2017.12.10 Sunday

作者と会い話を聞くことで、描かれた事象が少しずつ連鎖して繋がり広がっていく

 第23回平和・協同ジャーナリスト基金賞贈呈式(2017.12.9)に参加しました。2013年から映像部門の作品選出のお手伝いをしています。毎回、式の冒頭で代表の岩垂弘さんがお話されます。「この会が授賞式でなく贈呈式なのは、優れた仕事をされた皆さんに、どうか賞をもらっていただきたいからです」と。活字でも映像でもテレビでも、ジャーナリズムの危うさが伝えられる今、優れた仕事に敬意を表し、続けていただきたいという願いが込められている賞です。

 活字部門の作者にもお会い出来る機会なのですが、その時には著作や記事を読んでいないので、ちょっと残念です。会場においてある書籍や新聞のコピーを見ながら、購入できるものは購入し後日読むようにしています。その中でシンガーソングライターの清水まなぶさんの活動はとても興味深いと思いました。今回の対象作品は『追いかけた77の記憶 信州全市町村戦争体験聞き取りの旅』(信濃毎日新聞社)です。清水さんは、自身の祖父の戦争体験を聞き、その話にメロディーを付けて歌うということを始めたそうです。それが今回の著作のきっかけであったと話していました。学校を巡って講演会や歌を歌う活動も続けているそうです。何が興味深いかというと、授業で戦争や沖縄の話をしたり、映像を観せていると二通りの意見が出てきます。「勉強になった、知らないことがわかった」。もうひとつは「見るのが辛い」「戦争を知ることの大切さはわかるけど、伝え方があざとくて押し付けがましい」というものです。戦争をストレートに伝えることに拒否感を示す理由も解ります。しかし、そのことが曲がったナショナリズムやヘイトにつながっていかないか? なんとなく現状維持で現政権支持になっていないか? こうした懸念は常にあります。戦争体験を聞きそれを自分というフィルターを通して歌にするという活動は、古いスタイルかもしれないけれども、入り口のハードルを下げてくれると思いました。

 また、広島市立元町高等学校創造表現コース・美術部の皆さんの「被爆者の体験を絵で再現する活動」は10年間の作品集が会場にありました。この活動も若い人に語り継ぐひとつの切り口だと思います。学校の活動として戦争体験を聞き、研究発表のような形でまとめるという話はよく聞きますが、その話を画で再現するとなると、作品化する際の解釈や表現が必要です。体験談の細部と向かい合う時間も労力もより多く費やすことになったでしょう。担当の先生とお話して、一般には販売していないという作品集を送っていただけることになりました。「南洋の雪」(朝日新聞高知版連載)の西村奈緒美さんとは、水爆実験で被ばくしたマグロ漁船の漁師が労災申請をしているその後のお話を聞きました。この連載は映画『放射線を浴びたX年後』『放射線を浴びたX年後2』や南海放送での番組で扱われた、いわば「隠された被ばく漁船」の漁師たちに、別の角度からプローチされた話だそうです。番組では労災申請をし始めるところまでが描かれていますが、現在でもその活動は継続しているということでした。西村さんもお若い記者です。現在は東京に戻られているそうですが、この件の取材は続けてほしいと願っています。

 

 今回は映像部門からは、大:『抗い —記録作家林えいだいー』督:西真司:『被ばく牛と生きる』督:松原 保の2作品が出されました。いずれも、今年を象する大切な作品だと思います。

 僕が今年の字一字をぶとすれば、まさに「抗」でしょうか。多くの人たちが々な問題に向き合い、理不尽な仕打ちに「抗い」、しかしその抗いは、油断をすれば忘れられ、また、大きな力によって踏みにじられようとしています。この映画に記録された事は、絶対に忘れ去られてはならないものです。

 『抗い —記録作家林えいだいー』の製作はRKB毎日放送です。ここ数年、各地のテレビ局の取材から劇場公開される映画が増えていますが、僕の知る限り、九州発は長崎放送の『五島のトラさん』に次ぐ2作目だと思います。もっと、この動きが加速してほしいし、テレビ番組だけではなく、九州から優れたドキュメンタリー映画を発信してほしいと思います。

 『抗い』は、筑豊地区や福岡県だけの問題をではありません。戦争と侵略に翻弄された朝鮮人労働者や軍人、その妻や家族、多くの負の歴史を語ります。目を背けてはならないと思います。必ず、同じようなことを考え、ヒトを踏みにじろうとする人間が現れますから。それは個人ではなくて、組織であり、企業であり、資本家であり、国を動かす政治家です。その大きな力に抗い続けた林えいだいさんが、2017年9月1日に肺がんのため亡くなられました。北九州の公害問題をはじめ、朝鮮人の強制連行と強制労働の問題に最後まで向き合い、重要な著作を多く残された記録作家が、またひとり鬼籍に入られました。日本の歴史の暗部を、けっして風化させてはならないという強い思いを、今、引き継ぐ時だと思います。

 

 『被ばく牛と生きる』も、福島で被ばく牛たちを「生かす」と決めた畜産農家の抗いであり、戦いの記録です。もちろん、牛だけでなく、猿やイノシシやアライグマやハクビシンや、鳥や魚も被ばくしましたが、この映画では牛に絞り込んで、原発事故からの長い戦いを記録しています。他の映像でも幾度も紹介された「希望の牧場」の吉沢さんの絶対に諦めない姿勢が長期取材から伝わってきます。長期化する問題に資金的にも体力的にも苦しい畜産農家の人たちは、「生かす」ことからの離脱もやむを得ないと思います。そうした牧場からも可能な限り牛を引き取り、野良となった牛も保護して生かす。本来は食われ、乳を搾られるはずの牛たちからは、食うことも乳を絞ることも、皮を取ることも出来ない。繁殖も許されず去勢され、ただ生きることによってその生体を、研究の検体にしているのです。事故がなくても食うために出荷された運命だから、殺処分に同意して補償金をもらえばいいという意見もあります。しかし、牛を育てて人たちは、それは違うのだという。無意味に殺すことにはどうしても同意できないという気持ちは、映画を観る人には解らないかもしれません。それでも、その思いを、身銭を切って貫くことくらいは許されてもいいのではないかと思います。

 

 劇場公開された他の作品にもそれぞれの厳しい「抗い」が見られました。『標的の島 風かたか』(監督:三上智恵)は、今、この時も続いている沖縄の戦いを記録し続けています。「風かたか」が防波堤であることの二重の意味(米軍の戦略的防波堤と米軍に対する住民がつくる防波堤)が痛みを伴って伝わってきます。『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(監督:佐古忠彦)は、現在の沖縄の怒りを、かつて沖縄の声を代弁したリーダーを描くことで再認識させてくれました。沖縄が置かれた現在の状況は、これまで、「米軍の事故や暴行に抗議して、何回県民大会やっても、何も変わらない」「どうせ、日本政府が決めた通りなってしまう」という絶望的な諦念の意識から、「もう、我慢の限界を超えた」という大きな怒りのエネルギーに変わっているように思われます。それでも、相変わらずの無関心を装う本土の、同じ日本国民に対して、この映画は一つの道筋を示しているようのも思われます。亀治郎のようなリーダーが必要だ、と。『夜間もやってる保育園』(監督:大宮浩一)も、まさに現在の政治的な課題を、保育する側と預ける側の共同作業の姿によって浮き彫りにしていました。

 今年も8月6日前後には原爆をめぐり、終戦の前後には戦争の記録や記憶をめぐるテレビ番組が放送されました。例えば『原爆が奪った女子学生315人の青春 〜アメリカ「極秘文書」に隠された真実〜』(テレビ朝日)では、アメリカの報告書『日本における原爆の医学的影響』から「極秘文書」の巻を発見し、広島にある安田高等女学校の詳細な死傷者報告が、構造物と死傷者数の分析に使われていたことを暴きました。学徒動員による工場の配員を把握していた学校に報告された死傷者の数は、医学的な問題としてではなく、次の戦略に役立てられていたのです。機密文書や戦時の日誌などを詳細に掘り起こし、新たな事実を報じた番組もありました。これらの番組の制作者たちも、核問題や戦争を何度も問い直している人たちです。原爆を扱った番組は、広島や長崎でも年々制作する環境が厳しくなっていると聞きました。視聴率が悪くなっているそうです。それでも、新たな事実と向かい合い、伝えようとしていた制作者に敬意を評します。

 

2017.11.30 Thursday

誰もがドキュメンタリーを撮れるようになった今、『モアナ』は、「ドキュメンタリー映画」の自由さを予見していたのかもしれない、と思う。

『モアナ』サウンド版 (*写真は東京フィルメックスのツイッターにも掲載されているが、カラー映画ではない)

監督:ロバート・フラハティ/フランシス・H・フラハティ/モニカ・フラハティ

1926年/1980年/2014年 アメリカ 98分

 

 1926年に公開され、1980年には娘のモニカによってサウンド版が制作されたというこの映画『モアナ』は、さらに2014年に2Kデジタル版として再度公開された。今回はグループ現代によって配給され、2018年9月に岩波ホールで公開される。サウンド版と書かれていたので、僕は音楽がついているのかと勘違いしていた。そのサウンドはモニカによって録音された、当時の状況の再現音であると言っていい。それにしても、ドキュメンタリーの古典がこういう形で何度も蘇るのは楽しく嬉しい。

 フラハティの映画は『極北の怪異(ナヌーク)』(1922年)も『アラン』(1934年)は、DVD化もされていて、安価で手にはいるのだが、その他の作品は観たことがなかった。『モアナ』もドキュメンタリー関係の書籍には必ず登場する作品だ。

 

 「ファクチュアル(factual)映画」という見慣れない用語が、『ノンフィクション映像史』(リチャード・メラン・バーサム著 1971年 日本語版1984年)に出てくる。第6章「ロバート・フラハティの人道主義的な視点」の冒頭だ。「ノンフィクション」と「ファクチュアル」と「ドキュメンタリー」という用語は、この章だけでなく、何度も交差し、行き来する。定義というのは難しい。この章でも繰り返されるのは、『モアナ』がドキュメンタリーと評された最初の映画であるという記述である。

 

「ジョン・グリアスンは、フラハティの『モアナ』(1926年)に言及してドキュメンタリーという用語を初めて使ったが、我々が知っているドキュメンタリー映画、すなわち社会政治的教訓映画の創始者としてフラハティのことを考えるのは、誤解を生じるであろう。」

 

 「ドキュメンタリー映画、すなわち、」のあとの説明がすごい。「社会政治的教訓映画」だ。かなり教義の解釈だといえるのだが、そのかわりに「ファクチュアル」という言葉をフラハティーの映画に冠したようだ。つまり、彼の映画は他のドキュメンタリー映画のように政治的な目的や意思を持っているのではなく、人道主義的だ、と。だから、「ファクチュアル」という言葉は、フラハティの映画の自由さへの賛辞とも言える。

 

 「ロバート・フラハティの人道主義的な視点」の項を読むと、リチャード・メラン・バーサムがとてもユニークな評し方をしていることがわかる。まずは、冒険者であったフラハティの撮影技術の「下手さ」を幾度も指摘している。例えばこんな風に。「この映画は何よりも旅行記に近い牧歌的なものであり、その土地の特色や日常生活のいろいろな事実への想像力を欠いた注目の仕方は、『ナヌーク』であれほど力強くテーマを打ち出した、人間の強さとふるまいへの洞察力を全く欠落させている。カメラを持った人類学者として、学者のあらゆる欠点を露呈していた。」(p140)モアナが成人の儀式として入れ墨を入れるシーンが、アップの連続であることが相当に気に入らなかったらしい。しかし、続けてこう評している。「一方で彼は依然として芸術家であった。彼はあることをくどくどと論じてから、比べようのない美しさ、明快さ、簡潔さを持つ短いショットないしはエピソードで映画を生きたものにしている。」(p140)

 

 人道主義者であるという指摘の背景には、フラハティがまずは冒険者であり、その土地や人々を長期に渡って観察し、フィルムに記録し、結果的にそれらを詩的に再現することを試みている点で、映画産業の商業的な束縛から自由であったことが通底している。上記のような指摘は『ナヌーク』にも向けられ、撮影技術の未熟さを具体的に指摘しながら、それでも「私たちはお互いに、その生き様に共感を示し合う限り、ナヌークとフラハティの無邪気で、純粋で、偽りのない生き方にも共感しなければならない。彼がわたしたちの人生に関わるように、私たちは作品を通じて彼の人生に関わっていくが、それによって私たちはもっと心豊かになり、その経験を忘れはしないだろう。」(p138)という評価は、現在のドキュメンタリー映画を評する際の最大の賛辞であるように聞こえる。描かれたものをじっと見つめ、映し出された者と時間を共有し、その仕草に共感し、自らの体験とも共鳴する。そういう時間は何よりも、ドキュメンタリー映画の魅力であり、情報を超えた「映画」に固有の「体験」であると言える。

 

 「撮影は下手だが、この上なく映画として美しい」と簡潔に言いきればいい。

 誰もが固有のドキュメンタリー映画を撮影することができ、それをもしかすると、特別な映画体験に構成しうる可能がある現在においては、フラハティが示した未熟さが、現在性を帯びて蘇ってくるようだ。

2017.11.21 Tuesday

リュミエールの『塀(壁)の取り壊し』は、どのようにして逆転再生して見せたのだろうか?

 

 

10月31日に東京都写真美術館ホールで公開された『LUMIERE! リュミエール 光の軌跡』を観て、この漠然とした疑問が再燃してしまった。

 既に映画史の専門家の間では解決済みの問題かもしれないが、自分で調べてみるとやっぱり面白かった。

 

 『LUMIERE! リュミエール 光の軌跡』(2016年 90分 監督・脚本・編集・プロデューサー・ナレーション:ティエリー・フレモー 製作:リュミエール研究所)は、とてもためになる映画だった。講義資料として何度も観てきた幾つかの映画が、これまで観たことがなかった初期映画と一緒に鮮やかな画面でそこに現れた。この映画では、4Kデジタルによって復元された150本うち108本を観ることができた。(カタログには、リュミエール社によって1895年から1905年に制作された映画は1422本と記されている)。

 学生の頃は、リュミエール以降の何本かの映画は学校のライブラリーにあったフィルムで見ることができたものの、多くは映画史の資料文献でスチルカットを観ることしかできなかった。

映画誕生100年を迎えた1995年には、フランス国営テレビが毎日1本のリュミエール映画を放映し、365本を収めたDVDセットが発売されそうだ。また、アンドレ・S・ラバルトの『リュミエール』(1995年 フランス 52分)、ハルン・ファロッキの『労働者は工場を去っていく』(1995年 ドイツ 36分)など、初期映画についての研究・記録映画も公開され、チャールズ・マッサーの『Before the Nickel Odeon』(1982年 アメリカ 60分)もその後にDVDがリリースされた。

 

 リュミエールの初期映画はThe Movies BeginのVol.2 The European Pioneersというタイトルの巻でVHSビデオとしても発売され、その後にDVD化された。さらにエジソンやバイオグラフ社、ゴーモン社といった映画史の教科書で僅か数枚のカットでみていた映画が、DVD数巻のセットでリリースされている。

 

 大学や専門学校で「映像概論」や「映画論」を担当するようになってからは、映画前史から初期映画を3〜4回の配分で説明してきた。その時はもっぱらこのようなDVDを活用していた。何しろ、すぐにそれを見せることができるのでとても重宝していた。

リュミエールについては、1895年以降の数年に公開された映画と、その後の展開として、日本にやってきたカメラマン、コンスタン・ジレルやガブリエル・ヴェールの話をし、『映像の世紀』(第11回の最終回)や『夢のシネマ 東京の夢』(演出:吉田喜重 TOKYO MXTV)を、参考資料として観ていた。

 

 5〜6年ほど前に、たまたま同じ曜日に講義に来られていた八木先生お願いして、八木先生が中心となって復元した「シネマトグラフ」と「キネトスコープ」をゼミの学生と一緒に見せてもらったことがある。自分の授業で初期映画の話をしているタイミングだった。それらの復元されたレプリカが映画学科にあることは知っていたが、正直に告白すれば、その時まではそれほど興味を持っていなかった。これもたまたま、八木先生が午前中の授業で「シネマトグラフ」を学生に見せていたという。「今から見るか?」と気軽に応じてくれた。映画学科の1階にあるスタジオの中に設置された「シネマトグラフ」を触らせてもらい、サンプルとして復元された当時のフィルム(「工場の出口」)は、一齣に一組2穴のパーフォレーションが付けられていたのを覚えている。映画学科の技術員の棒さんは、学生時代からお世話になっている人だ。棒さんの説明で映写もさせてもらいクランクを回したのだが、その時は逆回転させてみようなどとは思わず、学生と一緒に興奮していた。

 その後、八木先生とは、何度か休み時間に話をしていて、『塀(壁)の取り壊し』のことも訊いてみた。すぐに構造を確認すればよかったのだが、短い休み時間だったので、それをしなかったことが、その後のモヤモヤを引きずることになる。

 授業のたびに観ていた『塀(壁)の取り壊し』は、そのナレーションを聴きながら、いつもモヤモヤとした疑問は消えず、数年前からは「日本大学芸術学部映画学科の八木先生によれば、シネマトグラフを映写後にそのまま巻き戻すのは構造的に無理があったのではないか、という話もあります。」という曖昧な説明を加えていた。

 先日、4年生のゼミ生が遅れてくるという連絡があって、その時間に棒さんのいる機材室に行き、質問をしてみた。「シネマトグラフは、簡単に逆回転させることが出来たのですか?」「当時のランプは、簡単に点けたり消したり出来たのでしょうか?」

「う〜ん、ちょっと見てみるか?」と、飲もうとしたコーヒーカップを置いて機材室から「シネマトグラフ」を持ってきてくれた。ありがとうごいました。

 そもそも、この疑問がでてきたのは、The Movies Begin Vol.2 The European Pioneersに収められているDemolition of a Wall  1895(『塀の取り壊し』)に次のようなナレーションが付いていたからだ。「リミエールのカメラマンがこのフィルムを見せている時に、プロジェクターが不調で停止して、フィルムを巻き戻した。」

先日観た映画『LUMIERE! リュミエール 光の軌跡』では次のようなナレーションが付けられていた。

「この作品はー上映会での偶然から別の意味で有名になった フィルムを巻き戻す際はランプを消すのが原則 

その時の映写技師は灯けたまま巻き戻したのだ 投影された映像に観客たちはあ然とした

ホコリが収まるとー壁が破壊されるどころか再建されたのである

当時の観客の驚きようは容易に想像できる 翌日上映会に押しかけた工場の工員たちが叫んだ

“社長は魔法使いだ”と 」

そして、『世界映画全史2 映画の発明 初期の見世物1895−1897』 ジョルジュ・サドゥール著では、p98写真のキャプションとp111 上段で次のような説明がされている。

「『塀の取り壊し』。右のチョッキにワイシャツ姿がオーギュスト・リュミエール。このフィルムは1896年1月から、逆回転で映写され、最初のトリック映画となった。」

「〜崩壊した塀の落下で舞い上がる砂埃は、またフィルムを逆回転して砂埃の只中で突然建てられる壁面の一部を見せるように気を配らなかったならば、観客の注意を充分に惹きつけることはなかったに違いない。〜」

 

 やはり太字にした箇所が気になった。まずは「偶然に」という説明と「映写技師はランプを灯けたまま巻き戻した」という説明だ。この説明によれば、上映が終わるとランプを消して巻き戻すのが普通だったということになる。しかもそれを観客が観るためには、フィルムを一旦外すのではなく、パーフォレーションをクローピンが掻き落とすことができる状態で、プレッシャープレートも外さないで巻き戻したことになる。それは本当に出来たのだろうか?

 

「シネマトグラフ」映写時のセッティングは図のようになっていて、映写したフィルムは下方に垂れ流される。

  (カラー写真は映画学科の地下スタジオ)

左上部の小さな箱がレンズを映写ように取り替えたシネマトグラフで、その下の扉がついている部分にフィルムが貯まる。フィルムは二連のハンガーに掛けられていた。一度に撮影できたのは17〜18mなので1巻は約50フィートになる。図のハンガーは50フィートほどのフィルムが2巻一度に掛けられるようになっている。後年、改良されて大きなリールが掛かるようになるとしても、この復元されたこのハンガーでは、大きなリールは掛からない。従って、1本ずつか、繋げたとしても2本分くらいのの幅しかない。

 

「ランプは簡単に点けたり消したり出来たのですか?」と尋ねてみたが、それは難しいことではなかったそうだ。そうなると構造上それは出来たかということになるが、大きな問題がひとつある。図のように映写するためにはクランを映写時のポジションに付け替えなければならない。その軸に斜めの切れ込みがある。この軸にクランクを付けて逆に回そうとすると、クランクが外れるようになっている。無理に回そうとすれば逆に回せるのだが、素直にまわすと間違いなく外側に逃げていく。この切れ目は、最初期のシネマトグラフにもあったのだろうか? あるいは逆回転をしないように改良した時につけられたのだろうか? 残念ながら八木先生が復元したときの設計図が、最初期のものか、その後のモデルかはわからない。

 

そしてもう一つの問題は、仮にクランクを逆に回すことが出来たとしても、フィルムをカメラに装着したまま巻き戻すという行為は効率が悪かったのではないか? という疑問が残ることだ。効率だけではなく、2本のクローピンをパーフォレーションに差し込んで巻き上げると、フィルムやパーフォレーションに負荷がかかって損傷しやすくなるという点だ。構造上は、クランクを逆回転させれば、映写時と同じようにクローピンがパーフォレーションに入って、上に持ち上げることは出来たようだ。しかし映写時は下方に垂れ流しなのでそれほどでもないが、垂れ流されたフィルムは絡まっているかもしれないし、上方に巻き取りながら映写するのはリスクが大きい。しかも、巻き上げられたところで、上部にあるの単なるハンガーなので、いちいちそれを手で巻いていかなければならなかったはずだ。そんな手間の掛かることをしたのだろうか?

 フィルムは後年、映写時の1巻の長さも長くなりリールが使われるようになる。映写が終わるとリールを映写機から外して、リワインダーで巻き戻す。リワインダーは一番シンプルなものが、1対のハンドル付きの軸で、テーブルなどに固定して巻き戻す。電動モーターを使うものや、数巻を同時に巻き戻すことができる大型のリアインダーもある。映写機を使って巻き戻す場合は、フィルムを映写時の位置から外し、クローピンやプレッシャープレートを通らないように、巻取り側のリールに繋いでモーターで逆回転させて巻き取る。逆回転させるよりも早いし、フィルムを傷つけないようにするためだ。

そうなるとリワインダーのような2本の軸や巻取り用のリールを作るほうが技術的には簡単だったのではないか?

  

そしてもう一つの疑問は「〜このフィルムは1896年1月から、逆回転で映写され、最初のトリック映画となった。」という説明だ。リミエールの映画が最初に公開されたのは1895年12月28日である。そのひと月後からは「逆回転で映写された」ということは、映写のたびに逆回転でも見せていたということだろう。そうなると最初期のシネマトグラフに、クランクをはめる軸の斜めの切れ込みがあったらとても不自由だったのではないか? 無かったとすれば、毎回フィルムを傷つけるかもしれない心配をしながら、逆転で映写したのだろうか? もしも、意図的に映写後のフィルムをTOPとENDを逆にしてTOP側から巻いて映写したらどうなるか? もちろん映写はできるが、これだと天地が逆さまになってしまう。

やはり謎は解けない。

 もうひとつ、『LUMIERE! リュミエール 光の軌跡』のプログラムでは『壁の取り壊し』1897と記されている。1897年に撮影された映画を1896年1月に映写することは不可能だ。別バージョンも作られたかもしれないが、今、見ることができる『壁の取り壊し』はすべてこの同じバージョンのはずだ。『世界映画全史2 映画の発明 初期の見世物1895−1897』には「『塀の取り壊し』は、グランカフェの最初のプログラムには入っていなかった可能性がある」(p97注釈)と記されている。

 この映画はいつ撮影されたのだろう? そしてどうやって逆回転で映写していたのだろう?

 答えは出ているのかもしれないが、こうして自分で考えるのは、とても楽しかった。僕はまだ、その答えを知らない。

 

2017.09.24 Sunday

早合点しないこと、立ち止まって少しだけでも考える時間を作ること。

『窓をひろげて考えよう』 下村健一・著 

かもがわ出版 2017年7月24日

 

毎日のように北朝鮮のことが報じられている。戦争になるのでは、と危機感を煽られる日々が続く。メディアはアメリカ大統領と北朝鮮の指導者の挑発合戦を報じ続けている。日本はどうなるのだろうか? ミサイル防衛システムは必要なのだろうか?

こんなことを考えているのは、子どもたちではなく、むしろニュースをよく見る大人たちだ。今、この本に書かれていることは、大人たちへのメッセージでもある。

 

本書のテーマを短くまとめるとこうだろうか。

「見聞きしたことを早合点しないこと。その早合点で他の人を間違いに巻き込んだり、傷つけたりしないこと。そして自分も守ること。そのために日頃からトレーニングをしよう。」

 

下村健一さんの新しい著書は、絵本の体裁をとっているが、幼児向けの本ではない。小学校の高学年を読者として想定しているそうだが、中・高校生でも、あるいは大人でも、あらためて気付かされることが多いだろう。われわれも、つい、情報の読み違いや、その不用意な拡散をしてしまっていることがあるはずだ。

絵本の体裁は、タイトルにもある「窓」を効果的に見せる方法でもある。「窓」を通した見え方を提示して、ページをめくると窓の外の世界が見える。切り抜かれた窓は、テレビの枠でもあり、スマートホンの表示画面でもある。こうした仕掛けは、手に取るととても楽しい。僕は個人的に絵本を楽しんでいるほうの大人だと思う。板橋区立美術館が毎年開催する「ボローニャ国際絵本展」の原画展を見に行くことがあるからだ。開催時期には絵本も多く揃えられ、それらを眺めているととても楽しい。同時に、絵本は子どもたち向けだけではないこともわかる。昔話や各地の教訓譚の類だけではなく、現代的なエピソードも巧みに取り込まれている。この『窓もひろげて考えよう』も、現実に起こった事件やエピソードをベースに8つのケースを使って、それぞれの「早合点」の起こり方を説明している。

例えば「体験3 動物園からワニがにげた!」では、窓を外したページの囲みで、2016年に熊本地震の際に広がった「ライオンが逃げた」というデマを紹介している。「体験4 両国の関係、ちょっと心配、、、」では、首脳会談やサミットでどの瞬間を捉えて伝えるかという恣意的な選択が説明されている。この種の切り取りは、現在の米朝の緊張関係を伝えるときにも、お互いの怒った顔ばかりが報じられるし、警察に捕まった犯人の顔はいつでも凶悪そうな写真が使われる。あるいは「体験8 犯人はこいつに決まってる!」では、松本サリン事件の誤報をベースにしている。この騒ぎは報道被害にも発展した。新聞やテレビが他社のスクープに反応し、情報を検証せずに即応したために過剰な報道合戦となった例だ。

 

8つのケースで共通して扱われているのは、「枠」と「スピード」の問題だ。「枠」は、具体的にはテレビやパソコン、スマートホンの「フレーム」だ。フレームは視野を枠で切り取ることで見える「枠」と、思い込みや勘違い、あるいは差別意識などの、いわば「心的な枠」も想定される。更には、メディアにとっての様々な枠は「スピード」にも関係する。テレビの番組という枠、その中でVTRが何秒以内という時間の枠、新聞や雑誌であれば、文字通りの紙面の枠であり、月刊、週刊、日刊といった出版体制の枠組みや、WEBサイトの枠でもある。「スピード」は、情報の伝達速度であり、速報性や即応性といった、情報に対する反応のスピードである。SNSの速報性には、つい受け取った側も、急いで反応して誰かに伝えようとしてしまう。即応性は必要なときもあるがとても危険なときもある。

 

「枠」と「スピード」の両方に対して、少しだけ立ち止まって考えてみること。見方を少し変えること。それは伝えた人の立場を考えたり、伝え方の視点を変えてみたり、伝えられた側の読み取り方を想定してみたりする、そんな時間をつくるということだ。「慌てないこと、見えている窓を固めないこと、その窓を少しでも広げてみる」ということを、本書は教えている。

2017.09.19 Tuesday

沖縄の現代史を、まずは「面白い」から始めてもいい。カメジローは面白いのだ。

『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
監督:佐古忠彦 撮影:福田安美 配給:彩プロ 著作・製作 TBSテレビ 2017年 107分

 

 

 沖縄現代史の複雑さを改めて知る。「面白い」から始めてもいい。まずは知ること。

 観終わった後には「痛快なカメジローの人物像」が何度も反復される気がした。佐古監督が「週刊金曜日(2017.8.25)」で言うように、現在のオール沖縄の熱気は、この映画で描かれる亀治郎の演説風景に近いかもしれない。「亀次郎さんが言っていたことの一つが『小異を捨てずに大同につく』でした(笑)。みんな考えは違っていても、ここぞという時には一つになろうぜ、と。まさに今が、そうなんだと思います。つまり決して『瀬長亀次郎=翁長雄志』ではないんですが、3年前の知事選(2014年11月)で、沖縄保革の構図が崩れた。その前の仲井眞弘多さんが13年12月に辺野古移設に向けた埋め立てを承認し、市民に怒りがあふれ、それが翌年秋の県知事選挙へつながっていった。このときの熱気あふれる『空気』を、私は現場で直接感じていました。」

 沖縄が置かれた現在の状況は、これまで、「米軍の事故や暴行に抗議して、何回県民大会やっても、何も変わらない」「どうせ、日本政府が決めた通りなってしまう」という絶望的な諦念の意識から、「もう、我慢の限界を超えた」という大きな怒りのエネルギーに変わっているように思われる。それでも、相変わらずの無関心を装う本土の、同じ日本国民に対して、この映画は一つの道筋を示しているようのも思われる。亀治郎のようなリーダが必要だ、と。

 

 沖縄については、映画や文献である程度のことは知っていたつもりだったけれども、瀬長亀次郎のことは知らなかった。恥ずかしい。瀬長亀次郎は戦中と戦後の米軍統治下での県民の自治を訴え、米軍傀儡の琉球政府にあって内部から抵抗した。映画でも使われた、1952年4月1日の写真は、抵抗の象徴として印象に残る。「琉球政府」の設立は、アメリカの占領政策の一環でもあり、傀儡政府の容認でもある。その式典の最後、宣誓文の読み上げの際に、最後尾の席で一人、起立も脱帽も拒んだ亀治郎の姿だ。「占領された市民は、占領軍に忠誠を誓うことを強制されない」(ハーグ陸戦条約の条文)を、法的な根拠に、米軍に対して忠誠を誓うどころか、演説では、「一粒の砂も米軍のものではない」と、市民を煽り、米軍を挑発した。復帰前の沖縄では共産党に党籍があることは隠して、返還前の沖縄立法議員や那覇市長に当選している。1950年代の米軍統治下の沖縄では、レッドパージを恐れて共産党籍を隠すことはあったであろうし、沖縄人民党も共産党との関係は強かったはずだ。それは、米軍にとっては公職追放の切り札であったし、逮捕・拘留の根拠でもあった。

 1956年に那覇市長に出馬し、当選した後に、那覇市への水道供給を止められるなど、米軍の露骨な嫌がらせにあったエピソードは、亀治郎の政治的な力に対する恐れの現れだったのだろう。亀治郎を応援する市民が税金を収めに殺到し、納税率が97%に登ったというウソのようなエピソードも紹介されている。

 

 佐古監督が語るように、亀治郎は対米軍という意味では「反体制」であり、左翼であるといえる。しかし、本土復帰や沖縄県民の自治を訴えた愛国者・愛郷者であり、保守的な政治家であったとも言える。対日本国的にはどうだったのか?1970年の国政参加選挙で当選以来、7期連続当選しているが、衆議院議員として日本共産党に所属し、党副委員長(1973年〜)などを歴任した。この頃の亀治郎に対する沖縄県民の評価には、もしかすると温度差があったのではないか? 政府自民党と対立するよりも、内部から沖縄の立場を好転させるという政策を望んだ人たちはいなかっただろうか? 現在も続く共産党へのアレルギーは、当時の沖縄ではどうだったのだろうか? 沖縄選出の議員や県知事が、基地負担に対する迷惑料のような「沖縄振興予算」を引き出した功罪は、経済的な自立の足枷になっていた事実もある。沖縄現代史に詳しくないので、そのあたりは自分への課題とするしかない。

 

 沖縄には、仕事で頻繁に行った時期があったが、謝花昇の話題になったことはあったが、瀬長亀次郎のことを聞いたことが無い。少なくとも記憶にはなかった。謝花は、沖縄初の農学士で明治の自由民権運動に刺激を受けた社会運動家、沖縄の農政改革運動に関わった。沖縄県庁在職時には奈良原繁県知事と対立し、沖縄を追われた謝花は不遇な晩年を送り43歳で狂死したと言われている。謝花昇に続いて、瀬長亀治郎の名前を覚えた。

 瀬長亀次郎のような強い指導者を望むのは、沖縄だけではない。それは、佐古監督のメッセージでもあると思う。真に強い指導者とは誰か? 自分よりも強い物の側に立ち、富める者の主張を優先し、弱者の言葉を切り捨て、学問を軽視し、保身のために解散選挙を強行するような輩でないことだけは確かだ。

2017.09.18 Monday

スウェーデンの歴史など、実は何も知らなかったのだ。

 

『サーミの血 Sameblod』 2016年 スウェーデン、ノルウェー、デンマーク 108

 

 何故かこのところ、北欧の劇映画を観ている。予告編の連鎖に、つい「良さそうだな」と思ってしまい、まんまとハマってしまったこともあるかもしれないけど、ハマったにしてもとても心地よくハマった。

 スウェーデンと言えば、日本がモデルにすべき社会主義・民主主義・福祉国家(*社会主義と民主主義は矛盾しない。社会主義の対概念は民主主義ではなく、民主主義の対概念は唯神あるいは独裁主義だ。資本主義の対概念が共産主義である。)と言われ、税金は高いけれども福祉が充実している国だという認識がある。北欧の家具などが人気があるが、この国についての無知を痛感する。何も知らなかった。

 ラップランド人、サーミ族のことを今まで目にすることがなかった。映画では1930年代、スウェーデンの先住民族差別の歴史を描いている。サーミ族は、ユーラシア大陸中部から移動してきた民族の末裔だと思うのだが、小柄で体型や顔つきにも特徴がある。大柄な北欧の現代人から見れば、明らかに別の民族であることがわかる。トナカイの放牧などを行っていた移動民族は、かつて劣性の種族であると差別され、「脳が文明に対応できない」という科学的(?)論文もあったという。

 主人公の少女エレは、サーミ族の置かれた立場に絶望する。勉強ができて進学を希望しても、民族として無理だと、憧れていた教師に宣告される。その根拠が、科学的研究成果であり、サーミ族が生きるためには、民族の暮らしと・伝統を守ることだ、と諭される。エレたちサーミ族の子どもたちが、研究のためか身体の特徴を計測されて写真を撮られるシーンが有る。

 スウェーデンの人種差別は、現在ではなくなっているのか? 上映後のトークで、北欧の研究者の大学教授は「現在の問題としては、他国からの移民の課題が重要で、サーミ族は元々のスェーデン人であるという認識になっている。相対的に差別意識は薄れている。」という微妙な発言をしていた。そうなのだろうか、とふと思う。現在的な課題からすれば、サーミ族を源スウェーデン人のひとつ、先住民族として認めてもいいけどね、というニュアンスに聞こえた。実際はどうなのかはわからない。身体的な特徴に対する差別を、教育で乗り越えることは難しいだろうと思う。現にアメリカでは、いまだに黒人差別は消えていないし、日本の朝鮮・中国にたいする差別も同様だ。

 第二次世界大戦で、スェーデンは「中立」という立場を取っていたが、それは、他国がナチスの勢力拡大に巻き込まれる中で、半分はナチスに加担していたようなものだと説明され、複雑な歴史を抱えた国だということを改めて気付かされた。大戦当時、隣接する他国を裏切ったことの後悔が、現在の意識につながっているのだろうか?

 いずれにしても、自国の恥部の向き合った映画であることは間違いない。自国の差別の歴史をきちんと描くことは、日本の事情からは遠い理想のように思われた。

2017.08.21 Monday

少年が夢を叶える映画だと思ったら、とんでもない映画だった。

 

 

『きっと、いい日が待っている』

監督:イェスパ・W・ネルスン 2016年 デンマーク 119

 

 

 

主人公の少年エルマーが、宇宙飛行士になりたい少年が夢をかなえるような呑気な映画だと思っていたら大間違いで、これは本当にものすごい映画だった。後味が圧倒的に悪い。でも、観てよかったと思える映画だった。

 

 僕が子供の頃、近くには「少年院前」というバス停があった。「少年院」というのは、犯罪を犯した少年たちが集められ、その内部は、過酷で、残酷なことが日常的に起こっているのだと、同級生や年長者から聞かされていた。少年漫画でも「男組」とか「暴力大将」なんかで、そんなものすごい、刑務所みたいな場所を想像していた。もちろん、この映画のような保護施設と、犯罪を犯した少年を収監する「少年鑑別所」や「少年院」とは違うのだけれども、子供の頃の僕は、そんな「少年院」から、ものすごいやつが脱走してきたらどうしよう、などと妄想していた。

 

 1960年代末のコペンハーゲンを舞台にしたこの映画は、僕の中でもうっすら記憶がある、アポロ11号の月面着陸の出来事が大きな役割を持っている。予告編をぼんやりと観ていた僕は、宇宙飛行士になりたい少年が、やがて夢を叶えていくような映画か、『My Life as a Dog』のような、少年と少女の儚い思い出の話か何かだと思っていた。

 

 美しい映画だと思う。そして、少年たちがこんなに殴られる映画を久しぶりに観た。施設を管理する役人のような教師たちと責任者である校長は、少年たちを更生させるという大義をもって、過酷な規律と労働を強いて、効率よく「正しい少年」にしようとする。その正しさは、少年たちのためではなく、大人にとって都合のいい正しさでしかない。幽霊のように没個性化し、滅私奉公を身体で覚えさせようという、戦前の日本の教育を観るようだった。

 「宇宙飛行士になりたい」と口にしただけで、いきなり殴られ、それは間違っていると言われる。社会に役に立つ職人になることが、ここでの上がりだからだ。一番厳しかったのは、教員の中に変態がいて、少年たちを夜毎に自室に呼び出しているシーンだった。主人公の弟エルマーにもその呼出がやってくる。直接の陵辱のシーンはないものの、目を覆いたくなるようなエピソードだった。事実かどうかはわからないが、こんな施設だったありえただろうと思ってしまう。

 実話に基づいているというこの映画は、自国の政策の恥部をさらけ出している。更生という大義は、こうして、管理する側も、される側も、周囲の人間も変えていく。エルマーの素朴な将来の夢が、そこに裂け目を作ることになるのだが、後味の悪さは消えなかった。

 

 

 

2017.07.12 Wednesday

「写狂老人A」はやっぱり凄かった

 

『写狂老人A 荒木経惟』

2017年7月11日 東京オペラシティー・アートギャラリー

 

『写狂老人A』を観てきた。

熱心に追いかけてきた人ではないけれども、この人の写真はずっと好きだ。77歳の写真はますます猥褻で、ますますセンチメンタルで、どこまでも「写真集」であると思った。単体で数枚を見るような人ではなくて、あくまで膨大な「集」として、その何か集積を圧倒的な空間で見せる人だと思う。

今回は新作をゼラチン・シルバープリントで展示している。ビデオプロジェクターによるスライドショーのような展示もあるのだが、やはり圧巻は白黒写真の集積だと思う。いわゆるモノクロ写真は、印画紙で見せるという当たり前の手法なのだが、今ではかえってコストも掛かる。白黒の写真は、やっぱり印画紙がいいな、などと素直に感心してしまう。

入り口からすぐの展示は「大光画」で140×100cmのサイズの裸が並ぶ。「週刊大衆」の「人妻エロス」のシリーズだから、圧倒的に猥褻だ。美しいとはとても思われない、ダイナミックなスタイルの女性も、老いた女性の裸体も、誇らしげに「エロス」を突きつけてくる。このサイズでこれだけの数(50点)を見せられると、もはや、「これにエロスを感じないお前はおかしいのだ」と言われているようだ。

 

次の部屋は「空百景」と「花百景」で45.7×56cmの写真が点ずつ壁面の上までを覆っている。一転して美しいのだけど、それは単体としての写真の美しさではなくて、この展示空間の壁面の美しさだと思う。見上げるように100枚の空を見、100枚の花に目を凝らす。

 

「写狂老人日記」は13×18cmの写真が687枚。写真がスタイルでなく、本気で日記と化していることがわかる。すべての写真は「'17.7.7」の日付があるが、少し見ていくと、冬の風景もあることに気が付き、この日付の意味を考える。妻、陽子さんとの結婚記念日であることを、受付でもらった作品リストを読んで知る。それにしても、それぞれの部屋にそれぞれのサイズで、それぞれの空間に適した(むしろ過剰な)展示数で飾られている写真は、写真の本来の役割を考えさせられる。ここにある687枚はこのサイズで壁に貼られてこそ写真になる。

数週間前に見た写真美術館の写真展では、どう考えてこのサイズにしても意味が無いだろうと思う写真が、「芸術」として展示されていた。平成の写真の閉塞感しか感じなかった展覧会だったが、そこにあったのは、写真が額装された「作品」と化した醜い姿だった。

 

この人の写真は、絶対に「ゲイジュツ」などではないところがやはり凄い。明らかに猥褻だし、どう見ても日記だし、毎日の窓越しの風景だ。『花百景』は唯一、「ゲイジュツ」に歩み寄ろうとしているけれども、そこになるのは、圧倒的な「花の塊」だ。

また、「切実」に(ripping truth 切り刻まれた真実)という英語タイトルがあてられていて、このセンスはとてもいいと思った。

出口にまとめられた年表と、写真集の出版数を見ながら、呆然とする。この元気な写狂老人が死んだら、昭和の写真は、終わる気がした。

2017.04.25 Tuesday

描かないことで現れる空間の面白さを再認識した映画だった

 

『午後8時の訪問者』 

監督:ジャン=ピエール&ジャック・ダルデンヌ 2016年 ベルギー/フランス 106分

 

郊外の小さな診療所にいるジェニーという若い女医は、やがて大きな病院に勤務するらしい。それまでの間、知人で初老の男性医師の代わりにこの診療所にいることがわかる。診療所には若い研修医の男性もいる。ジェニーがこれから異動する病院の歓迎パーティーに向かう夜に事件が起こる。

 

この映画は、よくわからない事と描くべき細部が絶妙のバランスで点在する。例えばジェニーは聴診器を当てて患者の音を聴く。その音は我々には聞こえないし、ジャニーが何かを感じたことだけはわかる。聞こえないけれども、そのやり取りは細部まで描かれていて、患者と医者とのやり取りは事件の解明のための手段だったことがわかる。ジャニーは患者の微妙な動揺や反応を聴いていた。

わからない事といえば、ジェニーのことはほとんどよく解らない。何者なのか? プライベートな空間もほとんど描かれていない。ストーリーから見えること以上の情報は意図的に隠されている。それは、物語全体の約束事のように機能している。周囲の人物も実はよく解らない人たちだ。患者の少年もその両親も、被害者もその姉も、若い研修医の行動も、そしてこの診療所も、内部は何度も描かれるが、外観もほとんどドアしか現れないし、どこの町なのかもわからない。ジェニーがここを手伝っている経緯もよく解らない。ジェニーが行くはずだった病院も細かいことはわからない。ジェニーと周囲の人達は、こんな絶妙なわからなさに包まれている。その奇妙な空間で、理由の分からない殺人が起こっている。

見終わった後の、不愉快ではない後味の悪さとその不思議な感覚は、演出の策にハマった者が感じる映画的な動揺だと思った。

2017.04.11 Tuesday

本気で嫌だと言っているヒトたちと、今ここにいるのは自分というヒトではない、と思い込もうとしているヒトたち

『標的の島 風かたか』

監督:三上智恵 撮影監督:平田守 2017年 119分 DCP・BD

 

 

 昨日(2017年4月10日)、『標的の島 風かたか』を観てきた。帰路、様々なことを考えた。何もできない自分に苛立つよりも、この映画で描かれている人たちの長い道を想った。『標的の村』も『戰場ぬ止み』も、今回も、地域に生きる当事者たちの姿が描かれていた。事態は悪化しているだけだった。ゆっくりと、じっくりと。この映画を観たことを、そしてこの映画で知ったことを知人や学生たちに伝えようと思った。今日のニュースでは、アメリカ軍の艦隊が朝鮮半島に集結しているという。アメリカ軍が留まっている先には、北と南を隔てる境界線がある。1953年に合意された休戦協定による軍事境界線が、アメリカ軍の防波堤になっている。

 

 沖縄にはどうして、辺野古、高江の基地やヘリパッドの建設に賛成の人や反対をしない人がいるのだろうか?と、素朴に思う人がいるだろう。それは、原発にしても同じだ。賛成か反対かというふたつの立場だけではなく、「どちらかと言えば賛成・反対」という意見もあるだろう。「関係ない」という人もいる。「知りたくない」という人もいる。そうだ。知りたくない人が知らないように、関係ないと言う人が関係しないように事が運んでいる。だから、この映画で伝えられるアメリカ軍の「エアシーバトル構想」も知られてはいない。日本全土と奄美、沖縄本島、宮古島、石垣島、台湾へと続く大きな弧は、中国と対峙する防衛ラインとして設定されている。防波堤=風かたか。地域を守る「風かたか」になろうと抵抗する人たちと、中国の軍事的脅威を唱え暴力的に築かれる防波堤。

 

 宮古島の自衛隊基地建設や石垣島のミサイル基地建設は、住民たちを二分する。これまでにも、何度も見てきた住民同士の対立がここでも繰り返される。「反対する人たちはどうして自衛隊が来るとすぐに戦争と結びつけるんだ! 中国の脅威に対する防衛手段だ!」と防衛省のようなことをいう人たちがいる。「日本軍は沖縄の人間を守らなかった。軍隊に殺された人もいる!」と、沖縄戦の記憶を辿る人たちがいる。もちろん、基地建設と自衛隊員の流入で金銭的に潤う人たちもいる。だから、対立するのはいつも当事者たちだ。原発立地に人たちも、ダム建設立地の人たちも、公害病の地域の人たちも。同じ地域で暮らしてきた人たちが、激しく対立する。

 

 この映画が描いているのは「反対」を主張する人々ではない。その土地に生きていて、そこで暮らし続けたいという人たちだ。ずっと、その土地を愛してきた人たちが、「嫌だ」と言っている。どんな人が嫌だと言っているのか? この映画を見ればわかる。人が本気で嫌だと言っている言葉を、至近距離で聞いている機動隊の隊員たちは、暗示にかけるように、人ではないふりをする。この若い隊員たちは「沖縄で過激派や活動家たちが、ヘリパッド建設を妨害しているから排除してこい」と言われてきたはずだ。そこにいたのは、本気で生きている住人たちだったはずだ。もちろん、県内の他地域や県外から支援に来た人もいただろう。彼らは同じ痛みを少しでも共有しようとしている人たちに見える。みんな同じように、力強い怒りの眼をしているからだ。警察や機動隊員も、地元では正義感のある若者なのかもしれない。この映画は、だから悲しい。

 

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