルまで車で向かうという物語だ。車で流れる音楽は、道中で出会う様々な人達との関係を示唆しているようだった。カーオーディオから流れる音楽と外に見える風景の連続が、ロードムービーの醍醐味だと言っているような映画だった。因みにガソリンスタンドの店員として現れるスティングがかっこいい。この映画のラストシーンでは、採石場の崖のギリギリに止めた車から、クラフトワークの『オーム・スイート・オーム』が流れる。ロバートはそこで車を乗り捨てて、列車で帰ろうとするという、不思議な終わり方をする。
『PERFECT DAYS』に身を委ねた時間はとても心地よかった。それが移動する映画だったのか、留まることしかできない映画だったのか。そんな分類は実はどうでもいいのかもしれない。
初老の男とその孫娘が、粗末な棺をゆっくりと運んでいる。その荒涼とした背景のロングショットで打ちのめされてしまった。
『葬送のカーネーション』
原題:Cloves & Carnation/Bir Tutam Karanfil 「クローブをひとつまみ」
監督:ベキル・ビュルビュル 2022年 トルコ/ベルギー 103分
原題の「クローブをひとつまみ」という慎ましいタイトルが、何を意味していたのかとじっくりと反芻するように、この映画を噛みしめる。
冒頭の車での移動では、何かの小さなパーティーのグループが道を塞いでいる。運転している男は、鬱陶しそうに文句をいいながら人を避けて通り過ぎる。車をしばらく走らせても、初老の男と少女はあまり口を利かない。分かれ道で車の持ち主は、自分たちの村はこっちだからと、男と少女を降ろし、二人の持ち物らしい粗末な棺を荷代から降ろす。二人を降ろした場所はただの分かれ道だから、低い石の壁があるだけで、しばらく座っていたところで車も人も通りそうにない。やがて歩き出す二人だが、男は少女が持っていた木馬のおもちゃに木の車輪がついていることに気が付き、棺の取っ手に括り付ける。車輪を奪われたおもちゃをそれでも離さない少女が切ない。しかし、なぜ棺などを運んでいるのか? 初老の男と少女はどうやら祖父と孫との関係であるらしいが、男はほとんど口を利かない。この二人とその家族が、シリアからトルコに難民として逃れてきたらしいことは、暫くしてから判る。
男はムサ、孫娘はハリメという名である。棺の中のムサの妻の名はわからない。目的地もどこなのかがわからないままに、ただ「国境」を目指している二人と一体の亡骸を三人の旅といいたくなるのは、妻を何としてでも故郷に帰そうというムサの強靭な執着があるからだろう。乗せてくれる車も見つからないままに、二人は寒々とした洞窟のような場所で一夜を過ごすことになる。小さな焚き火を灯して傍らに座るムサが、棺から妻の遺体を外に出し、孫娘に棺の中で寝ろと促す。既に壊れかけた棺でも、少しは寒さを凌げるという、極限の思いやりが見える。「ふたりとも死んでしまうかもしれない」と、ふと次のシーンンを想像すると、それはムサの夢の中だった。なぜか樹上に棺があるのは、まるで鳥葬の儀式のようにも見える。
原題にある「クローブ」は、その後にトラックに同乗させてくれた女性とのやり取りに出てくる。歯が痛いというムサに、これを噛みなさいと渡されたのは、小さな缶に入ったクローブだった。子供の頃、虫歯に正露丸を詰めたことがあったけれど、どうやらそういう効果があるらしい。クローブは市販の香辛料として砕いた粒もあるが、原型(ホール)はチョウジノキの開花直前の蕾を乾燥させたもので、アコースティック・ギターのエンドピンのような形をしている。シナモンや八角のように、これだけでアジア料理のような強い香りがするが、防臭・防腐・殺菌効果などの薬効もあるらしい。ムサは壊れかけた棺を修理してくれるように大工の男に頼むが、無理だと断られ、段ボール箱を渡される。
この夫婦と分かれて、ガソリンスタンドで乗せてくれる誰かを待つ間に、ムサは段ボール箱に入れられた妻の遺体に、このクローブをひとつまみ振りかけるのだった。妻が死んでからここまでに何日かかったのかはわからないが、傷みかけた亡骸への思いやりであった。
最後に乗せてもらったトラック運転手はとても親切なのだが、検問で積荷が遺体であることが判明し、騒動に巻き込まれてしまう。警察に捕まった二人と妻の亡骸は故郷へ帰ることができずに、国境に近い墓地に埋葬されてしまう。ハリメは粗末な墓碑にカーネーションの絵を描いて添える。カーネーションはトルコでも栽培されていて、香りがクローブに近いのだという。ムサはそれでも、金網を越えてひとりでシリア側に入っていく。そこからは、冒頭のような祝宴のグループが現れ、幸せそうなムサの白日夢のような光景だった。
この映画をロードムービーだと言うことは出来る。これまでに観てきた幾つかの移動する映画と似ている。そして、どれとも似ていない気もするのだ。国境は陸続きの境界として、物語の到達点ではあるのだが、この映画の国境は金網で仕切られた殺伐とした境界であり、それでもどこかを少し切り破れば抜けられそうな、いや既に何人かが破れ目から越境したかのような脆弱な壁でもある。それでも超えることを躊躇させるのは、どこからか兵士が見張っていて、銃撃されるかもしれないという恐怖が、シリアで起こった酷い仕打ちを想起させるからだと思う。イラン映画『熊は、いない』で描かれた迂闊に踏み越えそうな見えないラインではないけれど、「熊」がいるという言い伝えは、見えないけれど強靭な制度であり、それに怯える人びととも似ているかもしれない。
ミツバチという文字をタイトルに見つけただけで、既にいい映画を観てしまったような気がしてしまう。
『ミツバチと私』
原題:20000 especies de abejas
監督:エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
2023年 スペイン 128分
http://unpfilm.com/bees_andme/
どのような映画だったかと言えば、自分の性自認に悩んでいる8歳の少年と家族の物語だということになる。しかし、とても気になるのは物語のサブストーリーとして設定されている養蜂との関係だ。フランスからスペインのバスク地方にやってくる母親と子どもたちは、いわば大人の都合で休暇を過ごすことになる。アイトールと呼ばれるその8歳の少年は、その男の子の名で呼ばれることにも抵抗を感じている。母親のアネは、芸術大学で職を得るために自分の作品づくりに集中したい。アネの叔母ルルデスは養蜂をしながらこの地域で生きている。タイト
ルの原題が示すのは「20000種の蜂」で、アイトール(通称・ココ)は叔母とのふれあいの中で、自分らしさを示すことの困難と、自然に生きることへのあこがれを感じていく。
美しい物語だと思う。ココを演じた少年が、映画の中で驚くほど瑞々しい。プールを嫌がったり、「自分の足の形が嫌いだ」などと言っては母親を困らせる。アネはココの気持ちに戸惑い
ながら、少しずつココに寄り添う。
ミツバチの姿は何度か描かれるのだが、驚いたのはアネの叔母ルルデルが施術している民間療法だった。地域の老人たちが訪れ、痛みの緩和するためにミツバチをひとつまみして、その針を鍼灸のように刺す。これが本当に効果があるかどうかはわからないが、もしかするとこの地では長年そうした施術が行われているのかもしれないと思う。
ミツバチとの共存も、この土地の風習であることも判る。アネが自作の彫刻に使うのは大量の蜜蝋だ。彼女がそうしてきたのかはわからないが、どうやら父親が彫刻家であったようだ。アネが職を得るための審査に、自分の作品と偽って父親の彫刻を送ったらしいことも判明する。母親の葛藤と、「生まれ変わったら女の子になれるかな?」と素朴に願う少年の気持ちが、この土地で僅かな行き場を探し出そうとしている。そんな映画だった。
ところで、スペインと養蜂とはなにか特別な関係があるのだろうか、などと考えていて、「スペインの養蜂の特徴」などと検索してみると、スペインのアラニア洞窟の壁画に蜜蜂の巣を採取している女性が描かれていたらしい。紀元前1万5000年頃のものだとか、紀元前6000年ころから石器時代にかけての壁画だとか書かれていた。この壁画がそうらしい。
ミツバチと養蜂、ミツバチの生態から得られる知恵が、何かの通過儀礼のように映画の中では機能しているのかもしれない。
『ミツバチのささやき』のビクトル・エリセの31年ぶりの新作が、間もなく公開される。
こんなに美しい映画を見逃さなくてよかったと、自分に感謝した。
『父は憶えている』
英語題:This is What I Remember 原題:Esimde
監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト
2022年 キルギス・日本・オランダ・フランス 105分
https://www.bitters.co.jp/oboeteiru/
『馬を放つ』(2017)の印象が強く残っていたので、チラシを見て映画館に行くことを決めた。『馬を放つ』はキルギスでの人と馬との繋がりが大きく変わっていくことに対して、飼育されている馬を野に放つ男の話だった。キルギスの民にとっては、かつては人と馬の結びつきは欠かせないものだった。馬は生活をともにする存在から、競走用に育てられる商品になっていた。その変化に抗う男は、犯罪行為だと知りながら密かに馬を放ち続ける。切ない映画だった。原題の「CENTAUR」は、ギリシャ神話にある人馬一体のケンタウロスで、主人公はそう呼ばれていた。
この映画『父は憶えている』の主題は「町のゴミは恥ずかしくないけど、父親がゴミを拾うのは恥ずかしいのか?」というセリフに尽きると想う。翻って日本では、さしずめ「この国の政治は恥ずかしくないけれど、それを堂々と批判する人間はなぜ排除されるのか?」という問いに置き換えてもいい。
物語は、23年前にロシアに出稼ぎに行き、行方不明になった男が見つけ出され、故郷キルギスの村に戻ってくるという、それだけのことなのだ。もちろん男の家族にとっては大きな事件である。何しろ妻は既に再婚している。言葉を失っているように振る舞う父親の姿に、息子夫婦も喜びながらも戸惑うのだが、孫娘は初めて会う祖父を素直に受け入れていく。
23年間の故郷の大きな変化と変わりようのない貧しさが、この物語の背景として随所に描かれていく。布教にやってくるイスラム教徒の一行はどうやら過激な宗派のようだ。金貸しで成り上がった知人の男は妻の再婚相手になっている。町中のあちこちに積まれたゴミと郊外の広大なゴミの集積場。古い因習を維持したままだが、奔放な同世代の老人たち。魚の養殖場を金貸しに奪われる知人の男。この映画でも主人公の男ザールクは、故郷の変化にひとりで抗い始める。
映像はゆっくりと積み重ねられるのだが、画面内の人や物の出入りが素晴らしい。遠景の僅かな動きにも気を配る面白さが幾つも観られた。例えば冒頭の長いワンカットでは、遠景の山々には山頂に雪が残り、中景の茶色い山には木々が見当たらない。まるで採石場のように荒涼とした山肌が見える。その手前には木々に囲まれた集落があり、川を挟んで線路と道路が見える。しばらくこの風景を見続けると、やがて一台の車が画面の右下隅の路上に止まる。橋をわたって集落に向かうのは、髪の毛の長い初老の男ザールクとその息子クバとであるらしい。カメラは遠景のフィックスから手持ちの移動になり、家までの道のりをワンカットで見せていく。
あるいはゴミ捨て場にゴミをおろした後に、トラックの荷台を水で洗うカットが面白い。その水洗い場には、トラックの荷台から2m位の高さに、パイプのような太いホースが突き出ていて水が流れ落ちている。トラックが円を描きながら何度かその流れ落ちる地点を通り、荷台に残ったゴミや汚水を洗い流している。このシーンが最初に出てきた時は、トラックの運転席から撮影されていて、走っているトラックに定期的に水が浴びせられているように見え、ロングショットでその仕組みがわかる。次にこの場所が現れるときには先客が居て、しばらくはその先客たちの成り行きを見つめることになる。
こうした映像の組み立てや、ロングショットの奥行きや動きは、言葉で説明しても、結局はよく解らない面白だなと改めて思う。もちろん、だから映像的なのだけど。
この映画で描かれるのは、周辺の国々との関係で大きく変わっていく故郷の姿であるのだが、失われていく風景の美しさや、守ることが困難になる生活様式や小さなしきたり、近所との関係、集会での振る舞いなどは、ザールクの小さな抵抗で守られるとは思われない。本人も自覚しているはずの小さな改革は、せめて妻との記憶の場所に留まろうとする、切ない儀式であるかのようだ。
『明かりを灯す人』(2010)を見逃したことが悔やまれる。
澱んだ黒い水をずっと見つめているような映画だった。その水には自分の姿が映ったようにも思った。
『月』
監督・脚本:石井裕也 原作:辺見 庸『月』 2023年 日本 144分
鈍く黒ずみ澱んだ水溜まりを踏みしめた後に小さな波紋が刻まれて、それをしばらく観ているようだ。水の揺らぎが収まったとしても、黒い水は黒いままで、やがて覗き込んだ自分の顔を映している。
誰もが狂うかもしれないと思うことは危険だろうか? 特別な環境で起こった事件であると蓋をしてもいいのだろうか? などとずっと考えている。
あえて描かなくても良かった事件だろうか? とも何度か思った。
映画を公開したならば、制作者はその内容や描き方についての論議を受け止めなければならない。その映画が歴史上の事実や、現代に起こった事件、とりわけ凄惨な出来事を扱った場合にはその論議も多様であるし、描かれ方には様々に異論が現れることは想定される。だから描く側には覚悟が必要なのだと思う。同時に、面倒な論議に巻き込まれたくないと思えば、無かった事にしたい、あるいはもう思い出したくもない、ある人たちにとってはとても不都合な暗部や事実・事件を扱わなければいい。面白おかしくその時を過ごせるような映画であれば何の心配もない。それでもこの映画は描かれ公開された。その覚悟を素通りさせてはならない。観た者としてできる限り思い悩みながら受け止めたいと思う。
先日『福田村事件』(森 達也監督)の描写について「週刊金曜日」(2023.11.24)に、『「讃岐弁から朝鮮人を疑われた」流布されたこの節は解せない』という記事が出ていた。この映画が描いた事件の現場だった現在の千葉県野田市在住の元野田市職員による論考である。「不正行商人」への自警団らの過度な警戒はあったとしても、讃岐弁が朝鮮人であると誤解されたという断定はおかしい、というものだった。もちろん、映画はフィクションであるという前提は踏まえた上で、こうした意見も論議の対象となるはずだ。『月』でも多くの意見があるはずだ。この映画だけを見れば、他の施設でも同様の暴力があり、冷酷な考えの職員が働いているのではないかという疑いを持つかもしれない。映画がフィクションであるという前提に立ってはいても、現実に起こった事件の衝撃が背景にある限り、福祉や施設の現状と重ねる人もいるだろう。福祉の現場で働く当事者たちにとっては、許しがたい描写もあったと思う。描写への異論は、映画の制作者には厳しいものが想像できる。
『月』が現実に起きてしまった凄惨な事件を題材にしていることは周知である。2016年7月26日未明に、「津久井やまゆり園」の元職員・植松 聖(うえまつさとし)が入所者19名を刺殺し、入所者と職員26名が重軽傷を負った。被害者の多くは重度障害者であったことが、社会を慄えさせた。2020年3月には植松被告に死刑判決が言い渡され、控訴が取り下げられたため一度は死刑が確定した。しかし現在は2024年の再審請求、請求棄却、即時抗告という流れで、裁判の手続きは継続しているようだ。この過程で、植松 聖にどのような変化が起こったのかはわからないが、事件に至った経緯は詳細に記録されるべきであると思う。一方で、思い出したくもないであろう遺族にとっては、一刻も早く死刑を執行してほしいと願うだろう。残忍で身勝手な凶行だったことは、論を俟たない。同時に、解らないことも多く残された事件だったと思う。
映画で描かれた「さとくん」には、静かにゆっくりと狂気が醸成していくような、そんな行動や言動がいくつか観られる。ひととしての一線を越えて凶行に及ぶ引き金が、施錠された部屋で監禁状態にある長期入所者の男の、吐き気のするような姿であったのかもしれない。そしてその一線のもう一つの線引きが重くのしかかる。「言葉の通じない人間には心がない」という、殺してもいい人間とそうでない人間を隔てるその線引きは、どのようにして彼を覆っていったのか? 突発的な狂気による衝動であったほうが、我々は事件を遠ざけることが出来る。熟考の末に導いた判断だとすれば、別の誰かも「さとくん」であった可能性が否定できない。現に、殺意をむき出しにしたヘイトスピーチや、弱者を守る側に対して暴力的に送りつけられる手紙やSNSの暴言は、ごく普通に日常を送る人間から、おもしろ半分に発せられてもいる。その狂気の増幅に、「さとくん」と同じ思考の種を見ることも出来る。
僕は堂島洋子という設定が、もうひとりの陽子とともに、とても印象に残って気になっている。デビュー作が評価された小説家で、その後は自作が書けなくなったという堂島洋子は、事件が起こる現場に職員として働くことになる。何か小説の題材があるのではないかという野心は、もうひとりの陽子のようには表に出さない。自分に変化が欲しいし、小説の題材がありそうだというさもしい内面があったのかもしれないし、無かったのかもしれない。一方の陽子は家庭内の問題として、父親への不信感をいだき続けるが、家の問題として閉じ込めようとする母親との関係や、その空気に絶望感さえ抱いている。陽子や他の職員の「慣れ」に、洋子は違和感を持つが、自分の居場所として、あるいは同僚として、そのありようを受け入れようともする。
堂島洋子は「さとくん」の言動に「優生思想」を感じ取り、それを問う場面がある。手作りの紙芝居を入所者の前で披露する彼に、弱者を切り捨てるような思想がふと重なるのは、同じ職場で働く立場として、どう理解すればいいのか? 洋子の怖れは不信感というよりは、理解できるかもしれないと思っていた人間の深層の不可解さだったのではないか? 夫・昌平が制作したアニメーションで、次々に船の上からひとを投げ捨てるシーンに共感を示している。一般的にも、映画では残酷なシーンが数え切れないほど描かれてきた。観客はどうしてそれを好むのだろうか? 「さとくん」の共感だけが特別ではない気がする。
子供を幼いうちに病気で亡くした洋子は、妊娠がわかった時に戸惑い、昌平に告げられない。「また同じことが起こるのではないのか?」「どこかに病を抱えた子供を産んでしまうのではないか?」と、友人の産婦人科医に相談する。妊娠期間の検査で胎児に異常が確認されたら、97%が堕胎を選ぶと映画の中で産婦人科医が伝える。映画内のセリフではあるが、根拠のある数字であろう。何らかの障害が一定のパーセンテージで現れることがあるとは理解していても、「自分の子であって欲しくない」と誰もが思うであろう。無事に出産したとしても、その後に何十年も継続する負担や精神的な負荷を、どれだけのひとが受け入れられるのか? ましてや現状の福祉政策の中では、両親の困窮さえも目に見えているではないかと。
洋子が施設で働き始めてから、一人の女性入所者を気にかけるようになる。意識があるのかどうかも判別できない寝たきりの女性は、言葉をかけても無反応であるし、胃瘻によってかろうじて命をつないでいる。部屋の窓は閉じられている。光も感じないらしい、と他の職員は言う。母親は長く入所する娘を見舞いに訪れる。洋子はこの女性の姿を、しばしばフラッシュバックして自分と重ねているように見える。「私が、この女性かもしれない」と思ったのかもしれない。洋子はあるとき、この女性の部屋の窓を開ける。確かそこに月が見えていたと思う。言葉をかけてみるが反応は見えない。洋子は何故、この女性と自分を重ねたのだろうか?
周知の通り、第二次世界大戦時のユダヤ人虐殺につながるヒトラーの「優生思想」は、戦時下の狂気という側面だけでは本質を掴めない。ヒトラーは、「断種法」で知的障害や精神障害のある人に不妊手術を強制した。精神病院で組織的な殺人を行った「T4作戦」も知られている。一方では、「ヒトラーユーゲント」で優秀な民族の健康で正しい若者だけを育てようとした。戦争は当事国の指導者によって正当化された狂気の暴力である。だから我々は、戦争という殺人の手段に、信じられない残虐性を見出すことが出来る。特定の人種の殲滅は、戦時下で優位な人種の国益から、差別された人種の生きる権利を排除することで正当化された。人間はそこまで残酷な手段を思いつくのか? 人種差別を根拠とした大量虐殺はもちろんだが、戦争兵器の残虐性は大量破壊兵器よりもむしろ、敵に対する極限の作戦にみることが出来る。対人地雷やクラスター弾の狂気は、その殺傷能力の低さにある。つまり殺さない程度の致命的な傷を負わせること。スナイパーが相手の兵士を一発で殺さないのも同じだ。一人の兵士を殺せば、背後の仲間は身を潜めるが、負傷を追わせればその兵士を救出しなければならない。自力で動けない兵士を、二人がかりで救出する。殺せば一人のマイナスだが、重傷を負わせれば三人が後退する。兵站にダメージを与えるのはどちらか? 醜悪で残酷な計算が「殺さない」対人地雷にもあてはまる。大量の死者よりも大量の重傷者のほうが、残った兵士にも、野戦病院の人員にも、戦費にもダメージも大きいということだ。戦時下の状況は、今もウクライナやパレスチナで進行し、強者の暴力性は戦争が長引くほどに激化し、残虐化する。
残念ながら現在の政治にも、そうした思想は隠れているし、むしろそれを隠さない破廉恥な国会議員もいる。資本主義の構造にどっぷりと浸かった醜い政治は、「生産性」や「経済の成長」を大義として、その実現が豊かさだと庶民を説得しようとする。一部の富裕層に憧れる「勝ち組」志向の若者だけを育てようとする。政府の愚策にも従順な、無抵抗の働き手を「経済の成長」のために使い倒す。現在の日本では最も重要で、一刻も早く解決策をとるべき「高齢化」と「福祉」に対する政策は、家族や家庭の問題として「愛情」に負荷をかけるだけの愚策にとどまる。何よりもケアに従事する働き手を軽視し続け、本来は家庭でみるべきケア労働を外部委託しただけのように、低賃金で酷使し、その重さと過酷さの責任を、外部委託した家庭の問題に押し戻そうとしている。資本主義の構造には、こうしたケア労働の価値はそもそも勘定に入っていないし、美しさや優しさを除外することしかできない。同じ構造の中に組み込んではならない必要性と価値を、まんまと構造の最底辺に押し込み続けてきた。その裂け目からはみ出した絶望が、あるいは疎外感が、低所得者や生活困窮者によるいくつもの悲劇的な事件をひき起こしていると言っていい。生きる権利を軽視し続ける政治は、次に起こる事件も自ら招き入れていると思う。低所得者や生活困窮者は、既にギリギリの無自覚な自分たちの姿でもある。100年以上に渡って、搾取と収奪を繰り返し、現在の社会構造を維持してきた世界が、簡単に変わるはずはない。それでも、今の政治が「還元」するべきは、わずかの一時金ではなくて、制度上の権利と尊厳であることは、多くの国民が気がついている。
僕は今、20代半ばの自分が撮影した精神病院の風景を思い出している。そこは神奈川県にあった。作業療法を担当する職員は、この病院での開放病棟を作り、敷地内の畑を作り、作物の販売を通じて地域の人と交流し、陶芸小屋を開放していた。僕は舞踏療法を行っていた舞踏家を取材して、ドキュメンタリーを作ろうとしていた。入所者と一緒に食堂で食事をしていると、「一晩泊まっていきますか?」と職員の人に言われたが、丁重にお断りしてしまった。正直、怖かったのだ。この病院にも閉鎖病棟はあり、施錠もされていると聞いた。それでも症状の軽い人たちは、開放されたスペースにそれぞれの居場所や役割を見出していたように思う。「夏祭り」や「忘年会」、入所者による「紅白歌合戦」や、踊りのイベントが思い出される。そしてこの病院は、その後、経営者が変わり、かつての理念は一変し、悪質な長期入所を強いる薬漬けの治療が発覚して新聞で報じられた。当時、開放病棟や作業療法、芸術療法を実践していた職員は、誰も残っていなかったようだ。僕は、その記事の衝撃が忘れられない。精神医療を担う場所を大きく変貌させ、あるいはひとつのコミュニティとして独立させようという運動は、他にもあった。青森の青南病院の千葉 元院長の取り組みは、写真家・羽永光利によって写真集(『砂丘の足跡』1985年刊行)に残されている。北海道の「つるい養生邑病院」も、志半ばで潰えたが創設者の宮田國男医師の理念と構想は美しかった。宮田医師は学生時代に前衛芸術家との交流があって、自身が開業医となるまで新橋に「内科画廊」(1963年〜66年)を開設していた。「つるい養生邑病院」は現在も存続している。この先駆者たちの理念を知って、僕は舞踏療法の取材を始めたのだった。
僕は今、いくつもの別の映画も思い浮かべる。
認知症や不自由な身体の高齢者と暮らす家族、高齢者施設の従事者、先天性や後天的な障害を負った人たちとその家族、周囲の人たち、あるいは特別支援学校の教師たちの姿が思い出される。その障害の理由や原因は様々だった。傷害や事故のように加害者が明確な場合もある。公害のように、加害の責任者が多岐にわたり明確ではない場合もある。一瞬にして絶望的な状況に置かれた人たちもいた。苦しみから自ら尊厳死を選んだひともいた。それらは正しさや優しさだけでは乗り越えられない困難さも映し出していた。そして生きる権利の尊厳と価値、美しさもそこには描かれていた。映画に限らず、テレビドキュメンタリーやドラマでも、数えあげればきりがないほど、そうした映像を観てきた。ひとが生きる権利はどんな事があっても、他者から奪われてはならないと思っている。自死を思いとどまらせるだけの、少し先の未来が思い描ける社会であって欲しい。だからこそ、人の深層にある残酷な思考さえも直視して、それがはみ出す裂け目を作ってはならないのだと思う。誰も絶望させてはならない。しかし、残念ながら誰ひとり取り残さないような社会は、現状の社会構造の延長には現れない。弱者を搾取して収奪を続けることで、この社会の構造を維持し続けて行きた。では、どんな社会が実現されれば、搾取と差別の構造を覆すことが出来るのか? 僕は答えなど持っていないけれども、破滅ではない未来を信じることにする。
月は陽光を反射しているから、地上が暗いほど美しく輝く。古くから、人は月の光に様々な思いを映した。満月の癒やされ、月光が思いの外明るいことに気づく。朧気な光には不安を覚えたりした。満ち欠けで日々を数え、三日月の危う形には悲哀を重ねた。多くの物語が、言葉としてあり、音楽や舞にも残されている。
この『月』という映画は、生きる権利と弱者の尊厳、弱者と共存する家族や周囲の人たち、介護労働者の苦悩と人間の本質的な狂気を描きながら、突き詰めれば資本主義社会の構造的な矛盾と限界を露呈しているのだと思う。そして現在に描かれるべき映画だったと改めて確信する。
重く苦しい映画を観ることは、描かれている事柄に対してあまりに無力な自分に、僅かでも記憶の中に留め置くという償いを課しているように思えてきた。
『福田村事件』 監督:森 達也 2023年 日本 137分
いくつかの学校で「映像論」の類を担当しているので、授業の冒頭で「先週観てきた映画」を紹介することがある。先日、授業の後でひとりの学生が「先生、もっと楽しくなるような映画を紹介してください」と笑いながら言ってきた。言われてみれば最近紹介した映画は、『アダマン号に乗って』や『僕たちの哲学教室』などのドキュメンタリーや、イラン映画の『君は行先を知らない』とか『熊は、いない』、『オオカミの家』とこの『福田村事件』だった。これまでもそうしてきたけれども、なるほど「楽しい映画」は紹介していないことに気がつく。それはたぶん、自分への戒めなのかもしれない。学生たちにとっては迷惑な話だ。
映画は近・現代史の「もうひとつの教科書」だと思っている。だから「できるだけ、知らない国や地域の映画を観るといいですよ」などと話している。それは自分の方向性がブレないための言葉でもある。
『福田村事件』を観たのは10月21日(土)だった。公開からはひと月半くらい経っているけれども、テアトル新宿の15:50の回は218席の6割位は入っていただろうか? 東京上映の回は各劇場でも少なくなっているとはいえ、各地のミニシアター系列で上映が続いている。その事に驚きもあり、また、ミニシアターの存続危機に対して、ひとつの抵抗運動のようにも思われた。関東大震災から100年の年の9月に公開されたことの意味は、まさに歴史の暗部を消し去りたいという大きな力に対する抵抗運動だったのかもしれない。もうひとつの抵抗は、前年の1922年の「水平社宣言」を映画のラスト近くで大胆に引用していることだろう。それは、四国の讃岐からやってきたという薬売りの一団の、少年が暗唱する叫び声であり、讃岐から旅立つ時に同郷の少女から手渡されたお守りの中にも託されていた。この15人の薬売りの一団の9人が自警団によって殺害された事実が、『福田村事件』では劇映画として描かれていた。この一団は全員が日本人であるが、自らを「穢多」と言い、「穢多が作った薬には何が入っとるかわからんぞ」といった差別を受けていたことも描かれている。彼らの宿舎では「朝鮮人と俺たちとどっちが上か?」「自分たちに決まっとる」などと、「一般の日本人」とは別の差別感情も隠さない。この二重の差別構造もこの映画ではとても描きにくく、それでも重要な事実だと思う。
関東大震災から数日の間に「朝鮮人が井戸に毒薬を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」といった流言が広範囲に拡散し、伝えられた蛮行が信じられたのは何故だったのか? 流言は尾鰭を纏い、誰も観ていない出来事が次々に、瞬時に、真実味を帯びたのは何故か? あるいは労働者の立場に立った社会主義者たちが、混乱に乗じて捕らえられ暴行死に至ったことは何を意味していたのか? 社会主義者たちが最底辺の労働者であった朝鮮人たちを煽り、暴動を扇動したと疑ったのか? そうしたことにして見せしめの暴行を加えたのか? 国政は、自治体は、自警団は、あるいはその地に暮らす人々は何をそれほど恐れたのだろうか? 確実な情報が何ひとつ無い非常事態の混乱が、普通の人たちを狂わせたのだと納得させていいのだろうか?
多くの人たちに「心あたり」があったからだと思う。1910年8月22日の日韓併合によって、朝鮮半島は李王朝の専制王権国家から開放されたとしても、条約による同意と契約という見かけの正当性を盾に、暴政に変わって資本投下して工業化を進め、その豊かさだけは日本に回収し、朝鮮半島を植民地化し朝鮮人民を搾取・収奪し続けた。それは併合直後の「半日義兵闘争」や1919年(関東大震災の4年前)に「三・一独立運動」が、激しく展開されたことでも解る。独立運動は当然のように、運動よりも激しく弾圧され、多くの死者と逮捕者を出した。死者は7千人、負傷者4万人、逮捕者5万人とも記されている。一方で、そうした弾圧を無かったことのように、日本支配がもたらした近代化と工業化に伴うインフラ整備の恩恵と、見違えたような豊かさを強調するような記載もある。「日鮮同祖論」は、植民地支配に都合よく解釈され、政治利用された。しかし実際には、日本は資本投資だけではなく、朝鮮半島から安い労働力を引き込み、日本国内でも炭鉱労働など過酷な現場で、その労働力を搾取した。いや、おそらくその殆どが暴力を伴う収奪、没収、徴用であったはずだ。
朝鮮で虐殺を目撃し、福田村に帰って来る劇中の澤田智一だけでなく、「心あたり」のある差別的な労働搾取や暴行は、日本の各地のそれぞれの地域の身近な場所でも目撃されていたはずだ。日本の近代化は、表向きは労働者との契約で「自由な労働者」を生み出したように見えるけれども、労働者や一般市民の下位に「他者」としてのより差別される者たちを維持し、輸入した。国内では被差別部落民たちであり、国外からは差別しても収奪しても、没収しても略奪しても許される下層の民としての朝鮮人たちを徴用し制度化していった。日本人の労働者からの理不尽な搾取を正当化するために、「下見て暮らせ」と言わんばかりに、より酷い待遇の労働者からは収奪・略奪を繰り返した。労働者の権利を主張し団結を後押しする社会主義者たちは、この制度にとっては邪魔者たちだった。
「心あたり」といえば「何故、誰も止めることができなかったのか?」という問いにも思い当たる。自分も含めて第二次世界大戦後に産まれた者たちは、この問いを両親や祖父母に質したことがある。その無力な問いが、現在に繋がっていることも承知しているはずだ。日清・日露戦争から、既に始まっていた経済的な困窮とは無縁に、日本の不敗神話は無根拠に信じられた。「国のやることが間違っているはずはない」「自分とは無縁のことだと思っていた」「おかしいとは思っていた」「自分だけが反対はできなかった」「あの状況で止められるはずがない」そして、「やはり間違っていた」か「そんなことは起こっていない」と言い張るか。
森 達也監督のメッセージは、この複雑で身勝手な国民感情にも言及していると思う。だから現在の強者や権力者たちは、不都合な歴史の事実から目を背けようとする。
薬売りの親方・沼部新助の「朝鮮人だったら、殺してもいいのか!」という言葉から、薬売りたちへの狂った虐殺が始まるのは、沼部たちが被った差別と、朝鮮人への暴力的な収奪が、同じ方向に向かう抵抗だったからではないか? 自分の夫を朝鮮人に殺されたと思い込んでいる妻は、発作的に沼部の頭部を穿つ。この女にとっては沼部たちも朝鮮人も「他者」にすぎなくなった。現在、ひとを貶め傷つけるためだけに吐かれる卑劣な暴言を「ヘイトスピーチ」などと言い変える必要はない。在日朝鮮人の人々を「ゴキブリ」だの「死ね、帰れ」などと言い放ち、野蛮な行為を正当化さえしようとする輩に「朝鮮人だったら殺してもいいのか?」という問いを、100年も隔てた今も問わねばならない。こんな輩がはびこる貧しい国に生きる者たちは、ここに生きる権利を主張した事はあっても、暴動を企てたり、政府の転覆を図ったことがあっただろうか? ただ平穏に暮らそうとしているだけではないのか?
この沼部の問いに100年前の、そして現在の誰がきちんと答えられるのか?
現在を見渡せば、また、別の思いもよぎる。良い戦争など無い。同様に許されるミサイルも、正義の破壊兵器もない。歴史上、一時的に歓迎された侵攻があったとすれば、それは「民族の解放」を装った略奪の第一段階であったはずだ。ミサイルも戦闘機も戦車も、人を殺す道具でしか無い。どれだけ条約や契約で正当化しても戦争は殺人の連鎖でしか無いことは、誰もが知っている。唯一、許されるかもしれない暴力は、民族の自立や独立を求めた抵抗運動であると思う。それでも無抵抗や非暴力が強いられるのは常に弱者の側だけなのは何故か? 国や権力者の組織的暴力や殺人は「正しい戦争」と言い換えられ、その狂気を隠蔽してきた。
この映画のメッセージを「自分とは無縁で過去の出来事だ」と、無関心を決め込む日本人とは、いったい誰のことなのか? 映画を観た者の「心あたり」に、鈍痛のようにいつまでも響き続けている。
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