この年齢で出会った「綴り方運動」に共感する

『現代日本の思想ーその五つの渦ー』
久野収 鶴見俊輔 岩波新書 1956年11月17日 発行
『「赤」の誘惑』に誘惑されて、ホームズの素人が『緋色の研究』を読んでしまったら、奇妙な偶然に出会った。
わかったからといって、どうでもいいような気がするけれど、こういう本を読むのはとても楽しい
『盆踊り 乱交の民俗学』 下川耿史 作品社 2011年8月30日 発行
作品社はもともと日本純文学を出発点にしているのだけれども、この本のような「異端と逸脱の文化史」シリーズは、タイトルを眺めるだけでも楽しい。『おなら大全』『うんち大全』『おしりとその穴の文化史』など、身体の特定の部位を取り上げたものが多い。
『盆踊り』の副題にある「乱交の民俗学」は、赤松啓介の仕事を直ぐに連想させるが、その連想はとても正しかった。本文中でも冒頭から、いわゆる日本民俗学の「正史」に異を唱えるし、異に属する研究者を擁護する。「性の問題を矮小化してきた民俗学」の項(p13〜)では「たとえば秋田県西馬音内の盆踊りは、黒い覆面に目穴だけを開けた踊り子がズラリと列をなして踊ることから「亡者踊り」と呼ばれ、その幻想的な雰囲気から日本の参内盆踊りの一つに挙げられている。この覆面は「ひこさ頭巾」と呼ばれているが、その頭巾が「愛の営みのための小道具」と喝破したのは、秋田県農業短大教授だった、野良着研究家の日浅治枝子である。」と引用し、同じ盆踊りが「正史」の側からは別の見方がなされてきたという。「これらはすべて亡者と生者、見えるものと見えないものという対立する世界の仲介者― 橋渡しの役割を果たしてきたものと考える。特定の人間が面を隠すことによって、〈霊〉が吹き込まれるのである。人界の想像する世界においてのみ成就する、いわゆる変貌の代理者なのである面を蔽う事によって、存在そのものの時限から離れるのである。」(『歌垣の民俗学的研究』渡辺昭五 1967年)といった論を対置させる。
僕自身も、盆踊りとはその地域や家族内の先祖や死者との交感の場であると思っていたし、だから、死者が踊りの隊列に紛れ込んで踊りを楽しんでいても見分けがつかないように、同じ着物で深い笠をかぶっているのだという説を美しいと思っていた。実際、新潟や富山の有名な盆踊りでは、顔が判別できないような大きな笠をかぶっている。もちろんこうした美しい理念がなかったわけではないだろうが、庶民・大衆にまで浸透し貫かれていたかどうかは疑問だった。
その後に赤松啓介の著作を読んでからは、そこに活写された庶民(常民)の性生活や性に関する特異な風習・信仰が、むしろ常態であったことを知る。『非常民の民俗文化―生活民俗と差別昔話』(明石書店1986年)や『夜這いの民俗学』(明石書店1994年)は特に面白かった。本書でも紹介される夜這いや雑魚寝祭り、若衆宿、お籠りといった言葉が生き生きと描写されていた。祭の夜に若者同士が交わってできてしまった子どもは、集落の子供として育てられたという逸話も、集落を維持する工夫とも捉えられ、美しい理念のようにも映る。もちろん、明治以前の性的な開放性を、野放図な性の氾濫とする考え方もあるし、淫風陋習として排斥しようとした当時の政策にも頷ける部分がある。しかしそこで黙殺されるのは、陋習ばかりではなく、庶民に伝承された慎ましい喜びの遊戯でもあったのだろう。豊穣祈願の祭りには、今でも性交のアナロジーが見られるし、巨大な男性器や女性器が神輿に載っていることも、奉納されていることもある。こうしたシンボル化の背景には、必ず実態としての行為があったはずだ。
著者の情熱は、そうした遊戯の「異」ばかりではなく、庶民のおおらかな思考を、むしろ「正史」が意図的に見落とした、その作為を告発することに向けられている。
『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)が編まれた頃には、すでに記述されていた「歌垣」が性関係を賭けた歌の勝負だったという記述は、同じ頃の『常陸風土記』には幾つもの事例が見られるという。女性の側は男性よりも優れた歌を読むことで、性関係を拒否できたというのだから、知的な勝負でありながら随分と思い切ったものを賭けたものだと思う。本書の展開をかいつまんでいけば、宮中の行事はやがて庶民の間にも知られ、擬似的な歌垣はその本来の目的(歌の出来栄えよりは性的関係を賭けた勝負)を残して様々に変奏する。風流と呼ばれた様々な芸能の流行、信仰を擬した念仏踊りなど、いわば規制をかいくぐる知恵の根底には、性的風習の伝播が伴っていた。
「正史」との対立は様々な分野に及ぶし、学者としてオーソライズされているかどうかが、検証の正しさを担保するものではない。赤松啓介や宮本常一のように、足で稼いだ資料が最も重要な場合もある。もちろん、折口信夫〜柳田国男を筆頭とする「正史」が無意味なはずはなく、その膨大な仕事は尊重されるべき重要な成果である。
一方、何が「豊か」かは規定できないけれども、庶民の情熱に後押しされた性への執着(あるいは無頓着さ)が、豊かさとは何かを考える契機となった。
映像に取り組もうと思った自分自身の「なぜそう思ったか」を刺激されてしまう。
この本も発行された時に手にとって、面白そうだと思ったけれども、読まずに置かれたままだった。バーバラ・M・スタッフォードの『ビジュアル・アナロジー』を読んだので、ふとこの本を思い出した。本というのは、その本を読むタイミングとか順番とかそういうものがあるのだなと改めて思った。
表題の通り、神戸芸術工科大学での13回の講義が11章に再構成されているのだが、1回の講義が3時間を超えたというから、各章のボリュームは、話の飛躍や余談も含めて著者が意図したライブ感を伴っている。巻末の「あとがき」には、「夢の教室はすぐに考えても2つほどのパターンがある。」とあり、少人数を対象とした対話形式で進んでいくものと、この本のベースとなったような一般にも公開され、多人数に向けてのものという2つだ。この本も「〜教える側、教わる側の電位差がかなりあることがはっきりしている場合は特にだが、教える側が教える側であることに徹して口舌のサービスを尽くす。」という態度に貫かれている。これは教壇に立つものとしては、それだけで参考になる態度だ。自分が面白いと思っているものを、何しろ面白いのだと、徹底的に伝えまくる。その際に、当然、教わる側の意識も計算しながら、教わる側が迂闊にも「面白い」と思えるように、各回の構成を考えなければならない。
あらゆる目に見えるものを、それが現れた国や地域や時代の視覚文化と並走する図像の表出として捉え、正統で立派な絵画史でけでなく、文学に現れる描写や、様々な雑誌やカタログの図版から、あるいは見世物のポスターや黄表紙、あるいは迷路や庭園などの造形物までを、何かと何かがどこかで繋がる契機として捉えていく。気の遠くなるような作業だが、学問とはこういうものなのだろうと思わせるには充分だし、そのダイナミックな縦断・横断性と、比較対象となる図像の選択には感動する。バーバラ・スタッフォードがそうであったように、図像に対することばの優位を継承してきた歴史に対して、何と何が違うということを指摘する言語の体系ではなく、何かと何かがこのように似ているということを、引き合いに出された図像の相互に現れる視覚の説得力で示していく。
図像に現れる世界の見え方と対照的に、言語の秩序で世界を表現しようとした本の世界が引き合いに出される。初めてアルファベット順の検索機能を持った『サイクロペディア』(1728年、スコットランド)が、「本の中の小さな世界が外の世界とは別の秩序を持ってしまった。」そのために「これも見よ」というクロスリファレンスが必要になったという。そして1920年代になってから、外界と言語世界との繋がりを回復するための動きがおこる、と。(p27)こんなことは、今まで随分と辞書を引いてきたけれども考えもしなかった。たしかに逆引きとか類語辞典は、アルファベットとは別の秩序を持っているけれども、単に検索方法のバリエーションだと思っていた。Familyを引けば、fatherやmotherやsonが続くという秩序のほうが、確かに外界と繋がっている。アルファベットによる秩序のように、「人為的な世界表現の約束事を表象と呼びます。」とは、簡潔でわかりやすい説明だ。
また、ピクチャレスクという言葉が「ものの見え方全体に関わる言葉」であるとして、それは、ものの考え方や世界観を、いかにその時代に現れる様々な図像の中に、わかりやすく、かつ美学的に捉え直すか、という格闘の歴史をも意味する言葉だったのだと気づかされる。その情熱は江戸の庭師の仕事や、イギリスの庭園のコンセプトにも見られ、それとは対照的な風景として、ルイ14世の時代にフランスで作られた城を採り上げる。城の頂上からだけ全景を俯瞰視することができる庭園は「見るということは政治的な営みとして整備されてきたシステムだということの一例です。」とある。つまり、整備された庭園の風景は国王のための劇場であった、という。(p230)この考え方は当然のように建築そのもの、そしてインテリアデザインにも及ぶ。
推理小説で特に好んで描かれる密室の描写を、インテリア・デザインの表象と結びつける作業も、講義の中で繰り返し行われているが、コナン・ドイルの『緋色の研究』(1887年)が、蓮實重彦の『「赤」の誘惑』でも「緋色の糸に導かれて」の項で論じられたことを想起しながら読むと、文学から派生する図像の世界観が、思いもよらぬ方向に開かれていく。
「見切り」という言葉が、江戸の美術や庭園の作法で「フレーミング」のことを意味していたというのも、「見切る」という言葉を「写り込み」と同義で使っていたものからすると驚きだった。映像の用語はたいてい歌舞伎などの舞台用語の転用だと思っていたから、さらにその元が庭園の作法だったとは。こうした幾つもの驚きが、余談や脱線からも次々に出てくれば、こういう講義は退屈している隙がないのだろうな。映像についての自分の興味と照合すれば、ピクチャレスクの延長にカメラ・オブスキュラがあり、写真や幻燈への展開、さらには映画前史のパノラマやアニメーションへの関心へと繋がっていく。今、読み始めたのは『幻燈の世紀』(岩本憲児)と『キルヒャーの世界図鑑』(ジャスリン・ゴドウィン)の二冊。こういう順番がいいかどうかはわからないけれども、刺激の連鎖で次に読む本を決めていくのは楽しい。
第1部と第2部では、対象が違うために重複する話題も多いのだが、何日もかけてこの本を読む側としては、ちょうど頃合いの良い復習となって好都合だった。
歴史をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。高山節をライブで聞いてみたいものだ。
『象徴の芸術工学』神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ
高山宏 工作舎 2002年9月5日発行
原発事故を映す鏡として、水俣病を今に刻み直す契機として

この映画を観たのは正式な試写会ではなく、岩波書店の会議室だった。井坂能行さんが呼びかけ、『シリーズ 日本のドキュメンタリー』を作った時の編集に関わった皆さんが集まった。監督・撮影の山口さんも同席していた。山口さんは岩波映画で撮影を担当していた方だ。直接作者のお話を聴くことができる貴重な試写の機会だった。山口さんは「3.11」以降に、この映画を所在を訪ねる問い合わせがあり、しばらくぶりに原版を取り出してDVD化したそうだ。制作した当時は自主上映を幾つかの会場で行ったけれども、支援してくれていた学生の一人が自殺したことで封印されていたのだと聞いた。今回はその問い合わせがきっかけで、自費でHD盤を制作して、「3.11」以降に撮影された冒頭のカットなどを加えて、原版よりも約10分長いバージョンを制作したという。
なぜ、今、この『足尾74』が見られるべきかを考えた。
国策による開発や「武器なき侵略による国内植民地づくり」(1974年朝日新聞「論壇時評」[“札タバ植民地”に抵抗]鶴見俊輔による言葉)と公害との因果関係は、足尾鉱毒事件から始まっていた。「3.11」のあと、水俣病や炭鉱災害、そしてこの足尾鉱毒事件との驚くべき類似を指摘した論者もあった。僕自身も、水俣と同じような原因の隠蔽と企業責任の曖昧な追求、被害者への補償問題での泥沼が起こると思った。足尾は、それらすべてが起こっていた場所だった。
足尾鉱毒事件は古河鉱業の銅山開発で、渡れ瀬川の上流は煙害によって、下流は流された汚染水によって、人も水も木々も農産物も魚も侵された。酸性雨によって禿山となった赤倉山からは、雨によって大量の土砂が川に流れ込んだ。上流にあった松木村は煙害で廃村となり、労働者の健康被害も深刻だった。この映画の撮影場所のひとつである群馬県山田郡毛里田村は、農業用水に汚染水が侵入し、稲作が大きな被害にあった場所だ。
映画が制作された1974年は足尾銅山が閉山した翌年である。閉山後も精錬作業は残り80年代まで鉱毒は流出し続けたという。カメラは荒廃した山を静かに捉える。あるいは精錬所の全景を同様のストイックさで捉える。汚染水の溜まったプールから、雨になると当たり前のように川に溢れ出る水を、被害が広がる状況に耐え続ける住人の姿を、企業植民地となって沈黙を余儀なくされる人々を、静かにしかし、力強い意思を伴った視線で捉える。経緯の説明などは加えられていなかったように思う。住民の口から語られた言葉を丁寧に編んでいた。現代の映画と比較すればで『マニファクチュアド・ランドスケープ』や『いのちの食べ方』のような、風景や人の表情で語らせる寡黙な手法の先駆けのように思われる。
古河鉱業が加害責任を認めず、公害と銅山との因果関係を隠蔽し続けたこと。政治的議会工作によって被害にあった人々さえも抱え込み沈黙させたこと。補償には応じたがそこには地域に格差をつけ、住民間に妬みや嫉みを生じさせ、反対運動を挫こうとしたこと。それらが「寄付金」「見舞金」「協力金」などの名目で「補償」という態度ではなかったこと。最終的に調停と和解で幕引きを図ろうとしたこと。どれも水俣と同じ流れを鏡に写したようにたどっているし、原発事故と政府・東電による態度も、これまで幾つものこうした類似が指摘されている。
被害者の立場にたてば、なんの学習能力もなく、汚染と被害者を拡大していると映るが、加害者の立場にたてば、公害闘争とその対応方法を前例を細かく学習して打ち出された堅実な政策だとも言える。
そして明治時代に始まったこの鉱毒流出の後始末は、現在でも税金の投入によって継続している。東京新聞の記事(2011年1月31日)によれば、植林や治山事業、土地改良の費用には年間40億円近い税金が注がれているという。東電による原発事故の後始末に、これから一体いくらの税金が注がれるのだろう。
この映画「足尾74」が復刻された2011年は、足尾鉱毒事件の告発と農民運動に深く関わった田中正造の生誕100年の年でもあった。
土本さんの一連の水俣映画とあわせて、この『足尾74夏』も、今こそ多くの人に見られるべき映画なのだと思う。
『足尾 74夏』
監督・撮影:山口豊寧
1975年 8mm版 90分 2011年HD版 101分
2012年3月22日 岩波書店会議室にて試写
104分を観終えて考えたことは「確かに、言葉に出来ないものはある」ということだった

舞台上だけではなく、街中や公園、電車の中、河原、砂岩の山、ガラス張りのアトリエで繰り広げられる二人または三人のダンスは、そこに張り詰めた見えない空気の場がある。それもまた、言葉に出来ない場の力であろう。風景さえも異化する、人間の身体が発する僅かな光線のような、それでも力強い磁場のようなエネルギーが、時に痛みまでも感じさせる。
『カフェ・ミュラー』という演目のセットとして、配置された多数の椅子も魅力的だ。人の気配と不在が、椅子しか置かれていない空間に幾つもの物語を想起させる。
「想像させること」これも映画の中でピナが語っていた。舞台に置かれた巨大な岩、激しく降る雨、それしか見えないことは、それ以外を無限に想像させる。
「言葉に出来ないもの」は「言葉を超えたもの」なのか「言葉以前の何か」なのかはわからないけれども、確かにピナ・バウシュには見えていただろうし、そこには在ったのだと思う。
3Dが効果的だったかは、最期まで疑問だった。
『Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
監督:ヴィム・ベンダース
2011年
104分 ドイツ・フランス・イギリス合作
映像作品集「3.11」の福岡上映会も無事終了しました。


3月26日 福岡で「3.11」プログラム上映会
福岡市大橋で映像作品上映会を行いますので、お近くの方はよろしくお願いします。
昨年、SVP2から「3.11」(3分11秒短編映像作品集)の制作を映像作家たちに呼びかけ、18作品が集まりました。これらの作品は11月に行われた「第2回クアラルンプール実験映像祭」(マレーシア)で公開されました。また、先日、東京でも上映会(詳細リンク)を行いました。
九州大学大橋サテライト「ルネット2F」西鉄大橋駅のすぐそばです。
参加費:1000円
参加申し込み:FUKUOKA デザインリーグ事務局
Tel:092-551-0825/Fax:092-405-0825
「3.11」プログラム上映会(国際交流基金さくらホール)ご参加ありがとうござました。



「3.11作品解説」の表記に若干の修正がありました。
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