2012.05.07 Monday

この年齢で出会った「綴り方運動」に共感する

『現代日本の思想ーその五つの渦ー』

久野収 鶴見俊輔 岩波新書 19561117日 発行


久野収による「あとがき」には、ー残された問題ーとして次のように書かれている。「書き終わって思想の生命について、二つの大きな教訓を感じる。ひとつは、思想が生命を持つためには、一点にしっかり立って、現実にはたらきかける過程で、自分が自分であることを立証しなければならないという教訓である。グラグラする思想、カメレオン的思想、現実にひきまわされて自分をうしなう思想は、そのつど、いくらうまいことをいっても、生命のなくなった死物である。〜中略〜日本の思想流派の大部分は、現実の美化を口実にして、あまりにヤスヤスと姿勢をかえ、発展という美名で現実に身をあわせすぎるから、生活の場を守っている国民大衆の信頼をえることができないのではないか。もう一つは、自己同一と持続を手ばなさずに、他の流派と協力し、まなびあう道をさがさなければならないという教訓である。」

1956年に書かれた本書は、『現代日本の思想』という大著を想像するようなタイトルを冠しているのだが、「ーその五つの渦ー」という副題が示すとおり、久野と鶴見によって五つの流派や思想集団、運動体が選択され評価されている。「あとがき」でも「論じ残された思想集団は、残念ながら非常に多い。」と断りながら、例えばとしてあげられた多くの思想運動は、久野と鶴見によって選ばれなかった理由が照射されてもいる。だからといって、思想の生命について潔癖であった思想ばかりがとりあげられているわけではない。選ばれた五つはそれぞれに運動体として多くの教訓を残している。それらが、現在に反映できるようにとの配慮であると思われるのだが、果たして現在がそうした教訓を生かしきれているかといえば、先の引用箇所は、まるでここ数年の日本を憂いているようにも思われる。

ここで興味深いのは、とりあげられた五つの思想は、いずれもそれらの思想の産物として運動体を牽引したという点だ。鵯日本の観念論ー白樺派ーでは「観念論というのは、精神的(あるいは観念的)なものを重大なものと考え、それがもとになって世界がなりたっているというし思想である。」と前置きをしながらも、「観念論といえば、それだけでもう完全に実りなき思想ときめてしまう分類法を訂正することが、この本のひとつの眼目だからだ。」としている。白樺派といえば、もちろん大正期の文学運動であり、武者小路実篤や志賀直哉といった教科書でも馴染みのある名前が作品とともに紹介されるのが常なのだが、ここでは「新しき村」運動の思想としてとりあげられている。1918年に宮崎県児湯郡木城村に生まれたこの運動は、白樺派の人々が私財によって土地や農具の取得を手伝い、労働によって自我実現を目指したという実践的な取り組みであった。村の居住者は全国から公募で集められた文学青年たちだったという。武者小路はこの地で八年間労働したという。「この仕事は、唯物論が日本に根をおろす前の、まったく観念論的な発想による理想社会建設運動の試みとして、歴史的意味をもっている。」と評価している。武者小路の失敗は、それでも有島武郎が行ったように、親譲りの農場を小作人の共同所有とした態度とは一線を画した実りある失敗であった。有島の方法は、不在地主としての利益を辞退するという点において、「新しき村」の理念に対する迂回路ではあるのだが、武者小路がより行動的であった事実を積極的に評価している。

現在でも、多くの新規就農者は「農」についての理想をいだき、あるいは「農」と「表現活動」との接点を見出すような、高い理想を持った活動があることも知っている。それぞれが、身の丈で行なっている各地での運動は、「運動体」としての呪縛や政治的な傾倒が比較的少なく、自由な運動体のように思われる。それでも、この白樺派の「新しき村」運動はもっと知られていいのかもしれない。

鵺 日本の唯物論ー日本共産党の思想ー では、表題の通りに日本共産党の思想と運動が紹介される。1922(大正11年)の創設から、初期の福本和夫による「福本イズム」は、「大正期の日本共産党にあった不純な共産主義、その日本的折衷主義に対する反撥であり、白紙状態で共産主義文献の勉強をはじめた新しい世代の知識人を、その文体の純粋性によってとらえた。」と評価する。もちろんこうした潔癖な共産主義思想は、理念の純化とそれ以外の切り捨てを招く。大衆政党としての処方箋と純粋な理念との対立は、ここでも、失敗として評価されているように思われる。「非転向性」は共産党の優れた姿勢であるが、同時に時代の流れとともに、自らが抱える政治的な矛盾と戦い続けることになる。この本が書かれたのが1956年だということも充分に考慮しなければならないだろう。共産党の歴史をここだけで辿るのは無理がありそうだが、本書の切り口はわかりやすくて明確だ。

個人的な専門の範囲で言うと、亀井文夫の映画を学生に見せるときにも、この時代の状況には配慮しなけれなならない。例えば、『日本の悲劇』は1946年に公開されるのだが、映画の中でも、亀井の共産党への傾倒は明らかである。亀井はソ連で映画を学んだために、特に特高警察にマークされ、『戦ふ兵隊』の制作を理由に理不尽に検挙される。戦中は映画制作を許されなかったために、結果として反戦の映画人として名高い。亀井は東宝争議でも先頭に立った人物だが、当時の日映演をはじめ、文学者や映画関係者が共産党に指導下(多少の語弊もあるが)にあったことは事実である。このことを、今の学生に正しく伝えることは難しい。しかし、避けてはならいことだと考える。

この本での最も大きな収穫は鶚 日本のプラグマティズムー生活綴り方運動ー だった。まず「プラグマティズムとは、思想と行動と絶えず交流する状態において、思想に新しい養分をあたえて内容をこやし、また思想の方法が動脈硬化におちいらぬように、毎日の生活上の応用問題をあたえて、方法をしなやかにする思想流派である。」(p73)と説明される。生活綴り方運動の源流は、芦田恵之助が京都府福知山の小学校で教えていた時の経験に発するとされている。当時起こった水害の記録を自ら記録し、寄付金を募るために記録文を持ち歩いたという。芦田は、足尾鉱毒の告発に尽力した田中正造とも交流があったらしい。地域の問題を地域の人が書き綴るという方法に共通点がある。その後、鈴木三重吉に引き継がれた運動は、児童雑誌『赤い鳥』の中で、継続され、鈴木は各地の児童から寄せられる文章を自ら選んでいた。「生活記録」「実感」「活写」といったキーワードが、この綴り方運動を地域の児童教育の実践へと加速させた。しかし、マルクス主義運動の思想は、思わぬ形でこの運動を取り込み、またその方向性に照らして批判の対象にもした。他方で、そうした思想的・政治的な思想とは無縁の形で、純粋に貧農の子どもたちによる文章は綴られ、驚くほどの作品が書かれている。本書にとりあげられているのはそうした運動による一篇で、新潟県古志郡黒条村の貧農の子、大関松三郎の小学校6年生の時の詩である。

虫けら
一くわ
どしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれていて 
あんきにくらしていた虫けらが
おれの一くわで たちまち大さわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえたちは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさなければならん
おれは おまえたちの 大将でもないし
敵でもないが
おれは おまえたちを けちらかしたり
ころしたりする
おれは こまった
おれはくわをたてて考える

だが 虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやさねばならんでや
おまえらを けちらかしていかんばならんでや
なあ
虫けらや 虫けらや

その後「山びこ学校」などの成果を得た綴り方運動は、学校教育の現場で大きなうねりを伴って展開する。その教授法には独自のプログラムも加えられていく。

この運動がマルクス主義の初等教育における実践という側面を持っていたことは否めないが、「生活記録」「実感」「活写」といったキーワードは、市民ビデオの考え方と多くの部分が重なるような気がする。生活に密着した視点で、生活を記録すること。それらは作者の実感を伴って、映像に力を与える。それは生きた写しであるという意味ではまさに「活写」であろう。

続く鶤 日本の超国家主義ー昭和維新の思想 と鶩 日本の実存主義ー戦後の世相ー も、通史の中の思想史と言うよりは、極めて独創的な切り口で楽しめる。
こんな本を、今更読むことができたことの幸福をかみしめている。
2012.04.28 Saturday

『「赤」の誘惑』に誘惑されて、ホームズの素人が『緋色の研究』を読んでしまったら、奇妙な偶然に出会った。

 『緋色の習作』
アーサー・コナン・ドイル
河出書房新社 1997年9月1日発行 *原著は1886年に書かれ1887年発行

僕はシャーロッキアンという言葉があることを知らなかった。「日本を代表するシャーロキアン小林司、東山あかね」が全作品を新たに全訳したのがこの全集らしい。シャーロキアンというのは、シャーロック・ホームズを実在の人物と仮定して歴史的な背景などを研究・検証する人、あるいは熱狂的なファンを、そう呼ぶそうだ。『シャーロッキアン』というタイトルの漫画もあるようだが、これも見たことがない。この全集の価値は、どうやら新訳ということに加えて、1894年版のハッチンソンによるイラストを復刻していることと、123ページにも及ぶ注と、続くオックスフォード版の詳しすぎる解説にあるらしい。確かにこの二つの分量は本文を超えている。物語は第一部の語り部ワトソンの回想として始まる。従軍医だったワトソンがアフガニスタンで負傷し、帰還した後に放埒な年金者生活を送り、生活に困窮し始めて安い住居を探していたところ、偶然に出会ったかつての知人に相談する。その同居人として紹介されたのがシャーロック・ホームズだったというわけである。そのワトソンの回想が、逐一歴史的な事実や背景と照合されるために、読者は膨大な注釈を繰ることになる。

僕は、近所の図書館で検索するときに『緋色の研究』で探していたのだが、「研究」と「習作」は別の本なのだろうかと思っていたほどの、シャーロック素人だった。訳者の解説によれば『A Study in Scarlet』の「Study」はこれまで「研究」と訳されていたが、「緋色で描いた習作の絵」というほどの意味なので、この全集では「習作」としたらしい。

そもそも、僕がこの本を読もうと思った動機は『「赤」の誘惑』で執拗に引用されていたからだ。そして蓮實重彦の長い引用と分析にもあるように、この本のタイトルが『緋色の研究』である理由は殆ど希薄で、内容とも無縁だと思われる。この「緋色の習作」という言葉は、ホームズが出会ってまだ間もないワトソンに言う「ちょっと芸術的な言い方をして、緋色で描いた習作とでも呼ぼうか。人生という無色の糸かせの中に、殺人という一本の緋色の糸がまぎれこんでいる。ぼくたちの仕事はその緋色の糸をほぐして、分離して、そのすべてを、端から端まで取り出すことなのだ。」(p60)という部分に一度だけ現れる。普通に読んでいれば、その部分は会話の中の喩え話でしかない。そして蓮實重彦は、作品中にはわずか二行程度にしか現れないその「緋色」という言葉と色彩について、第9章の[鶻「緋色」の糸に導かれて]の中で26ページ渡って考察している。その章で語られるのは、例えばダシール・ハメットによる『血の収穫』における血なまぐさい「赤」の氾濫ではなく、ひたすらその希少性であり、それでも「作品の主題論的な役割を演じることができる」という一点である。

こうした動機と、蓮實重彦による考察を反芻しながら読み進んでも、最後まで「緋色」の主題論的な役割というものが、僕にはわからなかった。しかしそれとは別に、『「赤」の誘惑』を読み終えて、次に読んだ高山宏の『表象の芸術工学』の中でも、シャーロック・ホームズが幾度となく引用され、物語とインテリアとの関係が論じられていたのは面白かった。しかし、それ以上に、『緋色の習作』を読み終えた翌日の東京新聞朝刊26面に「宗教の壁に苦戦?」と題したコラムが掲載されていたことと、同じ日の夕刊1面には「紙つぶて」で「ホームズの科学」と題されたコラムが、立て続けに掲載されたことに驚いた。「宗教の壁に苦戦?」は、アメリカでの大統領選挙戦を戦う共和党の候補ミット・ロムニーが、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の教徒でることに触れている。モルモン教は、現在の日本ではキリスト教の一派と理解されているが、アメリカでは異教や邪教として区別されているという。教徒の数は全米で2%に過ぎないという。ロムニーが「私は自分の宗教に誇りを持っている」と強調したことが、宗教右派からの嫌悪感に加えて、いくつかの風評も招いているらしい。その風評にあるような「ロムニー氏の祖父は一夫多妻のコミュニティーにいたのでは」などは、まさにアメリカ人が得意なネガティブ・キャンペーンに使われそうだ。
また、「ホームズの科学」ではシャーロック・ホームズが初めて登場する『緋色の研究』をとりあげ、その科学者として登場する際の描写とセリフの科学者らしい部分を引用している。シャーロキアンがホームズを実在の人物とみなすといった態度に、著者も学者として共感を示している。
 
『緋色の習作』の第二章では、第一章で起こった二つの殺人事件の動機が説明されるのだが、ここでの話はモルモン教徒の一段が、宗教的対立と迫害を逃れて大移動をし、その長い馬車の隊列に一人の男と少女が救出されるところから始まる。もちろんここでの描写は、モルモン教の創設者ジョセフ・スミスの死後、主要な幹部であったブリガム・ヤングが一団を率いて大移動をした事実に依拠している。その後の物語にもヤングは実名で登場する。その男と少女は広大な原野で道を見失った一族の生き残りで、すでに死を覚悟するほどの極限で救われた。上記の大移動の歴史と照らせば、男と少女が救われたのは、1846年から1847年7月のいずれかの時期のことであることが判る。男と少女は恩義を受けるために、モルモン教に忠誠を誓い、ソルトレイクまでの長い道のりを共にし、コミュニティーの一員としてその地で生きることとなった。一つだけ男が忠誠を守らなかったのは、教義にある「一夫多妻制」で、男は結婚さえしなかった。やがて成長した少女は、鉱山開発でその地の周辺にいた男と結婚の約束をするに至るが、それを阻害したのがモルモン教のコミュニティーの長老であり、「一夫多妻制」という教義だったのだ。その娘をコミュニティーの有力者の息子の何番目かの妻に差し出せというのであった。これ以上の物語の顛末はここでは触れない。

それにしても、僕が買ってからしばらく読まずにおいていた『「赤」の誘惑』を読み始め、その後に『表象の芸術工学』を読んだために『緋色の習作』を読み、その直後に二つの新聞記事が掲載されていたことが何かの偶然だとしても、こうした偶然を誘発した何かがあるような気がしてならない。それこそが「赤」の氾濫のような物語における見えない作用なのかもしれない。

2012.04.25 Wednesday

わかったからといって、どうでもいいような気がするけれど、こういう本を読むのはとても楽しい

 

『盆踊り 乱交の民俗学』 下川耿史 作品社  2011830日 発行


作品社はもともと日本純文学を出発点にしているのだけれども、この本のような「異端と逸脱の文化史」シリーズは、タイトルを眺めるだけでも楽しい。『おなら大全』『うんち大全』『おしりとその穴の文化史』など、身体の特定の部位を取り上げたものが多い。

 

『盆踊り』の副題にある「乱交の民俗学」は、赤松啓介の仕事を直ぐに連想させるが、その連想はとても正しかった。本文中でも冒頭から、いわゆる日本民俗学の「正史」に異を唱えるし、異に属する研究者を擁護する。「性の問題を矮小化してきた民俗学」の項(p13〜)では「たとえば秋田県西馬音内の盆踊りは、黒い覆面に目穴だけを開けた踊り子がズラリと列をなして踊ることから「亡者踊り」と呼ばれ、その幻想的な雰囲気から日本の参内盆踊りの一つに挙げられている。この覆面は「ひこさ頭巾」と呼ばれているが、その頭巾が「愛の営みのための小道具」と喝破したのは、秋田県農業短大教授だった、野良着研究家の日浅治枝子である。」と引用し、同じ盆踊りが「正史」の側からは別の見方がなされてきたという。「これらはすべて亡者と生者、見えるものと見えないものという対立する世界の仲介者― 橋渡しの役割を果たしてきたものと考える。特定の人間が面を隠すことによって、〈霊〉が吹き込まれるのである。人界の想像する世界においてのみ成就する、いわゆる変貌の代理者なのである面を蔽う事によって、存在そのものの時限から離れるのである。」(『歌垣の民俗学的研究』渡辺昭五 1967年)といった論を対置させる。

 

僕自身も、盆踊りとはその地域や家族内の先祖や死者との交感の場であると思っていたし、だから、死者が踊りの隊列に紛れ込んで踊りを楽しんでいても見分けがつかないように、同じ着物で深い笠をかぶっているのだという説を美しいと思っていた。実際、新潟や富山の有名な盆踊りでは、顔が判別できないような大きな笠をかぶっている。もちろんこうした美しい理念がなかったわけではないだろうが、庶民・大衆にまで浸透し貫かれていたかどうかは疑問だった。

 

その後に赤松啓介の著作を読んでからは、そこに活写された庶民(常民)の性生活や性に関する特異な風習・信仰が、むしろ常態であったことを知る。『非常民の民俗文化生活民俗と差別昔話』(明石書店1986年)や『夜這いの民俗学』(明石書店1994年)は特に面白かった。本書でも紹介される夜這いや雑魚寝祭り、若衆宿、お籠りといった言葉が生き生きと描写されていた。祭の夜に若者同士が交わってできてしまった子どもは、集落の子供として育てられたという逸話も、集落を維持する工夫とも捉えられ、美しい理念のようにも映る。もちろん、明治以前の性的な開放性を、野放図な性の氾濫とする考え方もあるし、淫風陋習として排斥しようとした当時の政策にも頷ける部分がある。しかしそこで黙殺されるのは、陋習ばかりではなく、庶民に伝承された慎ましい喜びの遊戯でもあったのだろう。豊穣祈願の祭りには、今でも性交のアナロジーが見られるし、巨大な男性器や女性器が神輿に載っていることも、奉納されていることもある。こうしたシンボル化の背景には、必ず実態としての行為があったはずだ。

 

著者の情熱は、そうした遊戯の「異」ばかりではなく、庶民のおおらかな思考を、むしろ「正史」が意図的に見落とした、その作為を告発することに向けられている。

『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)が編まれた頃には、すでに記述されていた「歌垣」が性関係を賭けた歌の勝負だったという記述は、同じ頃の『常陸風土記』には幾つもの事例が見られるという。女性の側は男性よりも優れた歌を読むことで、性関係を拒否できたというのだから、知的な勝負でありながら随分と思い切ったものを賭けたものだと思う。本書の展開をかいつまんでいけば、宮中の行事はやがて庶民の間にも知られ、擬似的な歌垣はその本来の目的(歌の出来栄えよりは性的関係を賭けた勝負)を残して様々に変奏する。風流と呼ばれた様々な芸能の流行、信仰を擬した念仏踊りなど、いわば規制をかいくぐる知恵の根底には、性的風習の伝播が伴っていた。

 

「正史」との対立は様々な分野に及ぶし、学者としてオーソライズされているかどうかが、検証の正しさを担保するものではない。赤松啓介や宮本常一のように、足で稼いだ資料が最も重要な場合もある。もちろん、折口信夫〜柳田国男を筆頭とする「正史」が無意味なはずはなく、その膨大な仕事は尊重されるべき重要な成果である。

一方、何が「豊か」かは規定できないけれども、庶民の情熱に後押しされた性への執着(あるいは無頓着さ)が、豊かさとは何かを考える契機となった。



2012.04.19 Thursday

映像に取り組もうと思った自分自身の「なぜそう思ったか」を刺激されてしまう。

この本も発行された時に手にとって、面白そうだと思ったけれども、読まずに置かれたままだった。バーバラ・M・スタッフォードの『ビジュアル・アナロジー』を読んだので、ふとこの本を思い出した。本というのは、その本を読むタイミングとか順番とかそういうものがあるのだなと改めて思った。

 

表題の通り、神戸芸術工科大学での13回の講義が11章に再構成されているのだが、1回の講義が3時間を超えたというから、各章のボリュームは、話の飛躍や余談も含めて著者が意図したライブ感を伴っている。巻末の「あとがき」には、「夢の教室はすぐに考えても2つほどのパターンがある。」とあり、少人数を対象とした対話形式で進んでいくものと、この本のベースとなったような一般にも公開され、多人数に向けてのものという2つだ。この本も「〜教える側、教わる側の電位差がかなりあることがはっきりしている場合は特にだが、教える側が教える側であることに徹して口舌のサービスを尽くす。」という態度に貫かれている。これは教壇に立つものとしては、それだけで参考になる態度だ。自分が面白いと思っているものを、何しろ面白いのだと、徹底的に伝えまくる。その際に、当然、教わる側の意識も計算しながら、教わる側が迂闊にも「面白い」と思えるように、各回の構成を考えなければならない。

 

あらゆる目に見えるものを、それが現れた国や地域や時代の視覚文化と並走する図像の表出として捉え、正統で立派な絵画史でけでなく、文学に現れる描写や、様々な雑誌やカタログの図版から、あるいは見世物のポスターや黄表紙、あるいは迷路や庭園などの造形物までを、何かと何かがどこかで繋がる契機として捉えていく。気の遠くなるような作業だが、学問とはこういうものなのだろうと思わせるには充分だし、そのダイナミックな縦断・横断性と、比較対象となる図像の選択には感動する。バーバラ・スタッフォードがそうであったように、図像に対することばの優位を継承してきた歴史に対して、何と何が違うということを指摘する言語の体系ではなく、何かと何かがこのように似ているということを、引き合いに出された図像の相互に現れる視覚の説得力で示していく。

 

図像に現れる世界の見え方と対照的に、言語の秩序で世界を表現しようとした本の世界が引き合いに出される。初めてアルファベット順の検索機能を持った『サイクロペディア』(1728年、スコットランド)が、「本の中の小さな世界が外の世界とは別の秩序を持ってしまった。」そのために「これも見よ」というクロスリファレンスが必要になったという。そして1920年代になってから、外界と言語世界との繋がりを回復するための動きがおこる、と。(p27)こんなことは、今まで随分と辞書を引いてきたけれども考えもしなかった。たしかに逆引きとか類語辞典は、アルファベットとは別の秩序を持っているけれども、単に検索方法のバリエーションだと思っていた。Familyを引けば、fathermothersonが続くという秩序のほうが、確かに外界と繋がっている。アルファベットによる秩序のように、「人為的な世界表現の約束事を表象と呼びます。」とは、簡潔でわかりやすい説明だ。

 

また、ピクチャレスクという言葉が「ものの見え方全体に関わる言葉」であるとして、それは、ものの考え方や世界観を、いかにその時代に現れる様々な図像の中に、わかりやすく、かつ美学的に捉え直すか、という格闘の歴史をも意味する言葉だったのだと気づかされる。その情熱は江戸の庭師の仕事や、イギリスの庭園のコンセプトにも見られ、それとは対照的な風景として、ルイ14世の時代にフランスで作られた城を採り上げる。城の頂上からだけ全景を俯瞰視することができる庭園は「見るということは政治的な営みとして整備されてきたシステムだということの一例です。」とある。つまり、整備された庭園の風景は国王のための劇場であった、という。(p230)この考え方は当然のように建築そのもの、そしてインテリアデザインにも及ぶ。

 

推理小説で特に好んで描かれる密室の描写を、インテリア・デザインの表象と結びつける作業も、講義の中で繰り返し行われているが、コナン・ドイルの『緋色の研究』(1887年)が、蓮實重彦の『「赤」の誘惑』でも「緋色の糸に導かれて」の項で論じられたことを想起しながら読むと、文学から派生する図像の世界観が、思いもよらぬ方向に開かれていく。

 

「見切り」という言葉が、江戸の美術や庭園の作法で「フレーミング」のことを意味していたというのも、「見切る」という言葉を「写り込み」と同義で使っていたものからすると驚きだった。映像の用語はたいてい歌舞伎などの舞台用語の転用だと思っていたから、さらにその元が庭園の作法だったとは。こうした幾つもの驚きが、余談や脱線からも次々に出てくれば、こういう講義は退屈している隙がないのだろうな。映像についての自分の興味と照合すれば、ピクチャレスクの延長にカメラ・オブスキュラがあり、写真や幻燈への展開、さらには映画前史のパノラマやアニメーションへの関心へと繋がっていく。今、読み始めたのは『幻燈の世紀』(岩本憲児)と『キルヒャーの世界図鑑』(ジャスリン・ゴドウィン)の二冊。こういう順番がいいかどうかはわからないけれども、刺激の連鎖で次に読む本を決めていくのは楽しい。

 

1部と第2部では、対象が違うために重複する話題も多いのだが、何日もかけてこの本を読む側としては、ちょうど頃合いの良い復習となって好都合だった。

歴史をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。高山節をライブで聞いてみたいものだ。


『象徴の芸術工学』神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ

高山宏 工作舎 200295日発行

 
2012.04.14 Saturday

原発事故を映す鏡として、水俣病を今に刻み直す契機として

 

この映画を観たのは正式な試写会ではなく、岩波書店の会議室だった。井坂能行さんが呼びかけ、『シリーズ 日本のドキュメンタリー』を作った時の編集に関わった皆さんが集まった。監督・撮影の山口さんも同席していた。山口さんは岩波映画で撮影を担当していた方だ。直接作者のお話を聴くことができる貴重な試写の機会だった。山口さんは「3.11」以降に、この映画を所在を訪ねる問い合わせがあり、しばらくぶりに原版を取り出してDVD化したそうだ。制作した当時は自主上映を幾つかの会場で行ったけれども、支援してくれていた学生の一人が自殺したことで封印されていたのだと聞いた。今回はその問い合わせがきっかけで、自費でHD盤を制作して、「3.11」以降に撮影された冒頭のカットなどを加えて、原版よりも約10分長いバージョンを制作したという。

なぜ、今、この『足尾74』が見られるべきかを考えた。

国策による開発や「武器なき侵略による国内植民地づくり」(1974年朝日新聞「論壇時評」[“札タバ植民地”に抵抗]鶴見俊輔による言葉)と公害との因果関係は、足尾鉱毒事件から始まっていた。「3.11」のあと、水俣病や炭鉱災害、そしてこの足尾鉱毒事件との驚くべき類似を指摘した論者もあった。僕自身も、水俣と同じような原因の隠蔽と企業責任の曖昧な追求、被害者への補償問題での泥沼が起こると思った。足尾は、それらすべてが起こっていた場所だった。

足尾鉱毒事件は古河鉱業の銅山開発で、渡れ瀬川の上流は煙害によって、下流は流された汚染水によって、人も水も木々も農産物も魚も侵された。酸性雨によって禿山となった赤倉山からは、雨によって大量の土砂が川に流れ込んだ。上流にあった松木村は煙害で廃村となり、労働者の健康被害も深刻だった。この映画の撮影場所のひとつである群馬県山田郡毛里田村は、農業用水に汚染水が侵入し、稲作が大きな被害にあった場所だ。

映画が制作された1974年は足尾銅山が閉山した翌年である。閉山後も精錬作業は残り80年代まで鉱毒は流出し続けたという。カメラは荒廃した山を静かに捉える。あるいは精錬所の全景を同様のストイックさで捉える。汚染水の溜まったプールから、雨になると当たり前のように川に溢れ出る水を、被害が広がる状況に耐え続ける住人の姿を、企業植民地となって沈黙を余儀なくされる人々を、静かにしかし、力強い意思を伴った視線で捉える。経緯の説明などは加えられていなかったように思う。住民の口から語られた言葉を丁寧に編んでいた。現代の映画と比較すればで『マニファクチュアド・ランドスケープ』や『いのちの食べ方』のような、風景や人の表情で語らせる寡黙な手法の先駆けのように思われる。

古河鉱業が加害責任を認めず、公害と銅山との因果関係を隠蔽し続けたこと。政治的議会工作によって被害にあった人々さえも抱え込み沈黙させたこと。補償には応じたがそこには地域に格差をつけ、住民間に妬みや嫉みを生じさせ、反対運動を挫こうとしたこと。それらが「寄付金」「見舞金」「協力金」などの名目で「補償」という態度ではなかったこと。最終的に調停と和解で幕引きを図ろうとしたこと。どれも水俣と同じ流れを鏡に写したようにたどっているし、原発事故と政府・東電による態度も、これまで幾つものこうした類似が指摘されている。

被害者の立場にたてば、なんの学習能力もなく、汚染と被害者を拡大していると映るが、加害者の立場にたてば、公害闘争とその対応方法を前例を細かく学習して打ち出された堅実な政策だとも言える。

そして明治時代に始まったこの鉱毒流出の後始末は、現在でも税金の投入によって継続している。東京新聞の記事(2011131日)によれば、植林や治山事業、土地改良の費用には年間40億円近い税金が注がれているという。東電による原発事故の後始末に、これから一体いくらの税金が注がれるのだろう。

この映画「足尾74」が復刻された2011年は、足尾鉱毒事件の告発と農民運動に深く関わった田中正造の生誕100年の年でもあった。

土本さんの一連の水俣映画とあわせて、この『足尾74夏』も、今こそ多くの人に見られるべき映画なのだと思う。


『足尾 74夏』

監督・撮影:山口豊寧

1975年 8mm版 90分 2011HD版 101

2012322日 岩波書店会議室にて試写

2012.04.14 Saturday

104分を観終えて考えたことは「確かに、言葉に出来ないものはある」ということだった

 
 映画の冒頭でピナ・バウシュは語った「言葉に出来ないものはある。身体表現の原点はそれを表現すること」。正確ではないかもしれないが、このようなことを語る。当たり前のことのようであるけれど、ピナ・バウシュの演出を見ると、まさにそのとおりだと思う。冒頭で展開する男女の群舞は、原始的な儀式のようでもある。男女をめぐる言葉のない交歓、あるいは交感。そこにいる二十数名の男女のやり取りを超えて、何か大きな力と交わっているかのような力強い肉体の躍動。大きな力とは言語を超えた「言葉に出来ないもの」かもしれない。

舞台上だけではなく、街中や公園、電車の中、河原、砂岩の山、ガラス張りのアトリエで繰り広げられる二人または三人のダンスは、そこに張り詰めた見えない空気の場がある。それもまた、言葉に出来ない場の力であろう。風景さえも異化する、人間の身体が発する僅かな光線のような、それでも力強い磁場のようなエネルギーが、時に痛みまでも感じさせる。

『カフェ・ミュラー』という演目のセットとして、配置された多数の椅子も魅力的だ。人の気配と不在が、椅子しか置かれていない空間に幾つもの物語を想起させる。

「想像させること」これも映画の中でピナが語っていた。舞台に置かれた巨大な岩、激しく降る雨、それしか見えないことは、それ以外を無限に想像させる。

「言葉に出来ないもの」は「言葉を超えたもの」なのか「言葉以前の何か」なのかはわからないけれども、確かにピナ・バウシュには見えていただろうし、そこには在ったのだと思う。

3Dが効果的だったかは、最期まで疑問だった。


Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

監督:ヴィム・ベンダース

2011

104分 ドイツ・フランス・イギリス合作

2012.04.04 Wednesday

映像作品集「3.11」の福岡上映会も無事終了しました。

3月25日と26日に福岡で、「3.11」映像作品集の上映を行い、無事に終了いたしました。

25日は糸島市にある「Studio KURA」というスペースでした。民家の蔵を改装したスペースは、立地も素敵なのですが、中もとても快適な居心地のいい場所でした。放し飼いのチャボがウロウロしていたり、ゆる〜く始まったりと、リフレッシュできた時間でした。上映後の交流会もとても活発なご意見をいただきました。この地域では、今後「農とアート」についてのイベントを発信されるようです。松崎さんはじめ、「Studio KURA」の皆さん、ありがとうございました。


26日は福岡市南区大橋にある「九州大学サテライト・ルネット」での上映でした。駅のすぐ近くにある多目的スペースで、2F会場での上映でした。「FUKUOKAデザインリーグ」のイベントとして組み込んで頂きました。ここでも、活発なご意見をいただき、今後の活動の大きな糧となりました。
福岡の皆さん、ありがとうございました。またお会いしましょう。


2012.03.24 Saturday

3月26日 福岡で「3.11」プログラム上映会

福岡市周辺にお住いの皆さま、
福岡市大橋で映像作品上映会を行いますので、お近くの方はよろしくお願いします。

昨年、SVP2から「3.11」(3分11秒短編映像作品集)の制作を映像作家たちに呼びかけ、18作品が集まりました。これらの作品は11月に行われた「第2回クアラルンプール実験映像祭」(マレーシア)で公開されました。また、先日、東京でも上映会(詳細リンク)を行いました。

SVP2「3.11」プログラム上映会 in 福岡
3月26日(月)18:30〜
九州大学大橋サテライト「ルネット2F」西鉄大橋駅のすぐそばです。
参加費:1000円
参加申し込み:FUKUOKA デザインリーグ事務局
Tel:092-551-0825/Fax:092-405-0825
2012.03.22 Thursday

「3.11」プログラム上映会(国際交流基金さくらホール)ご参加ありがとうござました。

佐藤による概要説明

上映風景

作家紹介

 SVP2の呼びかけによって制作された「3.11」(3分11秒)映像作品プログラムの上映会が3月21日(水)18:30より、国際交流基金さくらホールで開催されました。上映された18作品は、2011年11月に開催された「第2回クアラルンプール実験映像祭(KLEX)」の日本プログラムとして紹介されたものです。
この日は11名の作家を含め40名を超える皆さんにお集りいただきました。
ご参加、ご協力ありがとうございました。

「3.11」プログラム詳細については下記リンクよりPDFファイルをダウンロードしご参照ください。
ダウンロード→「3.11作品解説」http://svp2.com/news/2011-311/311list.pdf
ダウンロード→「3.11プログラムについての経緯」http://svp2.com/news/2011-311/311about.pdf
2012.03.19 Monday

「3.11作品解説」の表記に若干の修正がありました。

 先日(3月16日)アップロードした「3.11作品解説」のPDFデータに、若干の表記修正があり、データを更新いたしました。
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